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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.16

ヤマハ イノベーションロードの感動体験が創るエンゲージメント

2022/12/02

シリーズタイトル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。


日本の近現代音楽史を創り上げてきたリーディングカンパニーであるヤマハ。ヤマハのこれまでの歩みを、楽器・音響製品におけるイノベーションとともに知ることのできるミュージアム「イノベーションロード」が2018年に静岡県浜松市の本社構内にオープンした。本稿では「イノベーションロード」が、「感動を・ともに・創る」というヤマハの企業理念とともに、ヤマハクオリティー、ヤマハウェイをどのように伝えているのか紹介したい。

取材と文:渡邊雄紀(電通PRコンサルティング)

ヤマハの歴史

誰もが知るヤマハだが、その歴史は1887(明治20)年にさかのぼる。創業者である山葉寅楠(とらくす)が、1887年、小学校の壊れたオルガンの修理を行ったことをきっかけにオルガン製作を決意し、その2年後の1889(明治22)年に現在の静岡県浜松市に合資会社山葉風琴(ふうきん)製造所を設立。1897(明治30)年には資本金10万円で日本楽器製造株式会社を設立し、創業開始から100年となる1987(昭和62)年には現在のヤマハ株式会社へと社名を変更した。

ヤマハ製作の初期のオルガン(写真提供:イノベーションロード)
ヤマハ製作の初期のオルガン(写真提供:イノベーションロード)

楽器、音楽という分野において認知度の高いヤマハだが、その歴史の中で培った技術から、楽器以外の分野にも事業を拡大させている。1955年にはモーターサイクル部門が分離・独立し、ヤマハ発動機としてオートバイ、マリン製品などの生産を行っている。加えて、現在は生産を行っていないが、スキー用品やテニスラケットなども製造していた歴史を持つ。

原点である楽器分野によって得られた技術・ノウハウをさまざまな分野に展開することでヤマハの技術はさらに認められ、現在の地位を確立してきたともいえる。その技術は、高級車の内装部品にも提供されている。

総務、マーケティングなど複数の部署で運営

イノベーションロード外観

イノベーションロードは1500平米、450坪ほどの展示面積を誇り、日・月・祝以外の日程で予約の上、見学することができる。建屋の運営は総務部、企画はマーケティング部門が統括しており、館長をはじめとした6人のスタッフ等の実運用を、グループ会社のヤマハコーポレートサービスが行っており、入館料は無料だ。

コロナによる休館も挟む形ではあるが、2018年7月のオープン以来、社内の利用を含め7万人以上の来館があった(2022年6月まで)。コロナ禍以前の2019年には、インバウンドの来館者は1000人超(同社の海外事務所、工場勤務者含めず)となっていた。来館者のためのパンフレットは日英中の3カ国語、ウェブサイトは日英の2カ国語、館内の音声ガイドは、日英中スペインの4カ国語を用意している。

エントランスの様子(写真提供:イノベーションロード)
エントランスの様子(写真提供:イノベーションロード)

社員とのコミュニケーションにも活用

また同館は、社外からの来館者だけでなく、社員とのコミュニケーションの場としても機能しており、新入社員の研修、国内グループ社員・海外の工場やオフィス勤務の社員が、浜松訪問時に立ち寄り、ヤマハの事業に対する理解を促進するためにも活用されている。

社内では、イノベーションロードがあることによって「改めて自社の歴史を確認できた」「自分が関わる以外の事業の理解ができた」といった声が上がっており、時系列に過去の製品群を確認できることが設計・開発、デザイン部門の新たなイノベーションにもつながっているようだ。

また、2021年にはバーチャルイノベーションロードを開設。インターネット上で館内を360度見渡せる画像が表示され、バーチャル空間上で実際に館内を歩いているかのように移動することができ、製品説明や動画コンテンツを視聴することができる。このバーチャルイノベーションロードは、一般来館者だけでなく、コロナ禍で日本へ来ることのできない海外スタッフに向けても、自社理解の幅を広げるツールとなっている。

ヤマハの足跡をたどり、イノベーションを体感

館内は12の展示エリアによって構成されており、その名の通り、ヤマハが紡いできたイノベーションの歴史を実際の製品とともにたどることができる。12の展示エリアは下記の通り。

1. コンセプトステージ
2. プロローグ
3. ものづくりウォーク
4. 楽器展示エリア
5. ライフシーン
6. デジタルライブラリー
7. スーパーサラウンドシアター
8. イノベーションロードマップ
9. ヒストリーウォーク
10. イノベーション・ラボ
11. 音響展示エリア
12. バーチャルステージ

コンセプトステージ(写真提供:イノベーションロード)
コンセプトステージ(写真提供:イノベーションロード)

楽器・音響製品自体を見て・聴いて・触れて体験できることはもちろん、ヤマハのある生活の提案や、最新のテクノロジーを活用したイノベーションにも触れることができる。音楽という文化の「これまでとこれから」を「体験」によって利用者に感じてもらう場として機能している。

その中でもイノベーションロードマップは、圧巻だ。ヤマハがその歴史においてどのようなイノベーションを起こし、どのような事業展開を行ってきたのかを知ることができる一枚絵巻物である。1台のオルガンを原点に、その技術がさまざまな形で広がっていく過程が絵と文章で分かりやすく紹介されている。

イノベーションロードマップ
イノベーションロードマップ(筆者撮影)

イノベーションロードの主役となる楽器に関しても、ただ展示がされているだけではなく、楽器製作にまつわるピアノや管楽器などの匠(たくみ)の技を見ることもできる。ここでは、いかに一つの楽器が職人たちのこだわりと素晴らしい技術をもってつくられているかを実感できる。

またその製法を学びつつ、実際に楽器を演奏することも可能だ。世界三大ピアノの一つで、2008年からヤマハの完全子会社となったオーストリアのベーゼンドルファーのグランドピアノも展示されている。美麗な装飾が施されたこのピアノも試奏することが可能なため、日常では得られない貴重な体験をもたらしてくれる。演奏できる楽器はピアノにとどまらず、ギターやエレクトリックバイオリン、電子ドラムなど多岐にわたる。

ものづくりウォーク(筆者撮影)
ものづくりウォーク(筆者撮影)

そして、音に関する最先端技術も体験することができる。ヤマハが独自に開発したAI歌声合成技術(*VOCALOID:AI™)と、その応用で新たに開発したAI楽器音合成技術によって、AIシンガー、またはAIサクソフォン奏者とともに楽曲を演奏することができる「AI Artist Stage -AIとともに音楽をつくる」だ。流れている楽曲に合わせて、来場者が手の動きで強弱などの“盛り上がり”を指示できるようになっている。それに合わせてビブラートなどの音楽表現がAI技術によってリアルタイムかつ自然に表現され、本物の歌手が歌っているような体験ができるようになっている。現代における音楽の可能性の広さを実感することができ、このイノベーションロードでのみ体験できる技術である。

弾き手も聞き手も魅了するイノベーション

数多く展示されている楽器それぞれに個性があり、ヤマハが追い求めてきた感動を演出しているが、その中でもイノベーションロードの名前通りに、“イノベーション”を感じられる楽器製品がある。それがトランスアコースティックピアノとトランスアコースティックギターだ。どちらの製品にも、デジタル技術による機能を持ちながら発音はアコースティック楽器の方式で行う「トランスアコースティック™技術」が用いられている。

トランスアコースティック™ピアノ(写真提供:イノベーションロード)トランスアコースティック™ピアノ(写真提供:イノベーションロード)

トランスアコースティックピアノは、通常のアコースティックピアノとしての演奏も楽しめるのに加え、トランスアコースティックモードにすることで、電子ピアノ同様に多彩な音色も楽しめ、音量調節も可能になっている。

トランスアコースティックギターは、ギターの内部に「アクチュエーター」(加振器)を搭載することにより、アンプやエフェクターをつなぐことなくリバーブやコーラスといったエフェクトをギターの生音に付加することができる。ギターの生音とエフェクト音が一体となってギター全体で響くことで、ギターそのものだけでライブハウスで演奏しているかのような音色を出すことができる。

トランスアコースティック™ギター(写真提供:イノベーションロード)
トランスアコースティック™ギター(写真提供:イノベーションロード)
このように、楽器を演奏する感覚はそのまま、そのアウトプットをアップデートさせることで音楽の新境地を開拓するヤマハ。もちろんそのイノベーションはこれだけにはとどまらないため、ぜひイノベーションロードを訪れることで体感していただきたい。音楽にプレーヤーとして携わる人だけでなく、聞き手側の感動も創り上げる。音楽による感動体験を創造しようとするヤマハの姿勢をここでは実感できることだろう。

組織の壁を超えた“創造”

ヤマハの歴史と技術を存分に味わうことのできるイノベーションロードだが、ミュージアムとしての意義はどこにあるのだろうか。館長の伊藤泰志氏にお話を伺った。「イノベーションロードをつくった意図としては、組織の壁を越えた“創造”を生み出したいというものがあります。イノベーションロードがある21号館の新設とともに、点在していた技術者を集結させ、最新の実験室などを完備、既存の開発棟である18号館・20号館と合わせてイノベーションセンターと呼んでいます。3棟を渡り廊下などで接続することで組織間交流を図るとともに、イノベーションを創出し続ける開発拠点となっています。イノベーションロードに社員にも気軽に立ち寄ってもらうことで、先人たちのDNAを感じ取るとともに、新たなイノベーションのタネが生まれればいいな、と思っています。それによって音楽を通した『感動を・ともに・創る』という企業理念の体現に近づけるのではないかと考えています」と同氏は語る。

「ともに創っていく」というヤマハの決意を体現

ミッションとしては、ヤマハのブランド価値向上、社員モチベーションの向上、社会貢献という部分を担っており、過去から未来につながるヤマハの歩みを伝えることのできるハブスポットとしてコミュニケーションしていくことが、来場者のワクワクをつくることにもつながり、社会や社員とのエンゲージメントを深めていくことにつながると考えられている。

自社の歴史を重んじ、そのイノベーションの轍(わだち)を再確認することで新たなイノベーションを生み、社会やヤマハで働く人たちへと還元していく。そうすることで、音楽を通した感動を届けるだけでなく「ともに創っていく」という、ヤマハとしての決意を体現するのがイノベーションロードの意義なのだろう。

人生の豊かさやモチベーションを提供

では、イノベーションロードを開館したことによって得られた発見などはあったのだろうか。

「今は新型コロナウイルスの影響もあり、活動への制限もありますが、来場者には地元の方ももちろん多いですし、首都圏や中京圏を中心とした県外の方も多くいらっしゃいます。その中には、今はもう楽器をやっていないけれど、イノベーションロードでの体験によって音楽の素晴らしさを再認識いただき、また音楽に携わりたいと思ったと言っていただけることが多々あります。こういった声を頂けると、音楽を通して生まれる感動や情熱といったものが確かにあることを感じ取ることができますね。全ての人に対してではなくても、イノベーションロードが人生の豊かさやモチベーションを提供できる可能性があるのだと感じられますし、一企業市民として、できる限りそういった機会をつくっていければと思います」と伊藤氏は語る。

常にアップデートするミュージアム

最後に、今後のイノベーションロードの展望についても伊藤氏に伺った。「ヤマハブランドの向上を目指したミッションの体現が第一だと思っています。ヤマハは、サイレントピアノやトランスアコースティック技術のような、さまざまなイノベーションを世に送り出してきましたし、そこに対しての自負もあります」

ただ、と伊藤氏は言う。

「一方では来館される方に『こんな楽器があったんですね』と驚かれてしまうこともしばしばあり、まだまだヤマハの楽器の素晴らしさが知られていないという現実もあるんです。そういった状況をどれだけ変えていけるかは、やはり『体験』を通したコミュニケーションが重要だと感じています。イノベーションロードを通して知っていただくこと、その素晴らしい『体験』をさらに届けられるように、ミュージアムとしてのアップデートも行っていきたいと考えています。その先にヤマハの掲げるミッションや理念の達成を実現できれば、人々に対してイノベーションロードが『感動を・ともに・創る』強いきっかけの場になれるのではないかと思います」

体験が生み出す感動がエンゲージメントを創造

音楽という体験で、来場者の感動を創造し続けるイノベーションロード。そこには、企業の思いを形にし、伝播(でんぱ)させ、心を震わせ、来場者のエンゲージメントを深めるというパブリックリレーションズの本質がある。多くの感動を生み出すイノベーションロードは、これからも音楽文化に欠かせないミュージアムとして、ヤマハのイノベーションを発信し続けていくだろう。


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

人はなぜ、音楽というものに魅せられてしまうのだろう?という根源的なことを考えさせられた。日常にもし、音楽がなかったら……と考えると、ゾッとする。

言葉にならない感情を、人は花やお茶、絵やファッションなどに託す。そうしたものの多くは「視覚」に訴えるものだ。その中で、音楽というアートは「聴覚」を刺激する数少ないジャンルといっていい。でも、考えてみれば、風の音、鳥の声、川のせせらぎ、鹿威(ししおど)しのカコーンなど、あらゆる音でこの世界はつくられている。そうした一つ一つの音に励まされ、癒やされることで、人生は成り立っている。

「感動を・ともに・創る」は、そのことを端的に示した言葉だ。楽器をつくる者、奏でる者、それを聴く者。すべてのひとの思いが一つになったとき、「感動」が生まれる。それは、プロのアーティストによるコンサートでも、幼稚園児によるお遊戯でも、なんら変わることはない。

ヤマハといわれると、真っ先に思い浮かぶのがピアノだが、あれ、待てよ。オートバイとかモーターボートもあったよな。あれもヤマハだ、これもヤマハだ、となってくる。いたずらに事業を拡大してきたわけではない。「感動を・ともに・創る」を追求し、その「感動」に自社の持つ技術(ヤマハクオリティー、ヤマハウェイ)を生かすことはできないか、ということを追求し続けてきた結果なのだ。イノベーションとは、おそらくはそういうことなのだろう。答えは常に、己(おのれ)の中にある。

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