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Dentsu Design TalkNo.19

宇川直宏×佐藤直樹

「インディペンデント化するメディアプロデュース!!!」

2014/02/28

Dentsu Design Talk第107回(2013年11月26日実施)は、「インディペンデント化するメディアプロデュース!!!」と題して、話題のライブ・ストリーミング・メディア「DOMMUNE」主催の宇川直宏氏と3331 Arts Chiyodaのデザイン・ディレクターでもある佐藤直樹氏(ASYL)を招きトークセッションを開催した。グラフィック、映像、そしてライブストリーミングによるSNSメディアへと、メディアの変遷と共にダイナミックに表現を変え続ける宇川氏の発想の原点を探った。

(企画プロデュース:電通人事局・金原亜紀    記事編集:菅付事務所 構成協力:小林英治)
 
 
宇川直宏氏
宇川 直宏氏
映像作家
全方位的アーティスト
佐藤直樹氏
佐藤 直樹氏
アートディレクター
グラフィックデザイナー

 

半公共空間をメディアにする

最初に佐藤氏の近況からセッションはスタート。現在、秋葉原の廃校舎をリノベーションしたアートセンター「3331 Arts Chiyoda(以下3331)」の運営に関わっている佐藤氏。音楽家・大友良英氏の「Ensembles展」や漫画家・大友克洋氏の原画展「大友克洋GENGA展」などの開催により注目を集め、さらには民間運営のコミュニティースペースとしても成功を収めている。その成功要因として、佐藤氏は都市における「半公共空間」の重要性を語る。こういったイベントスペースは「外から人が入りやすいという状況を作らないと、中でいくら面白いことや突出したことをやっていても人は入ってこない」ことを指摘。「3331をちゃんとメディアにしていかないといけないので、本当にこれから」と意気込みを語り、セッションのメインとなる宇川氏の活動についての話に移った。

 

ソーシャルメディアが浸透した年、2007年

ライブ・ストリーミング・サイト兼スタジオという新形態のメディア「DOMMUNE」を運営し、現在までに2000番組、5000時間以上を非公開アーカイブとして記録している宇川氏は、はじめに、2007年に佐藤氏が手探りでUstream配信イベント「絵画部」を始めたことに触発されたエピソードからスタート。同時期に「ソーシャルメディアをどうやって動画の共有の現場として活かしていけばいいのか」を模索していたのだと振り返る。また、2010年を「ソーシャルメディアの元年」とした上で、2007年は「Twitterが急激に浸透していき、さらには徐々にライブストリーミングも浸透していき始めた年」と定義。そして「アンダーグラウンド・アーティストをメインストリームへと持ち上げるためにフロア自体をスタジオにしよう」というDOMMUNEの発想に行きついたと述べた。その発想の原点には「2年間活動拠点としていたオフィス兼クラブスペースの“Mixrooffice”が2008年に閉鎖したこと」「2003年より教授として教鞭をとり始めた京都造形芸術大学でのインタラクティブな配信授業を実験的に行い続けていたこと」という二つのきっかけがあったという。

 

DOMMUNEを始める契機となった「メディア概念の破綻」

宇川氏は、自身の活動において2009年以前と以降を「ビフォー」「アフター」と区切り、「メディアを立ち上げるタイミングということ以前に、2009年という時代に何があったかを着目してほしい」と語る。理由として、「STUDIO VOICE」「広告批評」「エスクァイア日本版』といったカルチャー雑誌が次々と休刊・廃刊に追い込まれた事象から、「従来の出版やテレビ番組、広告という概念やフォーマットが破綻していると気づき始めた年」であると振り返る。メディアが新たなパラダイムを迎えている中で、宇川氏は「こんなことしている場合じゃない」と直感し、これを機に「ビフォー」の表現を捨て、「アフター」の活動であるDOMMUNEへと移行したという。

宇川氏は自分が居続けるべきなのは「常に実験ができる現場」。そして、自分にとってDOMMUNEは「新たな目標のための実験を繰り返す現場として、自分が存在すべき居場所」なのだと語る。

 

現場を共有するという発想

さらに、宇川氏は「全てがバーチャルなのではなく、誰もが来られるスタジオという現場がある」こと、つまり「スタジオ=現場」であることがDOMMUNEの重要な要素であるという。そして、DOMMUNEは生身の身体が触れ合うフロア(会場)である「第一の現場」、偏在しタイムラインを覗きこむ人それぞれの視聴環境である「第二の現場」、そして会場と視聴者、宇川氏自身が交流するタイムラインであるTwitterという「第三の現場」によって構成されていると語り、「タイムラインという現場はどこで見ているかは分からないし、さらにスタジオにいる人がつぶやいてることもある。さらにはスタジオにいる僕自身もつぶやいている。そのような三つ巴になった現場には、この瞬間にしか存在しない“今”(空間を超えた現場)の表現が存在している」と語る。

また、佐藤氏はDOMMUNEがトークと音楽ライブの二部構成であることの重要性を指摘する。それに対し宇川氏は、多くのカルチャー誌が休刊になったことを受けて、多くの言説、文化の保存の役割をトーク形式の動画でやろうとしたのだと語る。また、DOMMUNEは視聴者のライブ感を重要視するため、インターネット上ではアーカイブの開放を行っていないが、唯一、山口県山口市のYCAM(山口情報芸術センター)でアーカイブを上映している。その理由について「第一の現場、第二の現場、第三の現場を飛び超え、身体をもう一度介在させ、顔を向き合わせて映像を共有しようという発想です。そこに訪れた人たちの距離感と身体を共有したいから」と説明する。

 

人はハプニングに魅了される

そして、宇川氏は「一体、人の欲望は何処に存在しているのか、人は何に魅了されるかを考えた方がよくて、その中の一つがハプニングなんです」とDOMMUNE最大の要素であるハプニング性について、その番組内事件の数々を映像を紹介しながら言及し、ハプニングを楽しむ土壌がDOMMUNEにはあること、生放送であることの重要性を説く。「通常のドキュメンタリー映画や一般のテレビ番組は、本質的に(ライブであっても)ドキュメンタリーとは言えないんじゃないか」と、偶発的出来事を同時体験する性質を持つDOMMUNEのような在り方が現代の“ドキュメンタリー”であると述べる。佐藤氏も「今までのドキュメンタリーは、編集されて作り手がコントロールしたもの。DOMMUNEは映像メディアが本質的に持っていたハプニング性、本来の意味でのドキュメンタリー性を備えている」と語る。2011年より幕張メッセで毎年開催され、数万人を動員するフリー・フェスティヴァル「FREEDOMMUNE」のような派生メディアも例に挙げ、宇川氏の活動はそのような実験性を含むため「一つの舞台だけで完結せず、他のメディアや表現への侵犯が発生せざるを得ない」のだと指摘した。

 

「啓蒙する広告」から「伝染する広告」へ

宇川氏は「FREEDOMMUNE」で電通が関わったレクサスとの革新的なコラボレーションを例に挙げ、「何度も商品名を連呼して刷り込みでレジまで誘導するという従来型の啓蒙の方法よりも、バズコミュニケーションのように、勝手に拡散していく伝染的表現手法が2000年代以降の潮流になっている」と、SNS普及以降の広告手法の軸の変化についても述べた。変化した原因として、インターネットの普及による情報のアーカイブで「レアな映像」が存在しなくなったことを挙げ、重要なのは「バイラル(口コミ)・ネットワークの中で何を見せれば宣伝的価値を見出せるのか」を真にソーシャルな視点で考えること、つまり、今この瞬間に出来事を体感し、それを共有することに「レア」の価値基準が移りつつあるのだという。さらに、Twitterのハッシュタグのような「自分が参入してもいいし、作り手になってもいいという隙のある記号」により受け手自身が、物語を作ることで、「できあがった物語を拡散させるだけではなく、受け手がそれぞれ再編集した物語を伝播させること」が可能になったと語った。

「不特定多数の人と今ここに立ち現れている映像を共有出来、その繋がりに感銘を受け合うことが出来る。このことの意味をもっとさらに掘り下げたくて、実験を続けている」という言葉でセッションを締めくくった。

 

(了)