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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.24

スポーツ文化の発展に貢献するアシックススポーツミュージアム

2023/03/08

シリーズタイトル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。

取材と文:垂水 幸子(電通PRコンサルティング)

日本を代表するスポーツメーカーアシックス。同社の発展史はアスリート一人一人の集合体であるスポーツ界の発展の軌跡に大きくオーバーラップする。実際に東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会でも陸上、野球、レスリング日本代表をはじめ、アメリカの円盤投げ選手バラリー・オールマンやバミューダのトライアスロン選手フローラ・ダフィーなど多くの国内外の選手の記録を支えた。本稿では、創業時からのあまたある製品とそれを着用した選手の記録を内外に訴求し、社名の由来となった創業哲学「健全な身体に健全な精神があれかし(ラテン語では“Anima Sana In Corpore Sano”)」を伝える、「アシックススポーツミュージアム」を紹介したい。

アシックススポーツミュージアム正面玄関(写真提供:アシックス)
アシックススポーツミュージアム正面玄関(写真提供:アシックス)

アシックススポーツミュージアムは神戸の人工島、ポートアイランドに位置する本社東館の中にある。創立60周年事業の一環として2009年に設立された。このミュージアムはスポーツが生み出す感動を伝え、スポーツ文化の未来に貢献する同社の発信拠点でもあり、入館料は無料となっている。地元神戸の小中学生が課外学習に訪れるほか、スポーツを研究する学生や、教育関係者も訪れ、コロナ禍前には株主の見学会も開催されていた。

また、これまで女子マラソンの高橋尚子さん、有森裕子さん、ラグビーのリーチ・マイケル選手など同社にゆかりあるアスリートなども多く来館している。館内に多くの著名アスリートがサインした大きなボードが掲示されているが、既に3枚目となっている。コロナ禍前の2019年まではこうした多様な人々を含め、毎年平均1万2000人が来館していた。

ミュージアムは1階の「アスリートフィールド」と2階の「ヒストリーフィールド」により構成されている。いずれの階も約450平方メートルほどで、製品だけでも常時約350点が展示されており、頻繁に入れ替わる。その大部分はアシックスがサポートするアスリートが着用したもので、直筆サインが書かれている。海外からの来館者に対応すべく英語、中国語による音声ガイドもある。同館では、2022年11月から和英対応のバーチャルツアーも始めており、コロナ禍でも遠方からでも展示物を見ることができる。

アスリートの超人的パフォーマンスとシューズでスポーツへの関心を喚起

1階の「アスリートフィールド」は、鍛え抜かれたトップアスリートのパフォーマンスを体感できるアトラクションのコーナーだ。アスリートの走りに合わせて光が走るLED速度体感システムや、138インチの大型ディスプレーの映像を通じて、彼らの高いパフォーマンスを体感でき、圧倒された来館者がアスリートやスポーツに興味を持つ仕掛けとなっている。100メートルスプリントでは9秒58という世界最高速を体感できる。

また、足元を見ると、フィールドにはマラソンの野口みずきさんの競技時の平均歩幅を示した足跡がつけられていた。野口さんは、身長以上の歩幅で走ったという。ジャンプするようなダイナミックなストライド走法で42.195キロメートルを走り通すのだ。このコーナーではそういったアスリートの超人的な能力を実感でき、アシックスファン、スポーツファンでなくても楽しめる体験が提供されている。

1階アスリートフィールド(写真提供:アシックス)
1階アスリートフィールド(写真提供:アシックス)

また、このエリアにはアシックスがサポートする多様な競技のシューズが展示されている。シューズ一つとっても競技や選手ごとに特徴がある。例えば、ランニングや短距離走用スパイクは前への移動のみ考慮されているが、バスケットボールシューズは横にも動きやすく、捻挫しないようかかとを保護するなどの工夫がされている。こうした競技や選手ごとのシューズの特徴を比較できるのも、来館者のスポーツへの関心を喚起する作戦だ。

シューズに秘められたアシックスと選手たちのヒストリー

2階の「ヒストリーフィールド」でも、同社歴代の契約選手が使用した製品を展示しているが、趣旨は企業理念や歴史の訴求となっている。その半分は「アスリートヒストリー」という、アシックスがこれまでにサポートした著名アスリートが使用したシューズなどの製品を、その選手の経歴や業績とともに陳列したコーナーだ。

2階ヒストリーフィールド内アスリートヒストリー(写真提供:アシックス)
2階ヒストリーフィールド内アスリートヒストリー(写真提供:アシックス)

2階の残り半分は、オリンピックなどの時代ごとのスポーツイベントや、当時のアシックス製品、それを履いた選手の偉業を順次見ていくことで、戦後のスポーツ発展史とアシックスの事業戦略や製品づくりにおけるスピリットを観取することができる「コーポレートヒストリー」の展示だ。同社の歴史的製品のシューズがメインに陳列されている。このコーナーは古いバスケットボールシューズの展示から始まる。

スポーツを通じた青少年の育成と戦後からの復興

アシックスは創業哲学 “Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神があれかし)”が社名の由来となっている企業であるが、戦後の混乱期である1949年の創業時は「鬼塚株式会社」という社名であった。創業者の鬼塚喜八郎(以下敬称略)は鳥取県出身で、もともとの姓は坂口であった。徴兵検査を受け合格し見習士官を経て将校となったが、一度も戦地に赴かず終戦を迎えた。

喜八郎は見習士官時代に同じ連隊にいた中尉の上田皓俊と懇意になった。その上田は喜八郎に、自分の身にもし何かがあったら、自分が養子になる予定であった神戸の鬼塚夫婦の面倒を見てほしいという言葉を残し、戦地で亡くなってしまった。喜八郎は、この上田の遺言を律儀に守り、代わりに鬼塚家の養子となったのであった。

当時の神戸・三宮や元町では空襲で家を焼かれて身寄りのなくなった青少年たちが非行に走っていた。ヤミ市には若者がたむろしており、喜八郎は「生き残った自分は日本をよくするために人生を送りたいが何をすればよいのか」と相当悩んだという。そこで軍隊時の仲間だった兵庫県教育委員会の保健体育課長である堀公平氏を訪ね相談した際に、古代ローマの「(もし神に祈るならば)健全な身体に健全な精神があれかしと祈る(べきだ)」という有名な格言を教えられ衝撃を受ける。当時、神戸にはゴムのシューズを作る会社が多かったことから、人の心身を健全にするスポーツシューズで青少年の現状を打破したいと考え、創業した。

そして、大企業に立ち向かうために事業を一点に集中する「キリモミ商法」という戦略で、製造が最も困難といわれたバスケットボールシューズの開発に着手し、1950年に第1号を発売。その後も改良を重ね、酢の物のタコの吸盤からヒントを得たソールにくぼみをつけたシューズを創業の翌年に作り上げた。それまで世になかったオニツカの画期的な製品である。

吸着盤型バスケットボールシューズ「チャンピオンタイガー」(写真提供:アシックス)
吸着盤型バスケットボールシューズ「チャンピオンタイガー」(写真提供:アシックス)

アスリートを第一に考える「現場主義」

アスリートの練習や競技の現場に赴き、選手やコーチとのコミュニケーションから課題を見つけ、アイデアを出して製品を作り上げていく。このアシックスの「現場主義」のDNAは、創業時から織り込まれており、科学的アプローチで進化していった。分かりやすいのはマラソンだ。NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」に見られたように、戦前から日本はマラソンに強く、創業当時も人気競技だった。

当時のマラソン選手は、「痛みに耐えて一人前」といわれ、マメが破れて足の裏が血まみれになっている選手も多かったらしい。鬼塚氏はマメができる原理を学ぼうと大阪大学の医学博士を訪ね、足で地面をたたく際に生じる衝撃熱と、靴の中で足が動いて発生する摩擦熱を冷やすために体中のリンパ液が集まり、水膨れ(マメ)ができることを知る。そして足裏が熱くならないよう、空冷式エンジンの仕組みを応用することを思い立つ。

空気が出入りできるように靴の爪先とサイドに穴を開け、ベロと呼ばれる甲の部分にも空気を取り入れる大きな開口部を設けた。さらに靴底の中央部を湾曲させて浮かせ、地面に足が着くとふいごの原理で靴の中の熱い空気を押し出し、湾曲した元の形に戻る際に外から冷たい空気が入って中を冷やすベンチレーション構造にした。

当時のマラソン選手が「魔法の靴」、と評したため、このシューズは「マジックランナー」と命名され人気を博した。オニツカのマラソンシューズはトップアスリートをターゲットとした同社の「頂上作戦」の象徴となり、1964年の東京オリンピックではマラソン含め、同社製シューズを履いた選手やチームなどが47のメダルを獲得。それ以降、日本のマラソン代表選手の多くは、オニツカのシューズを選ぶようになったという。

初代「マジックランナー」(写真提供:アシックス)
初代「マジックランナー」(写真提供:アシックス)

競技用マラソンシューズで差別化

その後、社名を「アシックス」と変えてからも快進撃は続く。1988年のソウルオリンピックでは同社製シューズを履いた男女選手が共に金メダル、1992年のバルセロナオリンピックでは金、銀メダルを獲得した。

当時、レース用であるマラソンシューズのカテゴリを持っていたアシックスは珍しい存在であった。ほとんどの会社はランニングシューズカテゴリの中に、マラソンレース用と一般用を設けていた。アシックスのマラソンシューズの商品数とローンチ頻度は他社をしのいでいた。人によって異なる骨や関節の並びといった体の特徴(アライメント)やランナーの走法などの特徴に合わせて適したシューズを開発していたからだ。

さらに選手の体の可動域などを計測し、トップアスリート一人一人に合わせて特注でシューズを作っていた。シューズとけがの関係は深いが、けがをしてアシックス製に乗り換えるという選手も多かった。こうして2000年代になっても、高橋尚子さんや野口みずきさんをはじめとする、多くの国内外アスリートの記録樹立を支えた。

高橋尚子さん着用シューズ「ソーティージャパン(特注)」(写真提供:アシックス)
高橋尚子さん着用シューズ「ソーティージャパン(特注)」(写真提供:アシックス)

科学的アプローチで一般ランナー向け製品を開発

トップランナー用シューズで培われた人体の研究は80年代以降、一気に増えた一般ランナーに向けたジョギング・ランニングシューズにも生かされている。アシックスは一般ランナー向けシューズでも世界に確固たる地位を築いた。アシックススポーツミュージアム・アーカイブチームの福井良守さんによると、走り方の特徴は個人差が大きい。

例えば、足がかかとから着地する時には、その衝撃を分散するためにかかとがわずかに内側に倒れ込むようになる「プロネーション」という自然の動きが出る。骨盤が大きくて足が長い人はそのプロネーションが大きく、傾きが大き過ぎれば膝や足首を痛めやすく、ランニング障害になりやすい。そのため、アシックスは走り方を3パターンに分類し、タイプに応じてけがが生じにくいシューズを開発し、一般ランナー向けラインアップも充実させている。

1985年に設立されたアシックススポーツ工学研究所では、「ヒト」を中心に捉えた科学的なアプローチから体の動きの特徴をあらゆる観点で詳細に分析をしている。1階の展示コーナーには、「ランニングシューズの8大機能」が掲げてあった。計測しづらいシューズのフィット性をはじめ、クッション性、グリップ性、耐久性、屈曲性、軽量性、通気性、安定性を全て数値化し、着用者ごとに計測して、そのランナーにとって最適なシューズを科学的アプローチで作り上げることができるという。マジックランナーから半世紀以上を経て、長距離を走るためのシューズはここまで進化しているのだ。

シューズの88大機能ボード(写真提供:アシックス)
シューズの8大機能ボード(写真提供:アシックス)

スポーツを通じた健全な青少年の育成による地域貢献

アシックススポーツミュージアムでは、ミュージアムの設立理念である「スポーツを通じた健全な青少年の育成による地域貢献」を実践すべく、これまでにさまざまなイベントの開催・協賛をしている。

例えば、小学生に地球環境を守る大切さの講義を行い、自宅にある不要になったスポーツウエアを回収し、世界の難民に送る取り組みである「スポーツ環境校外学習」や、Jリーグやなでしこリーグ選手のOBやOGなどが「夢先生(通称ユメセン)」となって、「夢を持つことの大切さ」や「仲間と協力することの大切さ」などを伝えていく活動を行った。

現在は現地およびオンラインでの「ミニチュアシューズワークショップ」も開催している。ここではシューズ製造時に出る端材で作られたシューズのパーツをのりでつなぎ合わせて立体化させ、約8cmの小さなシューズを作る。

デザインは本物のアシックスブランドのシューズと同じである。作りながらモノづくりの楽しさや、モノを大切にすることの大切さを体感できる。子どもだけでなく大人も楽しめる内容だ。アシックスの新入社員研修にもこのミニチュアシューズ作りは導入されており、九つのパーツを組み立て、シューズの構造を理解し、モノづくりの楽しさや難しさを学ぶという。

ミニチュアシューズ製作のワークショップも実施(写真提供:アシックス)
ミニチュアシューズ製作のワークショップも実施(写真提供:アシックス)

歴代シューズに見るスポーツが生み出した感動の歴史

アシックススポーツミュージアムはアスリートの身体研究を通じて開発され続けたスポーツ用具といういわば裏方からの視点で、トップレベルのスポーツの感動がどのように創り出されていったのかをスポーツの進化の歴史とともに再発見できる場所だ。まさにスポーツの感動を伝え、スポーツ文化に貢献するという、同社のブランディングに資する発信拠点となっている。意中のアスリートをスポーツ用具がどう支えているのか、ぜひ見に行ってほしい。


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

シューズといわれると、若者の、アスリートをイメージするが、決してそうではない。アシックスの創業哲学“Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神があれかし)”には、すべての人に向けられたエールが込められていると思う。老若男女、すべての人に、だ。それを、文字通り「足元」から支えてくれるのが、シューズだ。

スポーツは、特別な才能を持つトップアスリートだけに与えられるものではない。障がいがある人もない人もすべての人が「前を向いて歩む」ためのものだ。アシックスという企業は、そうしたポジティブな気持ちにエールを送ろうとしているのだろうと思う。

その喜びを支えたい、という気持ちが伝わってくるミュージアムだった。

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