loading...

電通報ビジネスにもっとアイデアを。

DENTSU DESIRE DESIGNが考える、「欲望理論」からのマーケティング再構築No.9

2022年ヒット作はなぜ“バズった”のか?4つのドラマ・アニメから視聴者の欲望を解析!

2023/04/13

DDD連載#9_メインカット
分析した4作品 ※「silent」「SPY×FAMILY」は第10回で紹介

本連載では、電通の新たな消費者研究プロジェクト「DENTSU DESIRE DESIGN(電通デザイアデザイン:以下DDD)」メンバーが、「欲望」を起点とした消費者インサイトへのアプローチ方法と今後の展開について紹介していきます。

DDDの分科会であるチーム「FUKAYOMI」(以降フカヨミ)では、多くの人を魅了したヒット作品の“深読み”を通じて、生活者のインサイトや、この先一般化しそうな価値観・欲望の萌芽(ほうが)を捉えようと試みています。  

今回は2022年にバズったドラマやアニメ4作品について“深読み”。フカヨミチームの濱窪大洋氏を司会   とし、チームメンバー4人が各自一作品ずつ、「Buzzビューーン!」(※1)のデータに基づいた考察を紹介します。

さらに「Buzzビューーン!」開発協力者の電通・谷内宏行氏による別視点からの考察を交え、バズの裏側にある視聴者のインサイトと欲望を2回にわたってひもときます。   

※1=Buzzビューーン!  
関東地区の一部時間帯のテレビ番組について、Twitter ユーザの反応をモニタリングし、AIによってその投稿を「量」「質」「層」の3つの次元で分析可能にした、ビデオリサーチが提供する調査システム。2023年4月から正式にサービスを開始しており、電通が技術協力している。
<目次>

「鎌倉殿の13人」は、主人公の“闇落ち”からバズが加速した

思わず投稿したくなる!視聴者の感情を揺さぶった3つのギャップとは

視聴者は、自分の想いを代弁してくれる意見やファンアートに
「RT」で“乗る”


視聴率よりバズが加速。語りたくなるドラマ「エルピス」

“面白いサスペンス”から“考えさせられる社会派ドラマ”へ、
視聴者の意識が変化


テレビとは異なる情報がネットにあふれる時代。その現実をどう描くか?
DDD連載#9_写真01
分析を行ったメンバー。後列左から濱窪大洋氏、谷内宏行氏、前列左から大野有実氏、佐藤尚史氏、白石正信氏、田辺敏輝氏。

「鎌倉殿の13人」は、主人公の“闇落ち”からバズが加速した

DDD連載#9_「鎌倉殿の13人」メイン画像
©NHK

濱窪:今回は個別作品の良し悪しに関する批評ではなく、昨年下半期のヒット作品におけるTwitterのバズを分析し、そこに表れる期待、感情を読み解くことで、現代のテレビ番組に対する視聴者の欲望や態度を考えていきます。   

谷内:今の時代、テレビ番組への反応も多様化しているのだと思います。例えば、視聴率はそれほど高くなくても、“バズる”作品があり、それがどういう現象かを読み解くのがテーマの一つですね。そこで、ビデオリサーチによる「Buzzビューーン!」という調査システムを用いて、Twitterでの視聴者の反応や動向について分析しています。

濱窪:今回分析対象とする作品はすべて“連続もの”なので、まず、バズの量や質が時系列的にどんな変化をしていったか。さらにバズを生み出した要因の仮説を立てつつ、各作品が視聴者のどんな欲望を刺激したのか、 そしてSNSにはどんな欲望が表れやすかったのかを読み解いていきます。
最初に、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」についての分析結果からお願いします。

佐藤:「鎌倉殿の13人」担当の佐藤です。本作は2022年に圧倒的にバズったイメージがありますが、実は中盤頃まではバズ的に突出した作品ではありませんでした。その量と質が一気に変化したのは、9月以降。物語の展開として、小栗旬さん演じる主人公の北条義時が“闇落ち”をした後です。ここから投稿が増加し、さらに内容の割合が “ネガティブ”に寄っていった点が特徴です。

ただし、この場合の“ネガティブ”は、「面白くない」といった作品自体に対するネガティブな評価の意味ではありません。「怒り」や「悲しみ」などの感情の発露、いわば“阿鼻叫喚”とも言えるツイートとそれに対応するファンアートであふれていき、大きなバズのきっかけになったようです。

DDD連載#9_図版01

濱窪:キーワードとしては“ネガティブ”に分類されるけれど、それが嫌だから見なくなるのではなく、興味を持つ人が増えた。怖いもの見たさのように、ネガティブな感情を楽しんでいる点が興味深いですね。

佐藤:では、なぜそうした感情が生まれたのか。「バズエッセンス」(※2)を時系列で見てみました。

※2=バズエッセンス
その番組の投稿の中でよく使われる「名詞+形容詞」の組み合わせ。番組に対し、何がどう話題化・評価されているのかを可視化するもの。

 

DDD連載#9_図版02

思わず投稿したくなる!視聴者の感情を揺さぶった3つのギャップとは

佐藤:バズエッセンスになるのは基本的に形容詞で、人の感情が吐露されやすい言葉です。つまりツイートとRT(リツイート)の源泉は、感情の揺さぶりにあり、本作においてそれは、以下の3つのギャップから生まれたのではないかと思います。

・ギャップ1「人生の理想と現実」
北条義時はもともと田舎の牧歌的な青年。けれど、源頼朝や父・北条時政の権勢と謀略を目のあたりにし、自らもフィクサーとして成長していきます。後半はフィクサーとなった義時が周りの妬み・恨みを買って孤独になり、最期は非常にさみしい死に方をする。

視聴者は自身の人生と重ね合わせてドラマを観る面があります。権力を手にしたフィクサー的な生き方に憧れもあったけれど、その結果闇深い世界で孤独に堕ちていく義時の様子を目の当たりにした時、率直な感情や考えを吐き出す先が、Twitterだったのではないでしょうか。

・ギャップ2「大河ドラマへの期待と裏切り」
われわれが大河ドラマを観る時、多かれ少なかれ期待しているのは「友情」「努力」「勝利」につながる内容、あるいはその逆で「成功からの転落」だと思います。しかし、同作で描かれたのはそのどちらでもありませんでした。

4月に佐藤浩市さん演じる上総広常がいきなりだまし討ちされた場面は、Twitterでの反応から見ても象徴的でした。脚本を務めた三谷幸喜さんがある意味“憎たらしい”のは、だまし討ちされる人物にあえて魅力的なキャラを与えているところ。視聴者は彼のファンになったのに突然殺されてしまい、その“裏切り”とも言える展開に「なぜ!?」「いい奴だったのに!」とつぶやかずにはいられない。そうした投稿へのRTも増えていきます。和田義盛という別の魅力的なキャラクターが殺された時には、想いの発露とも言えるハイクオリティなファンアートがたくさん投稿されました。

・ギャップ3「三谷幸喜さん流のシリアスとコメディ」
緊張感のあるシーンを描く時、間に笑いや穏やかなシーンをあえて挟むことでシリアスな場面を際立たせる手法は多くの脚本家が使っています。ただし三谷さんの場合は、そこで非常に現代的な、度が過ぎるコメディを入れ込んできます。

Twitterでも多くつぶやかれていて、個人的にも注目したのが「トキューサ」のネタ。主人公の弟・北条時房(ときふさ)の名前が言いにくいから、他の登場人物がそう呼ぶようになっていくのですが、その流れの中でテロップにまで「トキューサ」と出してきたんです。本来必要ない演出ですが、案の定Twitterでは「#トキューサ」が広がりました。これは間違いなく「ミーム」(※3)を狙った仕掛けです。

DDD連載#9_「鎌倉殿の13人」画面
©NHK
※3=ミーム(MEME)
SNSを通じてオンライン上で広がる“ネタ”や、面白い画像や動画が拡散されていく文化のこと。

 

視聴者は、自分の想いを代弁してくれる意見やファンアートに「RT」で“乗る”

佐藤:以上の3点から、「鎌倉殿の13人」でTwitterという装置を通し可視化されたのは、「こういう展開であってほしい」または「自分もこうなりたい」といった憧れの欲望と、「やっぱり平凡でいい」という現実的な欲望との“ゆらぎ”だったと考えています。

同作では視聴者に、憧れの裏側にある孤独を見せてインパクトを与えた。義時が手に入れた独善的な権力や富への欲、弱肉強食の中でシリアスにサバイブしてみたい欲をどこかで持っていた視聴者も少なくない。けれどその先にある「闇」をギャップとして鮮やかに描き出したことで、自分自身の現実に立ち返った時「一見平凡に見える今の人生もそんなに悪くないのでは」といった肯定につながり、安心感をもたらしたのではないでしょうか。

SNSは他人の生活と自分を比べたうえでの嫉妬心を可視化し、ルサンチマンを引き起こす装置のようになってしまう面もありますが、同作では逆に「結局普通がいい」といった思いを可視化させ、逆説を起こした点がポイントだと思いました。

濱窪:本来であれば、長く続く鎌倉時代を築いた主人公はヒーローのはずなのに、悲劇の人にしてしまった。その点が、偉くなることや収入を増やすことに執着するよりもQOLが高い生き方がいいと思っている人が増えてきた、現代の視聴者の気持ちにうまく合ったのかもしれませんね。

DDD連載#9_写真02

谷内:私が「鎌倉殿の13人」をバズ的に見て一番特徴的だと感じたのは、いわば “RTの覇王”だった点です。今話を聞いてすっきり腑に落ちたのですが、三谷さんは、思わず反応せざるを得ない演出やギャップづくりがとてもうまい。視聴者がファンアートや「#トキューサ」などを使って投稿・RTをしたくなる仕掛けが、作品内にちりばめられていた。それが結果的に、ツイート(投稿)に比べてRTが非常に多くなる状況をもたらした、ということだったんですね。

Twitter利用者がどういう時に「RT」をしたくなるかというと、自分自身では語らない(語れない)けど「やられた!」「ショックを受けた」という思いを伝えたい時だと思います。例えば凶悪事件にまつわるニュース系の投稿。自分自身の意見を表明するのは難しいけれど、このショックを誰かに伝えたいとRTが増える傾向にあります。三谷さんの脚本にもそういった「リアクション」を呼ぶ要素があったのではないでしょうか。

佐藤:なるほど。今すごく重要なキーワードがありましたね。自分の感情を誰かが言語化してくれたら、それに「乗る」という行為(RT)がTwitter上には生まれやすい。特にファンアートのようなビジュアルで分かりやすいものに乗っていく行為が、「鎌倉殿の13人」ではたくさん生まれたのだと分かりました。

DDD連載#9_写真03

視聴率よりバズが加速。語りたくなるドラマ「エルピス」

DDD連載#9_「エルピス」メイン画像
©️カンテレ

濱窪:一方で世の中に何かを提議し、アンチテーゼを示していた作品が「エルピス -希望、あるいは災い-」(以降「エルピス」)だったと思います。フカヨミチームの分析について、田辺さんお願いします。

田辺:「エルピス」を担当した田辺です。本作は、長澤まさみさん演じる、スキャンダルで落ち目になった女性アナウンサーと、眞栄田郷敦(まえだごうどん)さん演じるバラエティ番組の若手ディレクターが、とある連続殺人事件の犯人とされる死刑囚に冤罪の可能性があることに気づき、真実を追いかけていく物語です。

大きな特徴は、さまざまな意味での「リアリティ」が含まれた作品だったこと。昨年ギャラクシー賞の月間賞を受賞していますが、評価された理由に「放送局自身があえてメディアの内側に立ちはだかる壁の存在を描いた上で、政界や権力組織への厳しい視点を取り入れており、自虐的な観点を含めて攻めたドラマだったこと」が挙げられていました。

そんな「エルピス」に対する世の中の反応を、同じクールに放送されている他のドラマ作品と比べてみると、視聴率は決して高くないのですが、ツイート量は約12倍ありました。

DDD連載#9_図版03

谷内:「エルピス」はバズ量的に、突出して「ツイート」のボリュームが高いんですよね。「RT」ではない。私が同作のバズを見たところでは、「鎌倉殿の13人」がRTの覇王だとしたら、こちらはドラマ通の人たちが積極的に「語りたくなる」「本気でコメントしたくなる」“ドラマ通の覇王”だったと考えています。

 “面白いサスペンス”から“考えさせられる社会派ドラマ”へ、視聴者の意識が変化

田辺:「エルピス」への反応で私が着目したのは、「ポジティブ」「ネガティブ」「ニュートラル」と投稿の“質”を分けた内の「ポジティブ」の内容です。初回はポジティブ44%、最終回は47%ですが、その中のバズエッセンスに着目すると、実は同じポジティブでも明らかに意味合いが変わっていったことが分かりました。

以下は、第1話から最終話までバズエッセンスの上位を抜きだし色分けしたものです。

DDD連載#9_図版04

田辺:赤い枠は「面白い」という意味合いのワード。青枠が「正しい」、緑枠は「すごい」や「いい」などドラマに対する評価のワードです。第1話では明らかに「面白い」のワードが上位ですが、話が進むにつれ、上位ワードの中でも下の方に移動していく。そこで本作に関しては、サスペンスとして「面白い」とは別の感情を、途中から視聴者が持ち始めたのではと仮説を立てました。

青枠の「正しい」は第3話から登場しています。当時私もいち視聴者として、最初は謎解きの感覚で見ていたけれど、第3・4話くらいから徐々に変わっていきました。冤罪事件を追うために、テレビ局という組織の中で戦わなくてはいけない相手がいる。正しいことを求めるのは実は困難だという、現実社会そのものが描かれていることに気づくんです。

そこでドラマを観ているのか、現実社会を見ているのか、よくわからなくなる錯覚がこの「正しい」というワードに表れたのではないかと思います。つまり、“面白いサスペンスドラマ”から“考えさせられる社会派ドラマ”へと視聴者の受け取り方が変化していったことが見えてきます。

谷内:昨今、若い世代には「現実とフィクションが重なった感覚を楽しむ」傾向があり、リアルと虚構の境目を巧みにクロスオーバーさせた作品が好まれる時代になっていると感じます。「エルピス」の場合も、虚構として見始めたつもりのドラマに、途中から現実が混入してきて、視聴者の感覚がひっくり返されるような楽しさがあったように感じますね。それは、フィクションの中にリアルが溶け込んでくる「虚構性への裏切り」と言えるものかもしれません。

DDD連載#9_写真04

テレビとは異なる情報がネットにあふれる時代。その現実をどう描くか?

田辺:この投稿の推移をもたらした物語の特徴は、大きく分けて2つあると考えます。1つは現代社会における権力との闘いを描いているところ。テレビ局内で冤罪事件を取り上げていく上での対組織の戦い、それを突破したら今度は司法が壁となって現れ、さらに政界までも相手にしていくことになる。この点が視聴者の心をつかみ、ただの謎解きにとどまらない考察が増えていったのではないかと思います。

もう一つの重要な特徴は、谷内さんのおっしゃる「リアリティ」の部分。これは最終回にも大きく提示されます。サスペンスドラマの多くは勧善懲悪。謎が解けて犯人が捕まり大団円となりますが、このドラマでは冤罪自体は認められるものの、黒幕の不祥事は闇の中に葬り去られてしまいます。現実社会はそう一筋縄ではいかない、そう簡単に100%解決できるものではないという展開が視聴者にも「そうだよね」という納得感を与えたのではないでしょうか。

DDD連載#9_写真05

谷内:現代はテレビで語られる報道とは別にネットの報道やSNSがあり、視聴者はその両方に接しているため、「テレビの情報の外側にある情報」を持っている人もいます。この状況をどう受け止めるかが、今後テレビ番組を制作する上での一つのテーマだと思います。

「エルピス」では、平穏にバラエティ番組をつくっていた人々が冤罪事件に気づき、社会正義的なものに目覚めたことで、それまで平らな地平だと思っていた世界にある意味で裏切られます。それは、このドラマを見ていた視聴者の日常にもあること。ある報道に対して「でもこれネットではこう言われている」という状況がたくさんあるのだと思います。「エルピス」はそこをうまく取り込めたように思いますし、他の番組にも取り込める強さが求められていくように感じますね。

田辺:おっしゃるように現実に溶け込んでいくドラマのつくり方があって、そうした作品の方が、視聴者は自らの意見を発信しやすくなることが感じられました。以上から浮かび上がった欲望は「真実を知りたい、答えにたどり着きたい」という、人間の心の根底あるものだったのだと思います。そして、物語を通じてあらゆる障壁を乗り越え真実を追求する疑似体験をし、(登場人物が)目的を果たすために仲間と協力し合い答えにたどり着いたことで、その欲望が満たされ爽快感を得たのではないでしょうか。

同時にゆがんだ社会構造や大きな権力にあらがうことの難しさも、多くの視聴者が感じたのでしょう。現実では勧善懲悪は起こりえず、正しいことをしようとしても現代の社会構造や権力に対して個々は非力だ、と痛感した様子も表れた作品だったと考えています。

次回は、「silent」「SPY×FAMILY」の“深読み”と、そこから読み解くこれからのコンテンツづくりについてお伝えしていきます。

Twitter