なぜか元気な会社のヒミツseason2No.29
“世界初”酒蔵ホテル®️の「わがままな経営」とは
2023/06/27
「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく本連載。第29回は、酒蔵(さかぐら)に泊まり、酒造りの仕事を実体験できる「酒蔵ホテル®️」
というビジネスを長野県佐久市で立ち上げたKURABITO STAYという企業を紹介します。「酒蔵×ホテル×蔵人体験」といわれれば、日本酒好きは前のめりで話を聞きたくなるような企画だ。だが実現させるにも、企業として経営していくにも、話は簡単ではなさそうに思える。そんな酒蔵ホテル®️が、週末のみの営業で黒字経営。実践しているのは「わがままな経営」だと話す田澤麻里香社長。働く女性として自身が味わった経験から、一貫して「故郷である地域の可能性」「働き手の可能性」への視点が貫かれていた。
文責:宮崎暢(電通BXCC)
一度は離れた故郷・小諸へ
「現在、酒蔵ホテル®️のある隣の市、小諸で生まれ育ちました。当時はなにもないところと思っていて、とにかく平凡な故郷を出て東京へ行きたかった。ヨーロッパ文化への憧れがあったので、進学先の東京の大学ではフランス文学を選択しました。卒業後は、旅行会社へ就職。その後、食品会社のワイン営業部へと転職するも、思いがけずすぐに妊娠・出産をすることになりました。しばらくは埼玉で子育てをしながら専業主婦をしていました。そこへ小諸市が観光局を立ち上げるための人材募集を始めたんです。旅行会社経験者という条件が自分にぴったりだったので、すぐさま応募しました」
こう聞けば、一度は都会に出た女性が、出産を機に環境のいい場所で子育てをとUターン移住、という経緯を想像するが、それほど単純ではない。田澤社長をここまで連れてきたのは、出産後、専業主婦になり経験した「働きたくても働けない、悔しい思い」だった。
ママが働ける舞台を探して
田澤社長はこう話す。「食品会社のワイン営業部に転職したときまでは、自分の人生ややりたいことが順調に前へ進んでいるような気がしていたんです。周りからも、そこそこの評価をしてもらっていました。ところが、妊娠した途端、会社からの扱いが手の平を返すように冷たくなった。あなたに任せられる仕事はないと言われ、1日中、ワイングラスを拭いたり、雑誌の切り抜きをしたりしていました」
周囲へこれ以上迷惑をかけられないという思いと、会社からの退職を促すプレッシャーを感じ、転職後5カ月で退職せざるを得なかった。子供が1歳になった頃、社会復帰をと考えていたが、当時はどこも保育園は待機児童であふれ、一度仕事を辞めたママは復帰ができない状況になっていた。「男の人はパパになっても、仕事や出世に影響しませんよね?働く時間も独身の時と大きく変わらない。当事者になってよく分かりましたが、女性は違ったんです。タイミング次第ではママになった瞬間、一瞬で会社からの評価が下がったり、仕事がなくなったりする。これは、ショックでした。昨日も、今日も、私の労働生産性は変わっていないのに」
ママになっても、自分の得意を短時間で発揮できる働き方ができないのだろうか。社会へのそんな課題を強く感じていた時に故郷・小諸市での仕事と出会い、地域の観光に入り込んでいく。地元の人と話しながら体験ツアーを30本以上企画する中、日帰りではなく「宿泊」を伴う商品ができないかと考えをめぐらせていた。
そんな折に描いていた「酒蔵ホテル®️」のプランが、小諸市が主催した大会をきっかけに、ビジネスコンテスト「みんなの夢AWARD」の全国大会でグランプリを獲得する。賞金の一部と受賞によって決まった融資、国からの補助金が事業への夢の元手になった。ここからアクセルは一気に加速する。夢の舞台は、故郷の町にほど近い、長野県佐久市。どのような経緯でその地にたどり着いたのか、さらに話をうかがった。
人とのふれあいこそが、旅の彩り
「憧れのフランスを訪れ、地域の人々と交流したことも、大きな転機になりました。ワイナリー巡りを楽しんでいたところ、たまたま話をしていた地元の人に『あなたたちの国には“SAKE”という素晴らしい酒があるのに、なぜそんなに日本酒のことを知らないのですか?』と。そこでまず、ハッとさせられました」
田澤社長が訪れたワイナリーは、フランスの田舎にあった。でも、出会った人みんなが生き生きと地域の良いところを語り、まちづくりに積極的に関わっていた。なにより、自分たちの何気ない日常に豊かさを感じ、地域の文化や歴史に強い誇りを持っていることが深く心に残った。その経験が、のちの事業「酒蔵ホテル®️」につながっていく。
「ワイナリーの方は、皆さん、フレンドリーなんです。旅から帰って思い出すのは、現地の人とのふれあい。これこそが、旅の彩りなのだなあ、と改めて気づかされました」「泊まらなければ体験できないものって、何だろう?」と考えていた田澤社長の頭の中で田舎(故郷)、地の酒、旅、ふれあい、ママになっても自分らしく働ける場所……いろいろなことが重なり始めた。「週末限定の泊まれる酒蔵」という、“世界初”のわがままな構想は広がっていく。
1時間の100人より、100時間の1人を呼びたい
旅行会社で働いていた時、“あれもこれも”詰め込んだツアー企画を、安い価格でいかにたくさんの人に売るか、というやり方に限界を感じたという。有名スポットを短時間で回り、その土地を見たような気になって帰る観光客。周辺地域にはお金が落ちず、添乗員には少しの不手際でクレームが入る。そうした“マスツーリズム”に疲れる地域、疲れる社員を目の当たりにした。
「数を追う商売は命を削ると思ったので、数を追うツーリズムはやらないと決めました。1時間滞在する100人を呼んでも幸せにはなれない。100時間滞在してくれる1人を呼んだ方が経済的にも高効率だし、周りのみんなが気持ちよくビジネスに関われる」。100時間というのは1人が何度も訪れることを含めた考え方だ。地域にも、働き手にも、体験者にも心地よい宿泊体験を目指して、田澤社長は準備を進めた。
友が友を呼ぶ本物の日本酒造り体験
「たまたまのご縁で、お隣の佐久市の老舗酒蔵の敷地内にいい物件があることを知りました。今ではほとんど使われていない、築100年の建物です。ああ、ここなら、私が漠然とイメージした酒蔵ホテル、蔵人体験が提供できるのではないか?と直感しました」持ち主である橘倉(きつくら)酒造、酒造り体験を受け入れてくれる職人、行政、地元の方々への説得をすすめ、開業にこぎつけた。
当初からインバウンド客を意識していたのは、富裕層を呼ぶためですか?という問いかけに、田澤社長はきっぱりと、それは違います、と答えた。「インバウンドのお客さまをお呼びするのは、海外の方々から褒められたら、地域の人の自信につながるからです」。実際に訪れるのは、国内・国外を問わず日本酒に強い興味・関心のある方々だという。
「酒蔵ホテルに宿泊して、酒造り体験というニッチなものに興味を持って、それなりのお金を払っていただけるのは、いわゆるハイパー富裕層の方ではないんです。深い趣味でつながっている『類友』という方々。そうした方々の間の情報拡散力、おともだち力というものは、すごいんです。老若男女だけでなく、海外からのお客さまも含めて。よく言われますよね?『7回、友達の友達をたどっていくと、世界のすべての人を網羅できる』みたいなことが」。友が友を呼び、遠くブラジルからもお客さまが訪れるという。
「一人で泊まっても、独りにはならない」というお客さまからの声が、なによりうれしいのだと田澤社長。「ここでは本物の日本酒造り、本物の日本人の精神を体験してほしい。そのために、酒蔵ツーリズムはお祓い(おはらい)という神事を体験していただくことから始めます。酒蔵に入るときにネイルや香水は禁止です、といったことへもお客さまには事前にしっかりとご理解いただいています」
日本の文化や酒蔵へのリスペクト、といったものを共有できてこそ「類友」になれるし、地域にとっても「いいお客さま」になると信じているからです、と田澤社長は強調する。実際、本物の日本酒造りを体験したのち、再び蔵人として戻ってくるリピート客も多いのだという。
得意を生かせる会社と地域のために
週末だけの営業、しかも高価格帯のホテルを経営するそのスタイルを田澤社長自身は「わがままな経営」と呼ぶ。
「意識するのは、短時間で高い利益率を確保する、そのためにほかでは味わえない高い質のサービスを提供する。この2点です。売上高や社員数にはこだわっていません」。実際スタッフは、19歳から82歳まで。地元在住から週末に東京から通ってくる副業の女性まで、と幅広い。82歳の女性スタッフは、朝食の調理を担当している。田澤社長は「誰もが得意なことを生かせる場所をつくる」という視点で経営しているという。
KURABITO STAYでは、食事は朝食しか提供しない。酒蔵周辺の地域の魅力を存分に味わってもらうとともに、まわりのお店も活気づかせたい、という狙いからだ。
「蔵の閑散期である夏に、お客さまに喜んでいただけるには何ができるだろう?ということを今は、考えています。電動自転車で酒米が作られる田んぼをめぐって、佐久の風景とともにイメージをふくらませてお酒を楽しんでもらいたい。おおげさではなく、目標は収益をあげることではなく『地域づくり』なんです」
年齢・性別を超えて無理なく働ける場所をつくり、地域の自信につなげることを目指してきた田澤社長。従来の経営概念からすれば、週末しか稼働しない宿泊施設は「わがままな経営」と映るかもしれない。しかしいつかこうしたスタイルが“社会のふつう”になる日が来るかもしれない。田澤社長のお話から、そんな風景を佐久の自然と重ねて思い浮かべた。
KURABITO STAYのHPは、こちら。
「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく本連載。第29回は、酒蔵(さかぐら)の仕事を現場で実体験しながら、同じ場所で宿泊施設も提供する「酒蔵ホテル®️」というビジネスを立ち上げたKURABITO STAYという企業を紹介しました。
season1の連載は、こちら。
「カンパニーデザイン」プロジェクトサイトは、こちら。
【編集後記】
インタビューの最後に、「若者の○○ばなれ」という話題、よく取り上げられますよね。クルマばなれ、とか、テレビばなれ、とか。日本酒ばなれも、そうだと思うんです。そんな若者に対して伝えたい日本酒の魅力って、ズバリ、なんですか?と問うてみた。
編集部からの意地悪な質問に、田澤社長はこう答えた。「美味しいお酒の飲み方を教えてくれる大人がいないんでしょうね」
おいしいお酒が分からないんでしょうね、ではなく、おいしいお酒の「飲み方」を教えてくれる大人が減ってるんでしょうね、というあたりが田澤社長らしい。「日本酒は、お米を使って『平行複発酵』させることで造る、世界でただひとつの、私たちが誇りとすべき、素晴らしいお酒なんです。そのことに、もっと気づいてほしい」
平行複発酵とは、なんですか?という質問をするには、時間がなさすぎた。気になる方は、ウェブ検索していただきたい。本文にもあるが、私たち日本人は身近にあるものの価値をきちんと見極めていないことは事実だと思った。法隆寺を前にしても「なんだか古そうなお寺だな」みたいな反応でついつい終えてしまう。現存する世界最古の木造建築が、そこにあるという奇跡には気づかずに。