日本発!小さくても逆境に勝つ「小さな大企業」スモール・ジャイアンツNo.7
スノーピーク社長に聞く、世界に通用するブランドの作り方
2023/07/28
全国各地の規模は小さくても世界に羽ばたく企業を発掘する、グローバルなビジネス誌Forbes JAPANのプロジェクト「スモール・ジャイアンツ」。
多くのスモール・ジャイアンツたちが抱える悩みを解決すべく、Forbes JAPANは「オンライン師弟相談会」を実施。今回、「スモール・ジャイアンツ アワード2022-2023」でグランプリとなった筑水キャニコム(福岡県うきは市)の包行良光社長が悩みを相談する相手は、スノーピーク(新潟県三条市)の山井太社長です。
農業機械を手がける包行社長は、山井社長に「世界に通用するブランド戦略について聞いてみたい」と語っています。弟分社長の相談事に対して、懇々と語る山井社長ですが、実はブランディングについて包行社長に一本取られたと思うことがあるといいます。そこで出た逆質問のやりとりも必読です。
【筑水キャニコム】
1948年、現社長の祖父が包行農具製作所を創業。包行家のルーツは刀鍛冶。「草刈り機まさお」「荒野の用心棒ジョージ」など、ネーミングが特徴的な約50種類の草刈り機などを製造し、農機具メーカーとして徐々に事業を拡大させ、2022年の売り上げ高は87.7億円と過去最高に。従業員数は278人。2022年は53カ国に及ぶ海外企業との取引が事業の6割を占めるほど、輸出も活発に行っている。
【スノーピーク】
1958年、“ものづくりのまち”新潟県三条市にて創業したアウトドアメーカー。「自然と人、人と人をつなぎ、人間性を回復する」ことを社会的使命とし、キャンプ用品、アパレルの開発、国内外での販売のほか、地方創生、ビジネスソリューション等、幅広い事業を展開する。
「ブランディングを意識したわけではない」
筑水キャニコム・包行社長(以下、包行):キャニコムは1980年代には品質の高さを売りにしたOEMが主流でしたが、1989年にCI(コーポレートアイデンティティ)導入し、自社ブランドの強化を始めました。
2001年の北米進出をきっかけに海外進出するも10年ほどは鳴かず飛ばずの状況でしたが、2022年には海外の売り上げ比率が56%となり、半数以上が世界での販売に切り替わっているのが現状です。
スノーピークといえば、高品質でブランド力が高く、憧れがあります。山井さんがブランディングを意識されたきっかけや、どのようなことを心がけているのかをお伺いできますか。
スノーピーク・山井社長(以下、山井):ブランディングを意識してやっていたわけではないんです。僕自身がスノーピークの最大のファン、ユーザーの代表という立ち位置で、「会社はこうあった方がいいよね」という点を一つ一つ実行していく。これこそが、スノーピークというブランドを形作っていったと思います。
包行:スノーピークのハイブランドとしての意識は、先代から受け継がれたのではなく、山井さんが会社に入ってから身についたものなのでしょうか。
山井:父の代では登山用品を作っていましたが、登山用品は人の生命に関わるので、しっかりとした品質のものを作らなければいけません。そういった点では、父の残してくれた企業文化として、良いものをちゃんと作るという意識はあったと思います。
そして、僕がスノーピークに入ってから新しく立ち上げたのが、キャンプ用品事業でした。新しくおしゃれなキャンプ用品を一個一個こだわりながら作って、さらにシステムデザインなどの全般的な提案をしました。
山井:スノーピークの全ての商品には「永久保証」をつけており、耐久性には自信があります。
父が残してくれた企業文化を大切にし、自分のやりたいことを続けるうちに、スノーピークがブランドになったのだと思います。
包行さんも、お父さまのご所望を引き継いで頑張っていると思います。その点での立ち位置は僕と同じですよね。
包行:私の場合、会長である父がブランディングへのこだわりが人一倍強いんです。父のブランディングというのは「キャニコムはキャニコムとして変わってはならない」という考え方。
一方で、私は海外での売り上げを伸ばしたい、商品を海外でもっと広めたいという思いから、キャニコムを使って、新たにお客さまが使うものを創出していかなければならないと考えていました。
農業機械なら、単に運搬するだけではなくて、その足回りを使って肥料を撒くなど、作業機として新しい価値を加えて、新しいお客さまを創出するような手法こそが、新しいブランディングじゃないかなと考えています。
山井社長はキャンプブランドを自ら作る中で、次世代の社員に同じ思いを伝えていくのか、それとも、新しいマーケット創出のためには変化があっても良いという柔軟な考えをお持ちなのか、どちらでしょうか。
大きな使命のもと、全社員でアプローチ
山井:スノーピークは2014年頃まで、キャンプ用品の企画製造販売を生業としていました。他社の製品よりも圧倒的に機能が高く、デザインもよく、耐久性も高く、システムデザインされている商品を開発していました。そうやって、ファンの方々を一人一人作っていくようなビジネスを展開してきました。
今、スノーピークが何をやっているかというと、キャンプの力を使ってさまざまな事業を展開していくということです。
キャンプによって人間性を回復したり、 企業を活性化したり、さまざまな用途にキャンプの力が使えると考えて、事業に取り組んでいます。大きくいえば、本来キャンプが持っている社会的使命と可能性を広げていくことに取り組んでいるんです。人と自然をつなぐ、自然の中で人と人をつなぐ──そのような使命のもとに、何の縛りもなく、全社員でアプローチをしています。
僕は第2世代で、第3世代の社員たちも大勢いるのですが、彼らには特に広げていってほしいと考えています。
包行:確かにキャンプへの考え方はすごく変わってきているように感じています。私の場合、キャンプといえば、学校教育の一環として、虫と戦いながら「嫌々やるもの」のイメージがずっとありました。
大分県にあるスノーピークの奥日田キャンプフィールドでは、キャニコムの草刈機を使っていただいていますが、聞いた話では奥日田キャンプフィールドはスノーピークのキャンプ用品を利用することで付加価値が生まれ、キャンプ場の一般的な相場よりも高い値段設定ができている、と。ハイブランドとして納得した上で使っていただくのは勉強にもなるし、勉強になります。
スノーピークに聞く、世界での戦い方
包行:キャニコムは、国内の売り上げは農業人口の減少の影響もあり、横ばいもしくは年率販売が1、2%で減ってきているため、より海外展開が重要になってきます。スノーピークはアメリカのポートランドやロンドンに店舗をお持ちですが、世界で戦っていくための「ブランディング」についてはどうお考えですか。
山井:これからスノーピークの海外展開の主戦場は、アメリカと中国になると思います。その次にヨーロッパやオセアニアなどが控えていますが、どこであってもやることは変わらないんです。キャンプのカテゴリの中でも差別化された「おしゃれなキャンプ用品」を訴求し、キャンプフィールドをプロデュースし、日本のスタイルのキャンプやグランピングを浸透させることで、体験価値を向上させていく。
山井:アメリカではバックパッキングキャンプやキャンピングカーやトレーラーを引っ張っていくようなキャンプが主流で、日本のようにSUVや4WD、ワンボックスカーにキャンプ用品を積んで、家族で楽しむおしゃれなキャンプ場というのはあまりないんです。スノーピークは日本で1988年から今のスタイルのキャンプビジネスを展開してきましたが、これから同じことをアメリカや中国でも展開していかなければいけないと思っています。
包行:自分自身、電動機械を納めている国内のコテージに宿泊した時、雪の日でものすごく寒くて、どうやったらこの寒さをしのげるか、電波や電源が届かない場所でもキャンプができるようになるのかなど、新しいキャンプのスタイルを考えることがありました。
山井:キャンプにもいろいろなスタイルがあって、東日本では割と電源は使わず、西日本では電源サイトで電気カーペットを使うような方々もいらっしゃいます。15年くらい前までは、せいぜい湯たんぽを取り入れるくらいでしたが、今は冬の東日本では、シェルターの中にストーブを入れて暖かく過ごしているようです。時代とともに、キャンプのスタイルも随分と変わってきていると思いますね。
包行:キャニコムでもジェネレーター付きの機械を作ったことがあって、スモール・ジャイアンツアワードで紹介した「伝導よしみ」なんですけど。あれは元々電源が必要なキャンプ用品の運搬機として作ったんですよ。
山井:そうなんですか、知らなかった。
包行:最初はまるで売れなかったんですよ。でも、東日本大震災の時にちょっとだけ売れて、あとは結局、アメリカのトウモロコシ畑で一番売れたという。元々は、キャンプ場に持っていける機材を全部持っていき、その運搬ができる上にキャンプ場で電源となる機械として売り出したんです。
山井社長が「負けたな」と思ったこと
山井:正直、僕はブランディングで「この人に負けたな」と思うことはないんですけど、農機を買うお客さまとのコミュニケーションの仕方が、笑いも含めてすごく洗練されていますよね。これについては「めっちゃ負けてるやん」と思っているんです。
逆にすごく聞いてみたかったんですが、海外はどうなんですか。日本と同じようにコミュニケーションとして笑いを取り入れビジネス展開をなさっているのか、海外では割と真面目にやっているのか。
包行:半々ですね。アメリカは私が直轄の地域だったんで、とりあえず楽しいことやろうと思っているんですね。進出当初「ヒラリー」や「ブッシュカッタージョージ」という名前の機械があり、物議を醸しましたね。その時にちょうどヒラリー対ブッシュの選挙戦で結構センシティブなことをやっていたんですけど、まあすごく怒られました。
私は英語がそんなに上手じゃないので、2枚舌でいきました(笑)「ブッシュカッタージョージ」では、ブッシュ派の方には「カッター(=勝った)イズビクトリー」だと言って。
海外の営業先に「立ち乗りひろしです」というマルチ電動カートを持っていった時は、「これはどういう意味だ」と聞かれたので 「アズ ブラッド・ピット」と言ったり。なんだかんだ、私はアメリカに来て19年たつのですが、お前だから仕方ないというようなところに行き着きました。
山井:キャニコムのビジネス展開はグローバルでやった方がいいなと思っていて。そういったブランディングって普通なかなか成立しないのですが、包行さんのキャラクターもあって成立していますよね。
農業機械の中でも機能の差がいろいろあると思うんですが、「精神的価値」の方が、買う人にとっても、農作業をやる人にとっても魅力的なのかなと感じます。その精神的価値を買ってくださる方が、どんどん増えていくような気がしていて、その領域では圧倒的にキャニコムさんが勝ちそうだなと思っているんですよ。
ネーミングの妙は「キャニコムの専売特許」
包行:こんな海外への展開例もあります。「草刈機まさお」の場合、タイ、アメリカ、ヨーロッパではネーミングを変えていませんが、オーストラリアでは“イノシシ”を意味する「レイザーバック」と名付けました。われわれの「まさお」君は、動くとイノシシが草を食べるように見えるんです。
包行:「草刈機まさお」のままだと年間30台しか売れていなかったんですが、名前を変えると一気に年間600台売れるようになりました。スノーピークでは、海外展開時に製品名を変えることはありますか。
山井:うちは基本的に海外でも同じですよ。「ほおずき」というLEDランタンがありますが、それは「Hozuki Lantern」に。あえて日本語を流通させたいという思いもあります。
コーポレートメッセージの「人生に、野遊びを。」についても、アルファベット表記で「NOASOBI」という言葉をかなりたくさん使ってます。そちらの方が印象に残るということはありますね。
包行:「NOASOBI」ってすごくいいなと思います。
私たちは「義理と人情をお届けします」というスローガンを立てているんですが、義理と人情を「GIRI TO NINJO」とアルファベットで出したんですよね。そしたら、アメリカで「GIRL AND NINJA」(ガールと忍者)と誤認され、お前らはそんなものを売る会社かと言われてしまって。結局、「DUTY AND HUMANITY」と書き直したんですけど、これではとてもつまらない。
だから、「ものづくりは、演歌だ」というフレーズを使っていて、演歌という言葉は日本語で定着しているのですごく良かったです。演歌は「ジャパニーズソウル」だという説明をすることもあります。
私らの世代では、まだまだ先代の意向がものすごく強いんですけど、次世代では「もうネーミングなくてもよくない?」と言われてしまうのが怖くなってきています。
山井:ネーミングセンスはキャニコムさんの専売特許だから、ずっと続けてほしいと思いますよ。
不易流行っていう言葉がありますよね。キャニコムにとって変えてはいけないものが何で、変えていくと良いものは何か。次の代に渡すためにも、不易と流行については包行さんの世代でちゃんと整理されるといいですね。
さらに、包行さんは環境に配慮した地球人を増やしていくことができる経営者だと思うので、農業の世界を変えていくようなことを起こしていけると良いと思います。
包行:ぜひ一緒にお願いします。
山井:コラボしますか。ロードアパレルとかで。
包行:ライン名は「スノーピークマサオ」ですかね(笑)例えば、キャンパーの人も草刈りをやったり、植林ができたり。キャンプ x 農業機械で新しくできること、いろいろありそうです。
【オンライン師弟相談を終えて】
師からの言葉(山井社長)
包行さんの元気なパワーでブレークスルーを起こして、スモールジャイアンツのグランプリを獲得したことは、日本中のアトツギや中小企業の社長さんたちに、勇気を与えていると思います。
一般的には、工業製造業界には、真面目でマニアック、テクノロジストやエンジニア気質でコミュニケーションが得意ではない会社も多いと思うんです。その中で、キャニコムはコミュニケーションに笑いがある。一方で、工業製品としての品質の高さ、工場に投資なさっている製造業としての質の高さを両立している点がすごいと思います。
その両面を失わずに、工業製造業として他社よりも圧倒的にいいものを作り、コミュニケーションで笑いを取るような経営を続けてほしいです。先輩として僕にできることがあったら、いつでも気軽に言ってくだされば、九州にも行きますし、三条にも来てほしいなと思います。
弟分社長の学び(包行社長)
自分自身、がむしゃらにやってきたままのスタイルで突き抜けていいのかという悩みがありました。
ハイブランドとは何か、それにどんな信念があるのか。山井社長との対談で、学ばせてもらいました。より励みになり、また世界で戦える武器になったと思います。
「世界に向けてより洗練されたものづくりと演歌を世界中に届ける」。私の使命として鷹の様に羽ばたくつもりです。三条に草刈りに、キャンプに行きますので、その際はまたご指導をよろしくお願いします。
文=督あかり 企画=笹川真(電通)