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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.30

花王ミュージアムが伝える“清浄”の文化史と“正道”の志

2024/01/17

PR資産としての企業ミュージアムのこれから

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について考察したい。

花王の本社は東京・日本橋茅場町に位置するが、東京にもう一つある事業所が、墨田区文花の「すみだ事業場」だ。現在、花王の研究開発・事業・サプライチェーン・管理部門等が入っている。JR亀戸駅から徒歩圏にあるこのすみだ事業場内に花王ミュージアムはある。本稿では、このミュージアムが果たす役割について考察していく。

取材と文:齊藤国浩(電通PRコンサルティング)

花王のすみだ事業場/花王ミュージアム 外観 (写真提供:花王)
花王のすみだ事業場/花王ミュージアム 外観 (写真提供:花王)

生活者との距離の近さを重視

花王のすみだ事業場は1923(大正12)年に吾嬬町工場として操業を開始し、2023年8月に100周年を迎えた。すみだ事業場内の東京工場は、2023年1月から新たな事業や挑戦に向けた支援を行う「インキュベーションセンター東京」として改称始動し、「人と社会と地球にやさしいモノづくり」の拠点へと変革を推進している。さらに同事業場は、地域に開かれた広場の新設、災害時の一時滞在スペースの整備、廃PETを活用した高耐久舗装や太陽光発電の活用による環境負荷低減などで、墨田区とも連携したまちづくりや防災に取り組んでおり、地域社会に貢献し、親しまれる事業場を目指している。

大手グローバル企業で東京都内に研究施設と工場を併せ持つ企業は数少ない。生活者に密接したさまざまな製品を生み出す花王が、生活者に近く、メディアの拠点が集中する大都市圏で、生活者と交流しながら、情報を発信し、新たなプロダクトを生み出すために、このすみだ事業場に研究・生産拠点を置いている理由が理解できる。

また、すみだ事業場は全国に10カ所ある花王の工場のうち、最も古い工場となっている。創業期には新宿にあった製造工場は、主力製品の「花王石鹸(せっけん)」の売り上げ伸長に伴い、1896(明治29)年4月に本所区(現在の墨田区の地)に移転した。その6年後の1902年には向島請地町に新工場が竣工、さらに1922年、吾嬬町に新工場が竣工し、翌年の1923年に操業を開始した。しかし移転が完了した翌日に関東大震災で被災し、甚大な被害を被った。それでも社員総出の復旧活動により20日後には花王石鹸の生産を再開した。荒川と隅田川に囲まれたこの地では、水運の発達とともに、工場からの流通力も増し、花王の事業は発展していった。

「花王ミュージアム」は、2007年1月に、すみだ事業場内にあった『花王「清潔と生活」小博物館』(1990年10月開館)をリニューアルする形で開館した。花王に創業以来受け継がれている社会貢献を大切に考える精神や、花王の誕生と成長の背景となっている日本の「清浄文化」を伝え、歴史を通して未来をどうつくるかを考える場を人々に提供したいという思いで運営されている。そして同館は、花王の企業活動が多角化し、複雑で分かりにくくなっている今、企業活動の全体像を歴史的な流れの中できちんと位置付け、消費者・取引先・従業員に理解してもらうための「コミュニケーションのハブ」となることを目指している。現在の花王は、ハイジーン&リビングケア事業、ヘルス&ビューティケア事業、化粧品事業、ライフケア事業、工業製品を製造するケミカル事業など、BtoCからBtoBまで多角的にビジネスを展開している。一般生活者にとって、その全体像を理解する機会はなかなかない。広大な面積のミュージアムと多くの収蔵品に、創業から136年の歴史の厚さがうかがえる。

花王ミュージアムはコーポレート戦略部門コーポレートカルチャー部に所属。花王の広報資産として機能し、同社の企業精神・文化を社内外に伝えている。現在は、経営戦略上重要となっている社員活力の最大化に貢献することを目的に、花王グループの社員の見学機会を増やしたり、花王史を通じて社員に花王の精神を理解してもらう活動を強化したりしている。コロナ禍には「手洗い運動1932(昭和7)年」の展示を加えた。当時から衛生習慣の啓発を行っていた企業姿勢を、驚きをもって受け止めている社員も多くいたそうだ。同時に、ESG経営の源流がどこにあるかなど、経営理念をより深く理解できた、という声もあり、社員のエンゲージメント強化にも寄与している。

その他に、取引先や官公庁、共同研究を行う大学関係者、学校等の団体、一般の生活者などの多様な見学者を受け入れている。海外渡航上の制限がなくなったことをきっかけに、海外の取引先や海外グループ会社の社員の来館も増えているようだ。

コロナ禍前の2019年の年間来館者は約1万8000人。コロナ禍での閉館や人数制限の影響で2020年以降は来館者数が落ち込んだが、2023年後半は回復傾向で、2007年の開館から2023年7月までの累計では25万人を超えた。見学はミュージアムスタッフが説明員として随行する形式。一部の展示物では、日本語のほか英語・中国語にも対応しているなど多言語対応もされている。

本稿の取材に際しては、花王ミュージアムの冨士 章 館長に解説していただいた。35年余にわたり花王に勤務されており、アメリカでの商品開発や花王パーソナルヘルスケア研究所長なども歴任した、花王を深く知る人物である。

今回案内していただいた、コーポレート戦略部門 コーポレートカルチャー部 花王ミュージアム 冨士 章 館長(筆者撮影)
今回案内していただいた、コーポレート戦略部門 コーポレートカルチャー部 花王ミュージアム 冨士 章 館長(筆者撮影)

清浄文化からの花王の歴史、そして未来を展示

花王ミュージアムを語る上で欠かせないキーワードのひとつは「清浄」だ。花王のメーカーとしての原点は、1890年に発売され、当時としては高品質かつ手の届きやすい価格で国産せっけんブランドの地位を確立した最初の自社製品「花王石鹸」である。

花王ミュージアムには3つのゾーンがある。一つ目の清浄文化史ゾーンでは、人類の歴史の中で清浄文化がどのように誕生したかということと、日本史の中での清浄文化の発展を紹介し、その流れで明治期の花王創業の背景につなげている。

まず、古代メソポタミア文明の記録や収蔵品によって、当時の人類がすでにせっけんを有していたことを紹介している。ローマ帝国時代の展示に進むと、ローマではカラカラ浴場などに代表されるテルマエ(浴場施設)が建設され、市民が体を清潔に保ち、入浴を楽しむ文化があったことが分かる。

日本では、「日本書紀」に登場する大海人皇子(おおあまのみこ)が、壬申の乱で背中に矢を受けた際に、蒸し風呂で傷をいやしたという伝承が残っている。江戸時代になると、江戸のまちには、多摩川の上流から上水がひかれた。地下水路がはりめぐらされ、上水井戸から、きれいな水を得ることができた。排せつ物は直接川に流さず、厠(かわや)で回収されて肥料として再利用された。洗濯でも、台所で出る灰に水を通して、自家製の洗濯液としていた。このような、物質を再利用する「もったいない精神」は、清浄文化とつながり、今日の日本人のきれい好きな国民性をつくったともいわれている。

花王の歴史

二つ目のゾーンでは花王の創業から現在に至るまで、決して平坦(へいたん)ではない歴史を紹介している。歴史のトピックスを通じて、今に通じる花王の企業理念や商品開発の考え方を知ることができる。

1887(明治20)年、長瀬富郎は、23歳のとき日本橋馬喰町に、せっけんや歯磨き粉など日用品を扱う長瀬商店を創業した。当時のせっけんといえば、高価で高品質な舶来品か、安価で粗悪な国産品しかなかったが、手の届きやすい価格で良質な国産せっけんを作ることを考えた富郎は試行錯誤を重ね、1890(明治23)年「花王石鹸」を完成させ、発売した。せっけんを十数枚の説明書きと品質保証書で包み、桐の箱に収めることで、高品質なせっけんだということを印象付けた。この「花王石鹸」がヒーロープロダクトとなり、その後の企業・花王の姿をつくっていくことになる。

1890年発売 花王石鹸(桐箱入り)(写真提供:花王)
         1890年発売 花王石鹸(桐箱入り)(写真提供:花王)

  ちなみに、「花王」という名称は富郎が考案したものである。顔に使用することができ、香りも良い高級せっけんであることを印象付けるため、当初は顔の発音に通じる「香王」で商標登録を出願した。しかし、ゆくゆくは販売エリアを中国などアジア圏にも広げていくことを当時から考えていた富郎は、中国で縁起が良いとされる「花」が、庶民でも読みやすく、書きやすいと考え、発売時には「花王」に改めた。約130年前のブランド名が今なお受け継がれていることを考えると、当時からグローバルな視座で普遍的な価値を見いだすクリエイティビティを持ち合わせていたと言えるだろう。

48歳の若さで亡くなった先代の後、1927(昭和2)年、息子で父と同名の二代長瀬富郎が社長となった。社長就任時には、「企業経営の目的は、社会的使命を果たしながら、社業を拡大していくこと」と語っている。これは今のCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造/本業での社会貢献)と同じ概念を語っており、花王ミュージアムを訪れる来訪者が、現代につながる経営思想に驚かされる展示になっている。

二代富郎は、彼の社長就任時まで約40年間、発売時に近い姿で続いていた「花王石鹸」ブランドを、大きく刷新する変革者にもなった。社長就任後すぐに欧米を視察し、せっけんの製造方法の近代化を図る。ヨーロッパの最新設備を輸入するなどして改良を重ね、1931(昭和6)年新装「花王石鹸」を発売した。より高品質で低価格、そして包装デザインも斬新なものとなり、一般家庭にもせっけんが一気に広がっていくことになった。ロングセラー商品の大改革により、せっけんの流通量が一気に増えて、日本の生活者の衛生環境の向上に大きく貢献した。

またこのゾーンでは、1960年前後、高度経済成長期を支えた、昭和の団地の一室での生活を再現した展示も見ることができる。UR都市機構(旧日本住宅公団)の協力で再現されたこの部屋は、ミュージアムの目玉のひとつであり、当時画期的だったダイニングキッチンと呼ばれたスタイル、水洗トイレ、風呂場などの実物を見ることができ、日本の高度経済成長期を知る来館者のノスタルジーを駆り立てている。当時の花王製品も展示されており、高度経済成長期の日本人の生活や文化の向上に寄り添い、新しい生活スタイルのニーズに合わせた商品を提供してきたことを伝えている。

1960年代の団地での生活を再現した展示(写真提供:花王)
1960年代の団地での生活を再現した展示(写真提供:花王)

花王ミュージアムが伝えるフィロソフィ

「天祐は常に道を正して待つべし」。歴史ゾーンの最後に飾られている、花王の創業者・長瀬富郎が残した言葉である。「勤勉に働き誠実に生きる人々こそが幸運をつかむことができる」という彼の考えを示している。

この考え方は現在も、花王の企業理念「花王ウェイ」に「正道を歩む」という表現で引き継がれ、グローバルに展開する花王グループの3万5000を超える社員に深く浸透。企業理念「花王ウェイ」では、企業のパーパスも表現されている。「豊かな共生世界の実現」がそれで、花王が創業以来大切にしてきた、さまざまな社会課題の解決や人々のくらしの向上に貢献したいという志が表現されている。

花王の創業者・長瀬富郎が残した言葉「天祐は常に道を正して待つべし」(筆者撮影)
花王の創業者・長瀬富郎が残した言葉「天祐は常に道を正して待つべし」(筆者撮影)

花王の今と未来

最後は、コミュニケーションプラザというゾーンで、花王の最新の活動、よりよい未来のための活動について紹介している。

例えば、環境問題への対応として、廃PETを有効活用し、アスファルト舗装を高耐久化する改質剤「ニュートラック」の紹介がある。アスファルトに約1%添加するだけで、従来のアスファルトの何倍も耐久性が上がるという。将来的に導入が進むと考えられている自動運転では、車が道路の同じ場所を通ることになるため、その場所が削れてわだちになりやすくなり、アスファルトの補修が頻繁に必要になることが懸念される。その補修頻度を低減することが、環境負荷の軽減にもつながると考えられる。

このように、これまでの花王を形づくってきた過去の製品から、現在、そして未来の社会につながる花王の研究・商品開発までをミュージアムでは見ることができる。

コミュニケーションプラザ(写真提供:花王)
コミュニケーションプラザ(写真提供:花王)

大都市東京に存在する企業ミュージアムの意義

花王は2009年に策定したコーポレートスローガン「自然と調和する こころ豊かな毎日をめざして」を2021年に改定し「きれいを こころに 未来に」を掲げた。新たなコーポレートスローガンでは、花王が社会に提供すべき具体的な価値を「きれい」という言葉で表現している。

冨士館長は「地球をきれいに保つこと、危害をきれいに消し去りいのちを守ること、みんなが笑顔で暮らせるきれいな生活を創ることで、世界中の人々のこころ豊かな未来に貢献していく。花王は、この新しいコーポレートスローガンを軸に、さらに一段高い社会への貢献を行い、豊かな共生世界の実現をめざす」と、花王のパーパスを語る。

冨士館長は続けて「せっけんの販売、そして製造から始まった花王にとって、『きれい』という概念は、生活者に届ける価値であり、企業理念とも深い関係があり、日本発の企業としての存立基盤の一角をなしていると考えている。花王は『豊かな共生世界の実現』をパーパスとしており、生活者だけでなく地球もステークホルダーと考えて、共生していける世界の創造をめざしている」と語った。

このパーパスを伝えている花王ミュージアムは、事業が多角化し、ステークホルダーの多様化も進む今日において、花王が世の中に提供するプロダクトや広告とともに生活者に強く訴えかけ、ステークホルダーエンゲージメントを強化する重要なコミュニケーションメディアといえる。オウンドメディアとしては、一度に情報を伝えらえれる人数は限られているが、大都市東京に、研究施設やインキュベーションセンターとともに存在することにより、未来へ向けた花王のメッセージを強く発信する場ともなっている。

花王ミュージアム エントランス(写真提供:花王)
花王ミュージアム エントランス(写真提供:花王)

【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

「清潔な暮らし」と言われると、そんなもの、当たり前のことだろうと思ってしまう。が、ひとたび災害に襲われたら、どうなるか。「清浄」という「正常」が、いかに大切なものであるか、を思い知らされる。「当たり前」のことを「当たり前」に提供すること、提供しつづけることが、いかに難しいことか、尊いことか、ということを、花王ミュージアムは教えてくれる。

人間が、人間らしく、つまり、他の動物とは違う暮らしをしていることの根本には「清浄」という理念があるのだと思う。生きていくためには「汚いこと」とも向き合わねばならない。でも、そうであっても「きれい」でいたい、と願うのが人間というものだ。その「きれい」を情緒的、あるいは文学的なことではなく、具体的なモノで示してやろう、という信念が花王という企業には貫かれている。「正道」とは、つまりはそういうことなのだ、と思った。

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