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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.31

経営の根幹“京セラフィロソフィ”を伝承する稲盛ライブラリー

2024/02/19

企業ミュージアム連載タイトル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について考察したい。

戦後日本を代表する名経営者、故・稲盛和夫氏(以下、敬称略)。京セラグループを売上高約2兆円、KDDIグループを売上高約5兆7千億円(いずれも、2023年3月期)に成長させ、経営破綻した日本航空の再建を果たして“経営の奇跡”といわれた。希代の名経営者が最も称賛されるのは“人間性を高めることで、事業を成功させる”という一見不確実に思えることの確実性を実証し、偉業を成し得たことだ。

本稿では、「思想家」としての稲盛和夫が考え抜いた末に帰着した“人として大切なこと=京セラフィロソフィ”の具体的行動を体感し、京セラが目指す企業人、リーダーのあるべき姿を伝承する「稲盛ライブラリー」の果たす役割を考察したい。

取材と文:櫻井暁美(電通PRコンサルティング)

“京セラフィロソフィ”希薄化の危機感から開設

京都の南東部に位置し、桂川、宇治川などの良質な水に恵まれ、古くから酒造業や農業で栄える京都市伏見区。先進的創造都市づくりを掲げる高度集積地区「らくなん進都」の中心に、京セラ本社と稲盛ライブラリーはある。ライブラリー開設の目的は「創業者 稲盛和夫の人生哲学、経営哲学である京セラフィロソフィを学び、継承すること」だ。この創業者の精神をベースにさらなる成長を続ける企業でありたい、という思いを込めた。

京セラ本社に隣接した8階建ての稲盛ライブラリー(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
京セラ本社に隣接した8階建ての稲盛ライブラリー(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

ターゲットは京セラグループの全従業員のほか、世界の経営者、ビジネスパーソン、学生など。特に海外からの訪問客が多く、年間2万人の来場者のうち40%を外国人が占める。パンフレットは、日本語のほか、英語、中国語(簡体字)、韓国語のものをそろえている。ガイド2人、学芸員2人を擁し、10人以上の団体にはガイドが付く。運営は、コーポレート総務人事本部 稲盛ライブラリーの研究課、オペレーション課が担当している。一般の見学以外にも、他の企業や地方自治体の依頼を受けて、稲盛哲学を学ぶ研修も実施しているほか、京セラの社会活動推進課と連携し、地域のウォーキングイベントの休憩場所として提供するなど、地域活動にも積極的に参加している。

稲盛ライブラリーは、2002年、当時の会長・伊藤謙介の発案によって、従業員の研修施設の一部として旧本社(京都市山科区)でスタートした。2013年に、現在の京セラ本社隣りの、改修した8階建てのビルに移設され、同時に一般公開された。ちょうど稲盛が日本航空から戻ってきたタイミングに重なり、旧本社にはなかったKDDIや日本航空の資料も加わった。1階から5階が展示フロアとなっており、収蔵する資料、展示物、画像データ、動画データは計16万6000点に及ぶ。

稲盛本人は、自身の功績を紹介する、ということにためらいがあった。しかし、京セラの創業前に稲盛が勤めていた松風工業を一緒に退職し、創業に参画した伊藤には「フィロソフィが希薄化した時、京セラの命運は尽きる。これを継承していかなければならない」という危機感があり、ライブラリーの必要性を訴えた。最終的には稲盛も、自身の軌跡や資料類を公開することで後進の役に立つのであればと考え、創設に至った。伊藤は1994年の創立35周年記念には、手のひら大の「京セラフィロソフィ手帳」も発案し、全従業員に配布している。

創業者 稲盛和夫について

稲盛和夫は1932年、鹿児島の印刷会社の次男として生まれ、12歳の時に、死病といわれた結核に感染し回復するものの、旧制中学、大学の受験に失敗するなど挫折を重ねた。入学した鹿児島大学工学部では優秀な成績をおさめたものの就職難で、先生の推薦でようやく“つぶれかけたような”松風工業という京都の碍子(がいし)会社に就職。5人いた同期は次々と辞めていき、残った同期と自衛隊に転職しようと試験に合格するも、退職に反対する兄が必要書類を期日までに送らず、稲盛だけが松風工業に残ることになった。

京セラ創業者 稲盛和夫(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
京セラ創業者 稲盛和夫(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

開き直って仕事にまい進するうちに良い研究成果が表れるようになり、仕事を好きになる。するとわずか1年半で、世界で2例目となる「フォルステライト」という高周波絶縁材料の合成に成功。フォルステライトは、当時需要が急増していたテレビのブラウン管に使う絶縁用部品「U字ケルシマ」の原料として使用されていた。松風工業は、欧米からの輸入に頼っていたU字ケルシマの製造を松下電子工業(現・パナソニック)から依頼され、フォルステライト磁器の開発に乗り出していた。

その後、上司との衝突がきっかけで会社を辞めた際、かつての上司である青山政次とその友人らが会社設立の資金を工面。300万円の資本金と宮木電機製作所の専務・西枝一江が自宅を担保にして借り入れた運転資金1000万円を元に、京都セラミック(現・京セラ)を起こす。1959年、稲盛27歳の時だ。自分を信じ、チャンスをくれた支援者たち、従業員、その家族の期待に応えようと昼夜関係なく研究にいそしみ、また経営を学んだ。将来の待遇保障を求める従業員の要求や、技術開発の壁に何度もぶつかりながら、大手企業の基幹部品を受注するまでになり、目覚ましい勢いで会社を成長させる。こうした歩みの中で生み出したのが、独自の経営哲学であり、“売上最大、経費最小”を促し、小さな組織で独立採算制を敷く“アメーバ経営”だ。

1984年、稲盛は、「通信業界は、複数企業が参入し、健全な競争市場があってこそ、料金が下がりサービスが向上され、それこそが国民社会のためになるはずだ」という信念のもと、“動機善なりや、私心なかりしか”と何度も自らに問うた結果、電電公社(現・日本電信電話)の民営化のタイミングで、第二電電企画(現・KDDI)を起こし、KDDIの発展の礎を築いた。

また、2010年、80歳になる手前で政府の要請を受け、経営破綻した日本航空の会長に無報酬で就任。戦後最大の負債を抱えた大企業を「航空業界を知らない稲盛が再建できるのか」「晩節を汚すことになるのではないか」と心配する声もある中で、最終的には、日本航空を救うことが世の中のためになると考えた上で決断にいたった。そして日本航空はわずか2年半で再上場を果たすなど奇跡的なV字回復を実現した。

稲盛は、自らの会社の経営以外にも、1983年、若手経営者に請われて経営哲学を説く「盛友塾」(後の盛和塾)を開設し、ボランティアで後進の育成に注力する。2019年に高齢を理由に閉塾するまでに世界104塾、1万5000人弱の塾生を抱える経営塾になっていた。

社会活動としては、1984年、私財を投じて稲盛財団を設立し、翌年、人類、社会の進歩、発展に貢献した人に贈る国際賞「京都賞」を創設。1997年には臨済宗妙心寺派円福寺にて在家得度。晩年は、稲盛財団の活動にも力を入れた。

稲盛ライブラリーのエッセンスが詰まった1階「総合展示」

入館するとすぐ目に飛び込んでくるのは、エントランスホールに掲げられた、京セラの社是「敬天愛人」の書(レプリカ)だ。 “天を敬い人を愛す”という意味の言葉は、稲盛の出身地・鹿児島の英雄、西郷隆盛(南洲)が好んで口にしていたものだ。

5階執務室(再現)に飾られている「敬天愛人」西郷隆盛 臨書(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
5階執務室(再現)に飾られている「敬天愛人」西郷隆盛 臨書(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

稲盛は、南洲神社にあった西郷隆盛直筆の臨書を創業時の支援者の一人、宮木電機製作所の社長・宮木男也(おとや)から贈られ、執務室に飾っていた。1階は、稲盛の誕生から思想のもととなった多くの人との出会いや出来事、技術者・経営者として行った事業の概要までが展示され、全館をめぐる時間のない人たちでも短時間でインプットできる。

稲盛は、生涯で73冊(自著55冊、共著18冊)の書籍を上梓(じょうし)。その発行部数は累計2500万部を超えており(共著含む)、このフロアでは代表的な書籍も展示している。なかでも「生き方」(2004年/サンマーク出版)は19カ国語に翻訳され、特に中国では600万部のベストセラーになっている (2024年1月現在)。

それまで欧米に倣って事業を行ってきた中国の経営者たちが、経済危機に直面して「欧米流経営には限界がある」と考え始めたころ、「経営は手法ではなく、経営者の人としての生き方を実践によって示すこと。そうしない限り、従業員の心をつかみ真のリーダーシップを発揮できない」と説く稲盛の考え方は、目からうろこが落ちるような衝撃を与え、たちまち中国の経営者層、ビジネスパーソンの心をわしづかみにした。

このフロアには、「敬天愛人」というタイトルの動画が視聴できるプレゼンテーションルームもあり、来館者から「理解が深まる」と好評を博している。動画では稲盛の生い立ち、思想とともに行ってきた事業や社会貢献活動が凝縮されて紹介されている。

松下電子工業製ブラウン管テレビとU字ケルシマ(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
松下電子工業製ブラウン管テレビとU字ケルシマ(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

2階「技術・経営」

2階から5階の各フロアには、それぞれテーマ、コンセプトが設けられている。2階のテーマは「技術・経営」で、技術者・経営者としての稲盛の歩みが展示されている。松下電子工業製ブラウン管テレビの手前に細く小さなU字型のセラミックスが置かれている。稲盛が世界で米ゼネラル・エレクトリック(GE)に次ぐ2例目として合成に成功した、高周波絶縁材料「フォルステライト」を使用した「U字ケルシマ(オランダ語でセラミックスの意)」(前述)だ。

松風工業時代に稲盛が考案した窯業用としては国内初の電気トンネル炉のレプリカ、京セラ創業当時に三菱電機から受注し、苦心の末開発に成功した「水冷複巻蛇管」のレプリカ、天然エメラルドと全く同じ組成で合成した再結晶エメラルドも展示されている。

水冷複巻蛇管は複雑な形状をした大型の送信管冷却用の蛇管で、磁器の乾燥工程中にひびが入らないよう、管全体に布を巻きつけ、稲盛が徹夜で抱いて少しずつ回転させてゆっくり乾かした。“手掛けた製品は決してあきらめず、何がなんでもやり遂げた”というエピソードでよく語られていた製品だ。

水冷複巻蛇管のレプリカ(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
水冷複巻蛇管のレプリカ(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
再結晶エメラルド(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
再結晶エメラルド(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
サイバネット工業の買収を機に京セラが開発してOEM供給したNECのパソコンPC-8201。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ本人がプログラミングに参加したというエピソードを持つ(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
サイバネット工業の買収を機に京セラが開発してOEM供給したNECのパソコンPC-8201。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ本人がプログラミングに参加したというエピソードを持つ(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

ここには、京セラの行動規範を記した「京セラフィロソフィ手帳」のほか、稲盛が経営にかかわったKDDIや日本航空でも京セラと同じように作られたフィロソフィ手帳も展示されている。ひときわ人目を引く展示物は、日本航空の整備士ら有志が、稲盛の退任時に、感謝を込めて贈呈した“楽団オブジェ”だ。

日本航空の整備士らから贈呈された“楽団オブジェ” (写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
日本航空の整備士らから贈呈された“楽団オブジェ” (写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

このオブジェは、不要になった飛行機の部材を使って整備士が作ったオーケストラの人形で、名指揮者(稲盛)を迎え、自分たちは見事なハーモニーを奏でることができた、という気持ちが込められているのだろう。15体の人形のうち同じポーズのものは一つもない。おのおのが自分の役割を果たすことで企業は成り立つということを表現している。

3階「思想」

入り口の正面には、稲盛の最初の著作である「心を高める、経営を伸ばす」(1989年/PHP研究所)が飾られている。帯の推薦文は、稲盛が「ダム経営」を倣った経営の神様、松下幸之助(パナソニック創業者)だ。「“人間に与えられた無限の能力を信じ、その能力を存分に発揮して充実した人生を味わおう”と訴えかけておられるが、その情熱と信念には心打たれるものがあった」と帯には書かれている。

松下幸之助が推薦文を寄せた「心を高める、経営を伸ばす」(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
松下幸之助が推薦文を寄せた「心を高める、経営を伸ばす」(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
日本IBMから贈られた「考えよ」のプレート(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
日本IBMから贈られた「考えよ」のプレート(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
稲盛経営12カ条(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
稲盛経営12カ条(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

3階の中央に壁で仕切られた区画があり、壁の外側には、「稲盛経営12カ条」が展示されている。内部はシアターになっていて、盛和塾での講話「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」「仕事を好きになる」など6つの映像を視聴することができる。一人一人に語りかけるような実直な語り口調から、謙虚、真面目、誠実な人柄を感じることができる。

展示物には、“人生・仕事の結果=考え方(-100~100)×熱意(0~100)×能力(0~100)”の方程式の思考過程が分かる原稿もある。“意志×能力×考え方”とペン書きされた“意志”の上に鉛筆書きで“熱意”と書かれている。「人間として一番大切なのは、善き考え方。能力がない人は熱意で補えば、能力があって何もしない人よりも積は大きくなる」という言葉は、多くの人を納得させ勇気づけた。

ほかには、稲盛が重い試作品を詰め込んで持ち歩いた革かばん、心のありようを考えた同心円状のメモや、滋賀本社時代の机、愛用品が展示されている。机上の日本IBMから贈られた「考えよ」のプレートは、30代の滋賀本社時代に座右の銘のように好んだ言葉で、元は稲盛自身に向けて置かれていたという。

4階「社会活動」

稲盛は、技術、経営、社会活動などの栄誉をたたえられ、さまざまな賞を受賞するようになるが、むしろ京セラで多くの財を成した自分こそ人に賞を贈り、世のため人のために活動した人に報いてあげなければならないのではないか、そしてそれは、“利他の心”で行わなければならない、と考えた。

1984年に私財200億円を投じて稲盛財団を設立。翌年、科学、文明の発展のために貢献し、人一倍努力をし、人類科学、文明、精神的深化の面で著しく貢献をした人を顕彰する国際賞「京都賞」を創設した。今日まで自分を育んでくれた世の中にお返しをしたい、また、人知れず努力をしている研究者が心から喜べる賞が世の中に少ない、という2つの理由からだった。フロアには、京都賞のメダルのレプリカや歴代の受賞者の写真が展示されている。その中には、後にノーベル賞を受賞した10人の研究者も含まれている。

また、先述の通り、稲盛は若手経営者育成のため盛和塾を開設し、ボランティアで塾長を務めた。「経営の要諦はトップの持つ心にある。経営の真髄を感得して、経営者の心が変わるならば、経営は必ず順調にいく。自分自身の人徳を高め、企業の安定と隆盛を志す全国の経営者たちよ集え」という呼びかけに応じた中小企業の経営者が、直接講話を聞き、経営哲学を学んだ。うわさを聞きつけた人たちによって次々に地域で塾が誕生し、世界に広がっていった。ブックオフコーポレーションや俺の株式会社の創業者・坂本孝、濵田酒造の濵田雄一郎、ファミリーイナダの稲田二千武ら有名経営者も机を並べていた。

稲盛が日本航空の再建を任された際、塾生たちが「今こそ、塾長に恩返しだ」と「JAL応援団」を結成し、5500人(当時)の塾生が一人100人ずつに呼びかけて日本航空スタッフに応援カードを渡し、55万回の搭乗を目指す大キャンペーンを張った。稲盛の“利他の心”が周りに共鳴したのだ。4階中央にもシアタールームがあり、稲盛財団や盛和塾の活動内容や、1階のプレゼンルームと同じ「敬天愛人」の動画を視聴することができる。

5階「執務室(再現)」

5階には、稲盛の執務室をそのまま再現した部屋がある。「敬天愛人」の書、部下と議論を重ねた大テーブル、デスク。机上にあるのは、西郷隆盛の「南洲翁遺訓」のほか、名刺、ネームカード、ペン類などごく平凡な事務用品。物へのこだわりは特になかったという。壁面の書棚には、自著や、大学時代から愛読していた研究書、いろいろな人からの頂き物が飾られている。

再現された執務室(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)
再現された執務室(写真提供:京セラ/稲盛ライブラリー)

稲盛はこの部屋で沈思黙考し、経営構想を練り、「南洲翁遺訓」をひもとき、たびたび自らを戒めた。時に外まで響く声で、「正しい道」を教え、人々が部屋を出る時、「ありがとう」と手を合わせた。励まされた人も叱られた人も目を輝かせ、新たな決意を誓ったという。ここを見て、見学者はリーダーの日常を連想し、従業員は在りし日の経営者の姿を追憶する。

善きリーダーが増えれば世界はおのずから善い方向へ

稲盛は生前、「自分の分身が欲しい」とよく口にしていたそうだ。それぞれのリーダーが独立採算で責任を持って運営する“アメーバ経営”では、アメーバ自らが分裂して増えていく。

一人でできることには限界がある。また、人のすることは正解ばかりではないが、「人として大切なこと」を判断基準に置き、考えに考えて実践するリーダーが増えれば、きっと世界はおのずから善い方向に向かっていく、と稲盛は確信していた。稲盛ライブラリーは、稲盛和夫の生き方に共感し、心を高め、よりよく生きようとする人への“着火装置”のような存在なのだろう。


【編集後記】

稲盛和夫といえば、「アメーバ経営」で知られる事業運営のスペシャリストだ。その哲学は、今なお多くの後進の心の支えとなっている。テクニックではなく、 人間のあり方、社会のあり方を問う哲学。ここが、ポイントだと思う。そして、 その哲学には、京セラという会社が産声をあげた京都という地が、深く関与して いる気がしてならない。

京都「哲学の道」
京都「哲学の道」

京都という街は、実に魅力的な街だ。歴史、伝統、文化といったことについては、いまさら語るまでもない。不思議なのは、未来を志すスタートアップ企業が、どういうわけか、京都という街に集まってくる、ということだ。思考が研ぎ澄まされると同時に、人や社会への深い愛情が育まれる街、なのではないか。

京セラの社是「敬天愛人」(天を敬い人を愛す)には、薩摩の誇りとともに京の雅(みやび)のようなものが感じられる。それは、わが国が世界に誇るべき精神だと思う。

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