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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.33

創業者の思い“喜びのタネをまく”ダスキンミュージアム

2024/04/19

連載ビジュアル(企業ミュージアム)#33

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について議論したい。

日本におけるフランチャイズビジネスのパイオニア的存在であるダスキン。フランチャイズだけではなく、今では当たり前のようになった「サブスク」「サーキュラーエコノミー」さらには「女性の社会進出」を、同社は60年以上前の創業当時から清掃サービスの領域で実践してきた。常に時代を先取りしてきたダスキンは、創業の地、大阪府吹田(すいた)市でダスキンミュージアムを運営している。本稿では、同社の企業ミュージアムで、どのような取り組みが行われているのか、2024年にリニューアルされた新エリアの内容と併せてご紹介したい。

取材と文:藤井京子(電通PRコンサルティング)

ダスキンの二大事業「お掃除」と「ミスタードーナツ」を軸とした企業ミュージアム

ダスキンミュージアム外観(写真提供:ダスキン)
ダスキンミュージアム外観(写真提供:ダスキン)

創業の地、大阪府吹田市にあるダスキンミュージアムは、ダスキンの研修施設などが入るビルの1階と2階にある。延べ床面積1320平方メートル、約40人のスタッフで運営されており、1階が「ミスドミュージアム」、2階が「おそうじ館」となっており、ダスキンの二大事業を軸にコンテンツ展開している。同館は2013年の創業50周年記念の一環として計画され、2015年にオープンした。

創立時は建物を管轄している総務部がミュージアムの責任部署であったが、その後、広報部へ移管された。現在の館長杦野雪絵(すぎのゆきえ)氏は、広報部に所属している。同氏は1989年入社以来、フードグループや訪販グループの事業部を経てコーポレートコミュニケーションを担当する広報部門に長く従事し、2024年4月にダスキンミュージアムの館長に就任した。ダスキンに長年勤め、同社の歴史や文化について深い知識のある人物である。

ダスキンミュージアムでは、あらゆる世代が楽しめる場を目指しており、さまざまな層をターゲットとしている。来館者は家族連れや友人グループが多いが、フランチャイズ加盟店の社員の見学受け入れや、自社の新入社員の研修も行っている。海外からの来館もあるため、英語、中国語、韓国語のパンフレットもウェブサイトからダウンロードできる。

同館は大阪の北摂地域の人気企業ミュージアムとなっており、2024年2月には累計来館者数が40万人を突破した。2023年4月から2024年3月までの年間来場者数は過去最高の約10万人となり、土日など、開館時間前には多い日で50人ほどの列ができる。特にドーナツ手づくり体験 は人気があり、事前申し込みによる抽選制となっている。リニューアル後の目標来館者数は年間12万人としているが、それ以上は施設としてのキャパシティを超えてしまうため、これがぎりぎり受け入れられる人数だという。

2階「おそうじ館」

まずは2階にある「おそうじ館」からご紹介したい。「おそうじ館」ではダスキンや掃除の歴史を学べる展示がある。

おそうじ館(写真提供:ダスキン) 
おそうじ館(写真提供:ダスキン)

ダスキン創業のきっかけは、1961(昭和36)年にまでさかのぼる。1911(明治44)年に生まれた創業者の鈴木清一(敬称略)は、もともとはビルメンテナンスや清掃用品の販売を行う会社を経営していた。鈴木は1959(昭和34)年、キリスト教精神に基づく企業の民主化を進めるDIA(Democracy in Action)運動の創始者であるメルヴィン・J・エヴァンズ博士に出会う。奈良で開催された同博士の講演会に出席し、感銘を受けた鈴木は2年後の1961年、DIA研修に出席のため渡米。エヴァンズ博士 からカナダにある セントラル・オヴァオール社の社長ルー  ・メンデルソン氏を紹介された。

鈴木はメンデルソン氏と友情を結び、同氏から無償でダストコントロールシステムの技術を伝授された。ダストコントロールシステムとは、粉じんやホコリなどのダストを水を使わずに清掃用具に特別な吸着剤を含浸させて除去する方法である。当時、日本の掃除といえば、ハタキ、ホウキ、雑巾が一般的な掃除道具であった。雑巾がけは水を使うので、特に冬場は家事を担う者には大きな負担となっていた。鈴木は帰国後直ちにダストコントロール事業に着手。1963(昭和38)年に株式会社サニクリーンを設立。翌年の1964(昭和39)年に株式会社ダスキンと社名変更した。そして同年、「ホームダスキン」という名前で化学雑巾は誕生した。

創業当時の広告(写真提供:ダスキン)
創業当時の広告(写真提供:ダスキン)

水を使わない新しい掃除方法は、瞬く間に全国に広がり、人々をつらい水拭き掃除から解放し、「魔法のぞうきん」と呼ばれるようになった。

フランチャイズ、サブスクリプション、女性の積極登用

この画期的な新商品は、ビジネスの展開方法もまた画期的であった。当時、セントラル・オヴァオール社は、このダストコントロールの事業をカナダではフランチャイズで展開していた。フランチャイズは日本人にはなじみのない概念である。お客さまの喜びを第一とするダスキンの経営理念に賛同する人々にビジネスチャンスを提供するため、鈴木は加盟店に商品や運営ノウハウを提供するフランチャイズシステムを導入。フランチャイズシステムを導入したのはダスキンではなくその前身となるサニクリーン社であったが、ダスキンはフランチャイズシステムをいち早く日本に導入したパイオニア的企業となった。

また、商品は買い取りではなく、定期的に汚れたものをきれいなものと取り換えるレンタルシステムを採用した。今では当たり前となっているサブスクリプションビジネスであるが、ダスキンは60年以上も前から導入していたのであった。

契約家庭を訪問してレンタル品を届けるお客さま係には女性を積極的に登用。当時はまだ女性が職業を持つこともままならなかった時代、女性の社会進出にも貢献するなど、画期的な取り組みを行っていたことになる。

さらに、ホームダスキンのレンタルシステムは、環境に優しいサーキュラーエコノミーの先駆けでもある。使用済みのレンタル品は回収し、97%を再商品化。どうしても再商品化が難しい残りの3%は、燃料として、さらにモップやマットについたホコリや汚れまでセメントの材料として再資源化している。このようにダスキンは、幾つもの新しいビジネスモデルを日本でいち早く導入するなど、先進的取り組みを続けてきた企業である。

「ダスキンダストバスターズ」外観(写真提供:ダスキン)
「ダスキンダストバスターズ」外観(写真提供:ダスキン)
「ダスキンダストバスターズ」内部(写真提供:ダスキン)
「ダスキンダストバスターズ」内部(写真提供:ダスキン)

おそうじ館ではダスキンや掃除の歴史以外に、体験型のアトラクションもある。ハウスダストを退治するシアターアトラクション「ダスキンダストバスターズ」では、戦闘機に乗り、ミクロの世界へワープ。ホコリのすみかになっている部屋を冒険し、迫り来るハウスダストをシューティングで撃退する。ドキドキワクワク楽しみながら、掃除について学ぶことができる。

1階「ミスドミュージアム」

1955年にボストンでミスタードーナツを創始したハリー・ウィノカーと妻のエッタの胸像(写真提供:ダスキン)
1955年にボストンでミスタードーナツを創始したハリー・ウィノカーと妻のエッタの胸像(写真提供:ダスキン)

1階の「ミスドミュージアム」ではまず、入口でアメリカのミスタードーナツの創始者ハリー・ウィノカー氏とエッタ夫人の胸像がわれわれを出迎えてくれる。中に進むにつれ、ミスタードーナツで味わえるドーナツの歴史を紹介するとともに、そのおいしさの秘密、ドーナツが完成するまでの工程を実際に体験できるコンテンツなどが用意されている。

ちなみに「ミスド」というミュージアム名にもなっているこの言葉は、全国的に使われているミスタードーナツの略称名である。マクドナルドは関東ではマック、関西ではマクド、ユニバーサルスタジオは関東ではユー・エス・ジェイ、関西ではユニバと、地方によって主な略称名は異なる。このミスドが全国的に使われるようになった理由はさだかではないが、略称名3文字をミュージアム名に冠するところに、それを使っているファンへの思いが感じられる。

1階のミスドキッチンで参加できるドーナツのデコレーション体験(筆者撮影)
1階のミスドキッチンで参加できるドーナツのデコレーション体験(筆者撮影)

ドーナツ事業への参入

ミスタードーナツの運営は、ダストコントロールと全く異なるビジネス領域であるが、どのようにして導入されたのだろうか?

ホームダスキンの事業もようやく軌道に乗り始めた1968(昭和43)年、鈴木はフランチャイズシステムをさらに学ぶため渡米。エヴァンズ博士の息子を通して、そのシステムを学ぶために訪問した先が、1955(昭和30)年にアメリカで開業したミスタードーナツ・オブ・アメリカ であった。

当初はフードビジネスを始めるつもりはなかったが、アメリカの  店舗でドーナツを味わった鈴木は、そのおいしさに感動し、「こんなにおいしいドーナツを一人でも多くのお客様に食べてもらおう、そして一人でも多くの人々に喜んでもらおう」という思いから、1970(昭和45)年1月27日に日本での事業展開を決断した。ミスタードーナツでは、この記念すべき日を「ミスタードーナツ創業の日」と定め、さまざまな取り組みを実施している。

その取り組みの一つとして、1月27日、日本のミスタードーナツ店舗の売り上げの一部を障害 者の自立や社会参加を支援する「公益財団法人 ダスキン愛の輪基金」へ寄付している。ダスキン愛の輪基金は、1981(昭和56)年、ミスタードーナツ創業10周年を迎えた翌年の国連・国際障害者年に障害者の自立と社会参加の支援を目指して設立されたものである。

地域のリーダーとして貢献したいと願う障害のある若者を海外に派遣し、研修の機会を提供する「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」と、アジア太平洋地域の障害のある若者を日本に招き、研修の場を提供する「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」の二つの人材育成事業で構成されている。日本から派遣された研修生はこれまで累計520人以上 となっている。日本に招いた海外研修生を含めると、国内外で670人以上が研修を終了。各地で福祉のリーダーとなっている。

ドーナツの森の誕生

2024年3月、この「ミスドミュージアム」に新エリアが作られ、リニューアルオープンした。リニューアルに伴い、ダスキンは3月14日にミュージアム内で記者発表会を開き、メディアプレビューを行った。当日は、全国紙、通信社、テレビ局などの記者やカメラクルーなどが集まり、取材を行った。広報部長・喜多晃(きたあきら)氏による記者説明会の後、記者たちは新エリア「ドーナツの森」を見学し、その後ミスドキッチンでドーナツのデコレーション体験や揚げたてドーナツの試食を行った。

ドーナツの森の前でリニューアルの説明を行うダスキンの広報部長・喜多晃氏(筆者撮影)
ドーナツの森の前でリニューアルの説明を行うダスキンの広報部長・喜多晃氏(筆者撮影)

このドーナツの森は、ミスドミュージアムの来館者に「ミスタードーナツがつくるおいしい想い出」を呼び起こすことをテーマに開発されたという。考案したのは日頃からミュージアムやミスタードーナツの店舗で勤務しているスタッフである。

これまで販売してきた1800種類以上あるドーナツやパイから厳選した127種類をイラストや模型でドーナツの実に仕立て、ドーナツの実がなる木が生い茂る森を演出。全長約11メートルの壁に並ぶそれぞれのドーナツの下には二次元バーコードがあり、さらに壁の一角にはタッチパネルモニターも設置されており、それらから商品説明を見ることができる。また、別エリアにあるタッチパネルモニターではミスタードーナツが取り組むSDGsに関連した活動なども紹介し、来館者がSDGsについて学べるようになっている。

障害者差別解消法とミュージアム

「ミスドミュージアム」のリニューアル工事は新コンテンツの設置だけではない。バリアフリー化も同時に行われている。2024年4月1日に改正障害者差別解消法が施行されたが、それに伴い、同ミュージアムでも、以前階段のあった場所にスロープを設置するなど、車いす利用者や階段を上ることが困難な来館者もスムーズに移動できるようにした。また同時にタッチパネルの検索モニターもその角度や大きさ、検索キーの位置など、車いす利用者や小さな子どもに配慮して設置している。

このバリアフリー化にあたってアドバイスを提供した大藪光俊(おおやぶみつとし)氏はダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業研修修了生である。同氏は今回のリニューアルについて以下のように述べている。「今回、スロープ設置や機器設備導入に関する提案をさせてもらえたのは、すごくうれしいことでした。これからも『全ての人に優しい施設』にしていってもらいたいです」

大藪光俊氏(写真提供:ダスキン)
大藪光俊氏(写真提供:ダスキン)

喜びのタネをまく

「ダスキンの仕事は喜びのタネまきをすることです。喜びのタネをまくとは、徳を積んで徳者になるということです。そして結果として『利益と共に発展する』がもたらされます」。これは創業者の鈴木が残した言葉である。創業者の思いを受け継ぎ、大阪府と連携して吹田市の子ども食堂に通う子どもたちを招待するなど、ダスキンミュージアムは、ダスキンの社会貢献の取り組みの場としても活用されている。

冷たい水を使ったつらい雑巾掃除から人々を解放し、ドーナツでおいしい想い出 を提供するダスキン。女性の社会進出を後押しし、環境問題にもいち早く取り組んできた。このミュージアムは、喜びのタネをまく場として今後もその機能や役目を更新し、ダスキンが実践する社会課題の解決について発信する場となっていくであろう。
 


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

暮らしは、なんといってもホコリとの闘いだ。なんなのだろう、ホコリとは。
キレイにしたつもりでも、翌朝にはなんだか積もっている。

ダスキンという会社に好意が寄せられるのは、そういうところではないだろうか。えー、またホコリ?こないだ掃除したばかりなのにーというのは、みんなが納得する悩みだ。さあ、そこをなんとかしてみましょう、というのがダスキンという会社の骨の部分だ。

リビング(イメージ)

キレイに暮らしたい、というのは万人の願いだと思う。でも、キレイに暮らすとは?と問われると、えーと、えーと、と考えてしまう。ダスキンはそこに、ズバっと答えを出す。ああ、ありがたい、と思ってしまう。

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