loading...

アド・スタディーズ 対談No.15

広告表現のコンテクストを考える

「犬のお父さん」はなぜヒットしたか―①

2015/07/09

広告の力は何によって決まるのか。
送り手の意図はどのように理解され、受け手に共感を与えるのか。
今回は、キャッチフレーズなどの広告言語を研究されている新井恭子准教授と「ホワイト家族」など話題のCMを手がけてきたエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターの澤本嘉光氏との対談が実現。制作現場の実情を通じて求められる言葉の力や共感の構造など、コミュニケーションとしての広告の力に不可欠な要素等についてお話しいただいた。

TOP
(※所属は「アド・スタディーズ」掲載当時)

CMは制約のある芸術

新井:私は言語学語用論の分野の関連性理論をもとに、発せられる言葉が相手にどう理解されるのかを研究しています。それは1970年代ウィルソンとスペルベルが提唱した近代のコミュニケーション理論です。それ以前は、コミュニケーションは言葉という記号のやりとりで成り立つと考えて研究を行っていました。しかし、それなら比喩表現のような文字として表に現れていない意味は、どのように理解されるのでしょうか?関連性理論では、コミュニケーションは、ある意図を伝達するために発せられた言葉を、受け手が推論能力を使って、その場のコンテクスト(文脈)に照らし合わせて意味を受け取ると考えます。ですから、人は、文字通りではない意味も相手に伝えることができるのです。私はこの関連性理論の枠組みを使って、言葉の省略現象について、俳句やキャッチフレーズなどの言語表現に注目し、同時に、広告のコミュニケーション効果を意図の伝達や説得という観点から考察してきました。

そんな立場から、澤本さんにお聞きしたいことはたくさんありますが、まず、CMを制作される場合、クリエーターに対して企業側は具体的にどのような要望や要求を出されるのか、実際の制作現場についてお話しいただければと思います。

澤本:まず、クライアントがある商品を売りたい場合、CM単独の話と全体的なキャンペーンを考えたいという両方のケースがありますね。ソフトバンクの「ホワイト家族」でいえば、1本1本つくるときはあるサービス、例えば、割引というサービスについて訴求します。
またCMは“制約のある芸術”といわれるように、納期、予算、クライアントの使いたいタレントといった制約の中で、幾つかのハードルをうまくクリアしてどういう解答を出すかという競技だと思っています。だから逆に、「何でもいいから好きなCMをつくってほしい」といわれても、それは無理な話です。課題と制約によってできることの範囲がある程度決まってくると解答にも点数が付けられますが、範囲がないと、基準点がなくなるので、おそらく好き嫌いだけになってしまう。特にCM単体としてはそう思います。

さらに大きな話になると、CMだけでなくグラフィックやWebなどいろいろなメディアの中で、今回のターゲットにとって一番興味を引きやすい媒体配分をどうするか、などが予算によって決まってきます。その掛け合わせを全部やることになりますから、けっこう提案は大変です。全体キャンペーンの提案というジャンルと単体のCMでは、こちらが臨むモチベーションといいますか、気持ちが違ってきたりもします。

CMにおける意図とは何か

新井:コミュニケーションの意図がどう伝達され、どう理解されるかという研究の中で、例えばギネスのCMなどを見ると、クライアント企業の意図に加えて、制作者側による別の意図が重なり合ってCMが出来上がっていると感じることがあります。それは、世の中を動かそうだとか、社会に大きな影響を与えたいといった広告代理店の方々の思いのようなものです。

ソフトバンクの「白戸家」のCMもすでに社会現象になっていますが、企業の方にはわからないように、自分たちの意図を忍び込ませるということはあるのでしょうか(笑)。

新井恭子准教授

澤本:基本的にクライアントは自分たちの商品が売れるようにと仕事を依頼しています。ですから15秒とか30秒の中に仮に商品情報だけを羅列するCMもできるわけです。しかし、ただ情報を伝達しているCMと、エンターテインメントを加えたCMが同じ効果があるとしたら、僕は後者を選ぶべきだと思っています。

その理由は、何かしらの感情を付加することで、世の中を少し楽しくすることができるかもしれない、と思うからです。人の楽しさや幸せの総量が、仮にそのCMを1日1回見たことで1%上がるとして、1億人の日本人が見れば日本全体としてはかなり大きいですよね。そんなことを仕事にできることはなかなかありませんし、それが自分の意図というか思惑といえます。情報だけを伝達したものだと、それは難しい。

人間が1日に接触する情報量が1990年代から2000年にかけて等比級数的に伸びていているという話があります。仮説ですが、頭の中の脳がハードディスクだとすると、その容量は決まっているわけで、昔はけっこうスカスカでした。一方、今は情報が多すぎて常にフルになっている。すると、自分にとって関心がある情報とない情報を瞬時に判断して、取捨選択します。興味がないものについては無関心だし、興味があるものについては自分で調べたりと二極化が進んでいる現状では、CMとして出す情報が視聴者の興味や関心の対象として整理されなければ、広告として全く機能しないと思っています。

新井:情報があまりにも過剰なため、意図がなかなか伝わりづらいところもありますね。

澤本:興味や関心があると思ってもらうための手段の一つが、「白戸家」でいえばちょっとしたユーモアやエモーショナルなものを出すことで成功しています。そのあたりの競争の度合いが過去に比べて厳しくなっているのではないでしょうか。昔のCMはたとえつまらなくてもフリークエンシー(広告の到達頻度)が効いていました。朝から晩まで同じCMをくり返すと人間はいつの間にか覚えてしまいます。しかし今は、CM自体がつまらないと飛ばされますから、フリークエンシーがあまり介在しなくなっています。例えば、頻度100のフリークエンシーで接したが記憶する欲望がゼロだとすると、100×0で0です。でも1回しか見なかったとしても、そこに記憶したいという欲望が2あったら1×2で2になります。だからフリークエンシーよりは、印象度とか気持ちに残るポイントを上げていかざるを得ないのです。その論議を突き詰めていくと、大量にスポットを買う方法が成り立たなくなるということです(笑)。

フリークエンシーにさほど意味がないとすると、15秒スポットに全部のCMを振り分けるのがいいのか、という疑問も湧きます。秒数によってCMの伝達する意図に向き不向きがあるからです。15秒では絶対に人は泣けません。30秒でも足りない。エモーショナルなもので人を泣かせるには60秒は必要です。そして今は物語性があるCMのほうが、より多くの人に拡散するように思います。

白戸家「父親=犬」の裏舞台

新井:ストーリー性があるCMであるためには、ある程度、時間が必要なんですね。

澤本:そうです。物語性があるものにするには、どうしても秒数が必要になります。ただ名前を覚えさせるのであれば15秒CM4回でもいいけど、そこに企業イメージや感情を一緒に描こうと思ったら、おそらく60秒1回のほうが適しているはずです。

僕は東京ガスのCMを週に1回だけ90秒流していますが、けっこう、みんなが見てくれます。でも、それは放映中に見ているわけではないんですね。ツイッター等のソーシャルネットワーク上で確認した人が、その番組を追っかけて見るか、もしくは東京ガスのサイトに行ってスマホで見るといったように、見るタイミングやデバイスも違っています。 総合的に考えると、秒数による向き不向きがあるということですね。もちろん僕は15秒を否定しているわけではなく、15秒の役割をきちんと認識してCMをつくればいいと思っています。

新井:私は、同じ情報を与え続けることに効果があるかないかを研究していますが、やはり認知効果の点からいうと、関連性理論を応用できると思います。

関連性理論というのは、関心を持つ対象がなければ人間は情報を得ようとしないという大前提のもとにつくられた理論です。自分が持っている文脈に変革を与えてもらわないと、その場では注意を払っても、解釈をしようとせず、また、解釈しても、すぐに忘れてしまい記憶にも残りません。そういう点で、澤本さんがおっしゃる意図と共通するかもしれません。商品を売るだけのCMを超えた芸術、といえるでしょうね。

さて、今大変人気のある「白戸家」のCMについて、若者たちの間では、「あの犬は現代のお父さんで、家庭に違和感がある存在」という声もあるようです。実際にはどういう発想からあのCMをつくられたのでしょうか。

澤本:側面としては、今言っていただいたことは当たっていると思いますよ。家族の誰かを犬にしようと思ったときに、現代の父親という存在は威厳があるようで実はすごくかわいい。吠えているわりには、かわいいから愛玩される、みたいな共通観念があるのではないでしょうか。逆にお母さんを犬にすると、キャンキャン吠えているけっこうキツい家になってしまいます。

新井:かみつきそうですね(笑)。

澤本:そこで父親にしたわけですが、実は布石となる流れが脈々とありました。このCMを流す前、ソフトバンクは犬だけが会話しているCMをしばらくやっていました。犬が2匹、4匹ぐらいで商品のことをうわさしている、つまり、犬の映像に人の声を当てるというアフレコをつくっていました。では、なぜ犬のCMになったかというと、納期の問題です。

普通、CMは、依頼をいただいてから考えた案をプレゼンテーションし、撮影の準備・撮影、そして編集して完成まで、どんなにがんばっても1カ月ぐらいないとできません。ところが、その納期を早めてほしいという依頼があったのです。

新井:1カ月でも早いような気がしますけどね(笑)。

澤本:最初、僕らは単純に労力的に頑張っていましたが、どうしても限界があることに気づいた。そこでどうすれば一番早くできるかを考えてみると、それは撮影をしないことでした。撮影しないとは、持っている素材を使うということです。でも、人間を素材とすることは基本的に無理です。リップが合わないので、仮に人間の口に後から声を当てても、しゃべっている口の動きと実際の音声がずれてしまい、気持ち悪いからです。

そうなると素材は動物にするしかなくて、犬を100匹ぐらい茨城の公園に集めて、その画をずっと撮り続けてアーカイブをつくり、そこから引っ張ってきたものとせりふを組ませてプレゼンしたのです。だから実は、犬がしゃべるというのが最初。そしてそれをやっている最中に「家族間通話が24時間無料」という課題もいただき、もちろん人間を使ってキャスティングもしたのですが、ソフトバンクさんから、どこかに犬を出せないかな、という話があったのです。

新井:なるほど。やはり、制約というものが本当にクリエーティブを刺激しているというか、とても面白い話ですね(笑)。

澤本:たぶん、事前に犬がしゃべっているCMがなければ、お父さんは存在していないと思います。

コンテクストの重要性

新井:このCMによって具体的にはどのような効果があったのでしょうか。売り上げや認知度はすごく上がったと思いますが、社会現象にもなっているというか……。私たち見る側はテレビを見ていたら、コマーシャルのときにトイレに行こうと思うのに、あのコマーシャルが始まると、これが終わって次のストーリーがどうなるかを確認してから行こうという気になりました。それはやはり、先ほど話に出た意図につながっていると思います。世の中を楽しくできたり、思わず泣いてしまったりするという効果について、実感とか具体的な数字はおありですか。

澤本:クライアントからは評価していただいていますが、詳しくは知らされていません。ただ、おそらくソフトバンクが犬でブランディングを始めたというのが一番大きな成果ではないでしょうか。実は現在、CMのナレーションでは「ソフトバンク」とは言っていません。犬がしゃべっている家族がいれば、ソフトバンクのCMだという認識ができているからです。これはすごく大きな意味を持っています。15秒しかないときに「ソフトバンク」というナレーションで1秒かかると、現実的には14秒の中でやりくりしなければなりません。全然、違ってきます。

澤本嘉光氏

新井:シリーズ化する効果も大きいのですね。

澤本:これは孫正義さんのアドバイスからでした。CMを始めてから1、2年目のときに、さすがに僕らも飽きてきたなと思い、違うものを提案したところ、孫さんは、「飽きてるのはお前らだけだ」とおっしゃいました。それは、けだし名言です。

孫さんと話をしていて面白かったのは、表現についても投資という視点が入っていたことです。このソフトバンク=白い犬のお父さん、あの家族という記号性を構築するのにいくら投資したか、リニューアルすることは今までの投資をチャラにするに等しいので、ある程度の人気がある以上は、むしろその人気を保持することに懸けるべきだ、ということです。そこで吹っ切れ、このCMを続けていくことに興味が向かうようになりましたね。

新井:受け手の中に蓄積されているものにヒットするということですね。

澤本:はい、受け手の中に蓄積しているものを効率的に使える権利を、僕たちが持っているということではないでしょうか。イメージでいうと、グロスレーティングポイント(延べ視聴率)が500GRPの場合、初期値が普通10ぐらいのところを、ソフトバンクは30ぐらいから始められる。つまり面白そうだなという期待値があって、その分、出発点から得しているともいえるわけです。

新井:それを私たちはコンテクストと呼んでいます。相手のコンテクストの中に、知識とか感情とかの蓄積があるほど、同じ刺激を与えても認知効果が高いというわけです。

澤本:説明が多い海外のCMに比べると日本のCMはハイコンテクストなものになっています。いろいろ言わなくても通じる阿吽(あ うん)というものをベースにして、構成されているものが多い。ソフトバンクの白い犬もそうかもしれません。

新井:コンテクストというのは認知科学的に定義がありますが、何か、刺激のある言葉を聞いたときに頭にパッと集まるイメージや感情や知識のことです。この蓄積があれば、同じ刺激を与えても解釈や理解が速く、認知効果が高くなるといえます。

澤本:人間は今まで見たこともないようなものに注意を喚起され、それから解釈を始めるので、まず最初の刺激が大事ですね。新しいものをコンテクストの中に取り入れるのはとても面白いことです。

新井:最初の白戸家シリーズのコンテクストは新しい試みでしたが、それが受け入れられる自信はおありだったのですか。

澤本:ないですよ。僕らは最初から長期間にわたるCMをつくろうと思って企画することはほぼありません。最初に流して、これはいけるぞ、というときに、いかに継続していけるかを考えることがほとんどです。コンテクスト論でいうと当初からコンテクスト化することを狙ったわけではなく、結果的にコンテクスト化したということです。

第2回(最終回)へつづく 〕


※全文は吉田秀雄記念事業財団のサイトよりご覧いただけます。