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地域創生と伝統工芸No.2

日本酒×伝統工芸の“化学反応”
~和紙ラベルを冠した「久保田」。新潟の伝統工芸を支え、次のステージへと導く~

2015/08/18

伝統工芸の再生と発展。
それを自社ブランドの確立と全国展開の過程で図らずも実現させた事例がある。新潟県を代表する日本酒「久保田」だ。久保田を特徴付けているのは、「淡麗辛口」というすっきりとした味わい、そして、毛筆で「久保田」と書かれたロゴの「和紙ラベル」である。萬寿、碧寿、千寿などの銘柄で国内外に出荷されており、そのラベル1枚1枚が新潟の伝統工芸「手すき和紙」だ。

「日本酒×伝統工芸の手すき和紙」。その“化学反応”はいかにして生まれたのか、成功への道程には何があったのか。新潟大大学院准教授の長尾雅信氏と電通CDCの若林 宏保氏が、朝日酒造(新潟県長岡市)を訪れた。

約30年前、日本酒の低迷期。

「原点に還る」をコンセプトに「久保田」が生まれた

朝日酒造の前身である「久保田屋」が創業したのは1830年(天保元年)。1920年(大正9年)に「朝日酒造株式会社」となり、実に200年近くの歴史を持つ。

久保田誕生前夜の80年代初頭。日本酒を取り巻く環境は低迷していた。新潟県では指折りの存在である朝日酒造は、日本酒「朝日山」で県内のトップシェアを誇っていたものの、決して全国区ではなく、酒専用のディスカウント店が出始めると、気が付けば安売り商材にされることもあった。

この状況下に「原点に還る」を掲げ、創業時の屋号を冠した久保田の誕生へと導いたのが4代目社長の故平澤亨氏である。とにかく、新潟の環境・風土の良さを発信することに徹底的にこだわった。新潟の酒米を使い、新潟の軟水で醸す。すると、当時の主流だった濃い日本酒はできない。

しかし、それを「淡麗辛口」という言葉とパッケージにすることで、マイナス部分を全てプラスに変換させた。
そして「原点に還る」ために、平澤社長がラベルに選んだのは、新潟の伝統工芸「手すき和紙」だった。

手すき和紙をラベルにする。一人の男の

前代未聞の挑戦が、全ての始まりだった

当時、酒のラベルといえばアート紙が主流。今でも手すき和紙を使用しているものはほとんどない。それにあえてこだわったのは、これまでの朝日酒造と一線を画し高級感を訴求し、首都圏のホワイトカラーにもマーケティング活動をしていこうという戦略があった。

現社長の細田康氏は語る。
「原点に還って新潟の良さを発信する、今までと違った高級なものをお客さまにお届けし、その価値を長く表現し続けたい。そのためには和紙しかない、と心に決めていたようです」

和紙は、新潟の伝統工芸である手すき和紙とし、和紙工房に制作を依頼した。また、久保田のロゴも地元・新潟の書家の手による。
「創業時のとっくりの文字を使ってはどうかと書家から提案されたそうですが、『それじゃだめだ。新たに書いてください』とお願いをして。伝統をただ受け継ぐとか、原点というだけでなく、30年前、発売前の当時としての、『今』を表現したいという強い思いがあったのでしょう」(細田社長)

結局、現在の書体はそのとき書かれた600枚もの中から選び抜いた。米からラベルづくりまで、とにかく「原点に還る」というコンセプトの下、「新潟の良さ」にこだわり抜いた。

しかし、和紙ラベルを選択したことで、課題はいくつも生まれた。当時、手すき和紙が衰退傾向にある中、多くのラベルが必要となる。さらに和紙を2枚重ねた二双紙の和紙ラベルは、1枚1枚、厚さや大きさが微妙に異なる。印刷をはじめ、ラベル貼りも苦労の連続だった。

「手すき和紙のラベルは、機械化になじまないんですね。まず端が直線にならない。つまりセンターが出ない。すると、印刷もままならないし、貼る時も、まっすぐ貼れない。また、非常に厚い。従来のラベリング機で貼ると、瓶は曲面ですから、紙の厚さのテンションではがれてしまう」(細田社長)

最初は機械で貼れず、1本ずつ手貼りだった。日本酒は瓶詰めの際に加熱処理をする。当然触れば、熱い。やけどをするような作業だった。そういう事態に直面しても、効率よりも和紙のラベルにこだわった。

「試行錯誤を重ねて2年目には機械でのラベル貼りを実現させるのですが、当時の平澤社長は『機械を和紙に合わせろ!』と言ったそうです。その覚悟は相当なものだったわけですね。技術的なブレークスルーに至るまで、社員は大変な思いをしたはずです。機械は独自の仕様ですので、導入時のイニシャルコストはもちろん、改造にかけたコストは、計り知れません。

しかし、本物の風合いに徹底的にこだわった。高品質なものをお届けするのだから、パッケージも本物、高品質なものでなければならない、ということで。和紙以外の選択肢はなかった」(細田社長)

朝日酒造 取締役社長 細田康氏

酒店の店主にアプローチし、お客へ情報発信。

バブルという時代も追い風となった

新潟の環境・風土の良さを首都圏のホワイトカラー、そして全国へ発信していこうと誕生した久保田だったが、市民権を得るまでには地道な努力を要した。当時は、全国区のネームバリューもなければ、広告を打つ予算もない。そこで、朝日酒造がとった戦略は、量販店ではなく街の小売店に“ファン”をつくることだった。

情報発信源としては、酒店の店主の声が大きい。来店客に信頼されている店主が「この酒うまいよ」と本気で言ってくれる、そういう酒店の店主をつくることに徹した。

さらに、バブルという時代背景も追い風となった。大吟醸という言葉が定着し、おいしい日本酒へのこだわりが出てきたのだ。

「高くても飲んでみようという時代背景があったからこそでしょうね。発売してから4〜5年ぐらいで急激に伸びましたので。時代の景気状況がプラスに働いたのは間違いないと思います。それと、今では当たり前になりましたが、それぞれご縁を頂いた方々と蔵元が直接コミュニケーションをとる、お酒の会を30年前にすでにスタートさせました」(細田社長)

ラベルに関わる3者が一堂に集まる

「和紙ラベル研究会」。試行錯誤は、現在も続く

手すきの和紙ラベルに対する試行錯誤は、今も続いている。工場でラベルを貼る機械に携わるのは社員。基本的にはオートで作業できるが、季節によって、のりの成分配合も変えたりした。

「誰もやっていないことですから、どこにも聞けない。一番分かっているのは社員のオペレーターです。ある意味では、日本酒造りと似ていますね」(細田社長)

和紙ラベルには、独特の風合いを出すため、原料となるコウゾの味わい・素材感をあえて残している。その部分に製造年月日の印字がされると見えにくく、そうなっただけで使用できない。センサーでのチェックを行っているが、最終的には人間による目視で確認をしている。

そうした日々の経験の積み重ねが30年続き、久保田という日本酒に対する“思い”を社員が受け継ぎ共有していることが大きな財産になっている。

「この30年の蓄積は、大きいでしょうね。手貼りから機械貼りになって。しかし、まだまだ改良の余地があるんです」(細田社長)

朝日酒造が中心になり、毎年、定期的に開かれているのが「和紙ラベル研究会」である。ここには、朝日酒造の現場担当者はもちろん、印刷会社、和紙工房の3者が一堂に会し、それぞれの現場の課題を持ち寄り、さらなる改善策を常に模索している。久保田という日本酒のもとに、各分野の“職人”たちがそろうというわけだ。

「久保田」の成功。それは、酒造メーカーだけでなく、

意図せずして手すき和紙の活性化につながっている

今年9月、30周年記念酒「久保田 純米大吟醸」を発売する。30年前の「原点に還る」のコンセプトの下、今なお細かなところまでこだわり、製品を作り続けている。それは、どのような効果をもたらしたのだろうか。

「手すき和紙を使用したからということだけではありませんが、まず、課題に対してブレークスルーする過程で、社内に一体感が生まれました。それを超えて形となった商品ですから、自分たちの商品であるという気持ちも自然に醸成されています。それと、設備の開発やメンテナンスに対しても、機械の製造会社任せではない立ち位置で臨めるような社員も育っていった。こういうプラスの面もあります。

お客さまに対しては、商品のコンセプトと中身とパッケージが一致していたからこそ、これだけのご支持を頂けたのだと思います」(細田社長)

久保田は、「手すき和紙」という伝統工芸の再活性化にも大きな役割を果たしている。この点をどのように捉えているのだろうか。

「和紙に関しては、今のものをどう安定的に持続させていくかを考えることの方が多いですね。

もともと、地元の和紙業界を活性化しようとしたわけではありませんが、結果的に地域の伝統的な産業の一つを今でも事業として成り立つようにお手伝いできた。人を雇用して、ビジネスとして成立する状況になっている。そうでなければ、紙すきの人がいなくなってしまいますので。うちと関わっている和紙工房は、若い方も勤めています。『このラベルのおかげで』と言ってくださることもあり、そういう意味での貢献はさせていただけたのかな、と思いますね。

また、お酒自身にも伝統はありますが、お客さまはたぶん伝統を買おうと思っていない。伝統だからといっても飲まないでしょうし、伝統だからといっても使わないでしょう。私たちの生み出しているものに長い歴史があっても、今の、現代のお客さまの声に常に応えていかなければならない。伝統のものであっても、常に今の時代でのありようをしっかりと見据えていくことが、非常に大切だと思います。生活様式がここまで変わってくると、簡単には出ない答えですが、これからもそこを意識し挑戦を続けなければならないと感じています」(細田社長)


取材を終えて

「久保田」は、伝統工芸はもちろん、

あらゆるもの巻き込んだ共同体のムーブメント

長尾 雅信
新潟大大学院 准教授/博士(経営学)
 

朝日酒造には、地域と共にあるという考えが宿っています。自然環境保全活動の一環として「ほたるの里づくり」に取り組む他、公益財団法人「こしじ水と緑の 会」を設立し啓発活動も実施しています。田んぼのメンテナンスに皆で取り組むといった思想も従業員の皆さんの中に息づいていて、共感できますね。

「久保田」ブランドの育成、その礎となる地域の自然環境の保護、自分たちはその担い手であるという「自分ごと化」の意識を皆さんから感じます。それは「久 保田会」という全国の酒販店の集まりにも引き継がれている。毎年、500店舗ほど参加しているそうで、もう何十年も続いています。商品に対する思いとか、 次からこういうふうに工夫したいんだという思いがあって、とても深い関係性ができているんですね。

ある意味、久保田は商品であって商品ではない。手すき和紙という伝統工芸はもちろん、印刷会社やラベル貼りの機器製造会社、さらに酒販店など、あらゆるものを巻き込んで起こした共同体のムーブメントなのかもしれません。


単なる伝統ではなく、今のライフスタイルの中で、

どうあるべきかを考えることが伝統工芸の活性化に

若林 宏保
電通CDC/クリエーティブ・ディレクター
 

長尾先生から紹介してもらった「久保田」の事例には、伝統工芸の活性化にいろいろなヒントがありました。30年前、「原点に還る」、新潟らしさを発 信する、そのために和紙を使おうと。和紙を使うといっても、それには技術的には制約があって、産地も巻き込んで挑戦していく。朝日酒造という会社も久保田 で起死回生し、そのブランドの成長と共に手すき和紙という伝統工芸も活性化していく。

こういう事例は、今までにないと思います。伝 統工芸を活性化させようと思ったのではなく、自分たちがブランドを作ろうとした時に伝統工芸があって、手すき和紙を現代のラベルに引用したらどうだろうか と。伝統を単に継承するのではなくて、今の時代でのありようを求め、どう合わせていくか、ということを考えた。それが結果的にさまざまな広がりを持って いったわけで、決して上から目線ではありません。

自分たちのビジネスの行動、哲学が、非常にうまくいっているイメージを受けました。
伝統工芸の活性化のためには、今のライフスタイルの中でどうあるべきかを追求することが、とても重要だと感じました。