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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.67

ぼくの「身体」は死にかけている

2015/10/15

きょうは「ワルのりスナック」でもお世話になった世界を舞台に活躍する書道家、八戸香太郎さんと四谷の中華居酒屋へ。ポテトサラダや皿ワンタンをつまみつつ、明るく楽しく元気よく美味しい紹興酒を頂きました。でも、そこそこの量を飲んだはずなのに帰りの電車で妙に頭がさえていたのは、八戸さんのお話が刺激的だったから。その一端を紹介すると…。

コピーライターの福岡さんと書道家の八戸さん
コピーライターの福岡さんと書道家の八戸さん

「書とか見ることあります?(笑)日本人は漢字にせよ、ひらがなにせよ、読めちゃうでしょ? だから作品を目の前にするとたいてい『なんて書いてあるんですか?』って分かろうとするんです。そりゃそうだよな、と思うんですけど、それが良いことなのか。例えばニューヨークで、ロンドンで、日本語を読めない人たちが『でも分かる』って言うんですよね。これって何なんだろうと。手品を見てだまされる経験を楽しもうとする人と、とにかくタネを見破ろうとする人と、どちらが本当に楽しんでいるんだろう、と。それで以前『ヨマナイデクダサイ』(英語タイトルはDon’t Read,Feel!)ってインスタレーションをやったんです。意味を分かろうとしないで、文字の力を直接感じてほしかったんです」

「ヨマナイデクダサイ」の様子
「ヨマナイデクダサイ」の様子

「ミュージシャンとのセッションとか、派手なパフォーマンスもやりますけど書道家のベースにあるのは圧倒的な理性。『文字学』とでも言うべき『ココを短く、ココはスペースを空けて。こうすれば美しい字を書けるよ』というロジックなんです。若手の頃は徹底してこれを身に付けました。この『文字学』みたいなのは中国も一緒で、日本の書道にあたる書法では9分割した箱に文字を書いて1ミリずれたとかやって精度を上げていくんです。でもね、このロジックにのっとって若いころ圧倒的に美しい字を書いていた人が、意外に伸び悩むことがある。そこに単なる美しさを超えた何かがないからなんです。やっぱり『理』(ことわり)だけでは良いものを書けないんです」

八戸さんの作品「響 vibration」
八戸さんの作品「響 vibration」

「必要なのは『目』『手』『頭』が一体となっていること。これが3分の1ずつだとうまくいくってわけでもないのだけど、でもどれかが欠けたらやっぱりダメですよね。ぼくの調子が良い時は、筆が自分で動いて書いている感覚です。決して頭で考えて書いているんじゃない。スポーツ選手の『ゾーン』に近いのかな。あとで思い返してもどう書いたか記憶がないんです。無意識が意識を越えているというか。それでいて、後で理性で見返してもちゃんとしたものができるんです」

「以前、ある美術館の所蔵品について真贋を鑑定しなければならない時があって。その作者は武術の達人で迷いがない作風で知られていたんです。で、その作品を見てみると他の真作と言われるものによ~く似ているんだけど、筆の運びに迷いがある。スッスッと書いているんじゃなくて、どうもおかしい。最終的に科学的な鑑定で贋作だということになったんですけど、文字を見るとそれを書いた人の筆のスピードや心の動きが感じられるんです。『文字学』みたいな理の部分を知っていると、より一層作品のことがよくわかるけど、そうでなくてももっとダイレクトに、書道を頭じゃなく感じてほしいんですよね」

八戸さんの作品「trace」
八戸さんの作品「trace」

電通に入社した頃、ぼくが夢見ていたのは「理性的で論理的な広告表現開発」でした。すべては明快に組み立てられるべきで、それこそが戦略的だと思っていたのですが、年月を経て、いかにクリエーティブであるか、どうすれば脳みそばかりでなく身体的な感覚も含めて思考をできるのかという方向に関心が移ってきました。そして正直に告白すれば、身体的な思考にまじめに取り組めば取り組むほど、己の「身体」が機能しなくなっていることにがくぜんとするのです。

作品を見てあまりピンと来なくても、誰か権威が保証してくれると急によく見えてしまったり。純粋に心を動かされる前に、ついつい正しい答えを探してしまったり。「電通報」の題字なんて今まで何も感じていなかったのに八戸さんから(これを書いたのが)「柳田泰雲先生でしたか!われわれの業界では昭和のスーパースターの一人です。どうりで立派な品格のある文字だと思いました」というメールをいただくと、急にありがたいものに思えたり。

この退化した「身体」をどのように呼び覚ますのか。それがぼく自身に突き付けられた大きな、大きな課題です。

八戸さんの「目」「手」「頭」が一体となっている様子。
八戸さんの「目」「手」「頭」が一体となっている様子。

さて。10月10日は「まぐろの日」でした。次回は静岡で美味しいお魚のことを考えようと思います。

どうぞ、召し上がれ!