津波で流された町に色彩を取り戻したい~女川「スペインタイル」の挑戦
2016/03/28
東日本大震災から5年を迎え、真の復興とは何かが問われています。当連載では、電通の組織横断チーム「東北復興サポートネットワーク」が、つながりの深い地域から地元の声をレポートしています。第3回は第2回に引き続き宮城県女川町。電通総務局社会貢献部の阪中真理が、NPO法人「みなとまちセラミカ工房」代表の阿部鳴美さんにお話を伺いました。
津波にのみ込まれ、女川は町並みを失いました。阿部さんは大きな喪失感の中、もう一度女川に豊かな色彩を取り戻したいと考えます。「町をスペインタイルで明るく彩りたい」という希望を胸に2013年4月、ついに工房を立ち上げて活動を開始。夢は少しずつ形になり、女川復興のシンボルとして町を彩り始めています。
なぜ「スペインタイル」?
阪中:タイルにもともとご興味があったのですか。
阿部:震災前は、7人の仲間と一緒に趣味として陶芸サークルを楽しんでいたのですが、全員被災し1人は亡くなりました。震災後半年ぐらいたって、もう一回サークルを再開したいと動きだしたところに、運命的な出会いが次々と重なりました。
新しい女川駅舎を設計した坂茂先生とのご縁で、陶芸の窯を京都造形芸術大学から寄贈していただくことになり、置く場所がなくて困っていたところ、2012年の4月、仮設の「きぼうのかね商店街」がオープンして、地元のサッカーチーム「コバルトーレ」の事務所の半分を貸してあげるからというお話を頂いたのです。
阪中:なぜスペインタイルなのでしょう?
阿部:窯の寄贈と同じ時期に、女川町復興連絡協議会からスペインのガリシア地方との異文化交流を始める話が起こって、そこで初めて、スペインの伝統的なタイルを知ったのです。
同じ焼き物ということで、東京のタイルつくり教室に通って実際やってみたら、つくる工程が本当に面白い。教室主催のスペインへの研修旅行に一人で参加することになりました。
偶然にも2012年の3月11日の出発で、自分としては全く気乗りせず、どうしてこんなときに行かなきゃいけないんだろうという気持ちのほうが強くて。
ところが、バレンシア近郊のマニセスを訪れて、実際にタイルで彩られている色鮮やかな町を見たときに、沈んでいた気持ちが明るくなり元気づけられました。女川もこんなきらきらした町になったらすてきだなと思ったのです。
また、博物館で何百年も前につくられたタイルが、当時の色そのままに残っていて、ときを越えてつくった人とつながれたような、何か訴えかけてくるような、そんな感覚でした。
このタイルは新しい町を彩ることも、なくなってしまった景色を色鮮やかによみがえらせることもできるし、そのタイルを通して、今の復興の思いや、皆さんの頑張っている姿を後世に伝えることができる、これは絶対女川のまちづくりに使いたいという思いで帰ってきたのです。
趣味でやっている場合じゃない
阪中:ご自分でやろうと思われたのですね。
阿部:誰かがやるのを待つ? いや待てない。ぐずぐずしていると、まちづくりの計画が終わってしまう。じゃあ自分でやろうということで、何か手だてはないかと動き出しました。
まず、工房をつくるにしても資金が必要でしたので、最初の段階では自分で細かい道具をそろえ、材料も取り寄せました。小さいマグネットを並べてみたら、「あ、これ、欲しい」って喜ばれて。何とか販売して事業にしていきたいといろいろ相談し、内閣府の助成金申請を出し準備資金を頂いたのです。
そして、4カ月間で書類を全部整えて、2013年4月からNPO法人という形になりました。
阪中:実際には資金も大変だったのでは。
阿部:その当時、6人で動き出したのですが、全員被災していますので、趣味でやっている場合じゃない。ちゃんとした仕事としてやるためには、クオリティーの高いものをつくって、販売もしていかないとならない。
そのための技術をしっかりと身につけるのにはある程度時間がかかるので、宮城県の緊急雇用対策事業費という助成金を活用して、私以外の5人分の給料を確保しました。
ついに「女川タイル散歩マップ」完成
阪中:今や阿部さんのタイルは町中で見られますよね。
阿部:最初は夢のような話でしたが、ホテル「エルファロ」の部屋番号プレート、「きぼうのかね商店街」の各店舗をはじめとして、少しずつ、一枚ずつ、増やしていきました。
そして「シーパルピア」への事務所移転に伴い、町内で見られるタイルをまとめて、ずっと夢だった「女川タイル散歩マップ」にしました。ぜひこのマップを片手に、町内をぐるっと回ってほしいです。
阪中:3年でよくぞここまで。こういう取り組みをされているのは全国でも珍しいのではないですか?
阿部:タイルの絵付け教室はあるのですが、一個一個つくって販売しているところは、日本全国見てもないです。ネットでご注文いただくことも増えてきました。けれども、時間を掛けて手でつくるものなので、今のままでは生産量の限界があるのです。
阪中:今後は、作り手も育てなければなりませんね。
阿部:今、10人いるのですが、昨年の秋、養成講座を企画したらすぐにいっぱいになりました。技術があれば、フルタイムじゃなくても、子どもが学校に行っている間に働くこともできます。
そして、自分がつくったタイルが町に飾られて、それが何百年と残ることは、作り手の喜び、誇りでもあります。
女川のシンボルに
阪中:色鮮やかで、町中でも目立ちますよね。
阿部:女川といえばこのタイルだねと、皆さんに認識してもらえるのが目標です。タイルを見に外からたくさん人が来てくれて、町の人も、タイルを見ることで気持ちが明るく、豊かになって、みんなが笑顔になれれば。
モチーフもいろいろで、異文化だけではなく、獅子舞や赤白灯台という女川の懐かしいものもあれば、海鮮丼、さんま定食のような身近なものもあるのですよ。
震災前は、女川は、海産物以外、自慢できるお土産がなかったのです。だから、若い人たちがこのタイルを、女川ってこんなおしゃれなものがあるんだと自慢してもらえればうれしい。
コミュニティづくりにも一役買いたい
阪中:震災を機に、外の人がいろいろ入ってきて、変わったことはありますか?
阿部:すごく刺激になります。この町に生まれ、町のことでも全然気がつかなかったことがたくさんありますし、今まで知らなかったいろんな情報が入ってくるので、自分の生活に生かせることがあります。
阪中:これから住居も整っていく状態の中で、どんな町になっていくとよいと思いますか?
阿部:私も、震災前に住んでいた場所とは別の場所に住むことになります。それはみんな同じで、町内なんだけれども今まで住んでいた環境とは違うので、新しいコミュニティーが必要になります。
なかなか外に出にくい人もいると思うので、みんなが顔を合わせる機会を、意識して多くつくっていかないと。
阪中:コミュニティの再構築は、被災地共通の課題ですね。
阿部:女川は小さい町なので、みんな顔見知りみたいな感じだから、高齢の方でもあまりひとりぼっちという感覚もないのかもしれないけれど、やはり積極的に外に出られない人もいるのです。
阪中:タイルが女川と人をつなぐ役目があるとおっしゃっていましたが。
阿部:訪れた方には、ワークショップでタイルを2枚つくっていただき、1枚はお手元に、1枚はご自分のサインを入れて町に残してくださいと、お願いしているのです。
女川と関わる人の数だけ、どんどん町が彩り豊かになっていく。自分の証しを町に残していったら、またいずれそれを見たくなって、足を運んでもらえる。何とか継続的に女川に人を呼び込もうという作戦です。
阪中:また次回、女川に伺うのが楽しみになってきました。ありがとうございました。