18歳のリアルNo.2
18歳の心をひもとくカギは「対話」:前編
2016/04/13
18歳の「今」と「未来」のリアルに迫る連載「18歳のリアル」。第1回の記事でお伝えしたように、18歳が何を感じ、オトナや社会に何を伝えたいのか、彼らの「思い」に寄り添いながら、これまでの若者インサイト研究では見えてこなかった「新時代の価値観」をひもといていきます。
今回、話をお伺いするのは、15年前から高校生へのキャリア教育活動を行うNPO法人カタリバ代表理事の今村久美さんと、正解のない問いについてグループで考える「哲学対話」を社会に広めるNPO法人アーダコーダ代表理事を務め、Project18と共に18歳との対話における手法開発を進めている川辺洋平さん。18歳との向き合い方や可能性について、Project18メンバーであり、電通若者研究部(電通ワカモン)部員の奈木れいさんが語り合いました。
18歳の時の選択が、人生を左右することを想像してほしい
奈木:Project18では定量調査を主軸とするのではなく、実際に18歳の人たちと対話をしながら、彼らが抱える本当の思いや価値観を掘り下げたいと思っています。カタリバは、それこそ15年前から18歳を重要な年齢として位置づけて活動されてきました。川辺さんは子どもから大人まで幅広い年齢層に哲学的な対話を広めていて、このプロジェクトでも社外メンバーとしてサポートしていただく予定です。今回はそんなお二人と一緒に、18歳とどのように向き合うべきかを考えてみたいと思います。
今村:私たちの活動のひとつである「カタリ場」は、団体立ち上げ当時から今までずっと継続しています。具体的には、大学生のボランティアスタッフが中心となって高校を訪問し、タテでもヨコでもない「ナナメの関係」による対話を通して、高校生の意欲を引き出す授業を行っています。
奈木:どうして「カタリ場」を始めようと思ったのですか?
今村:戦後の学校教育は、教職免許や学習指導要領といった基準を設けて質の保証をしてきました。その一方、守られた場所であるがゆえに社会とのつながりが希薄になってしまう側面もあります。そこで、聖域である学校に外部の人間が入ってきて授業をすることで、多感な子どもたちが物事を広く考えて、社会に想像力を働かせるきっかけになるのではないかと思ったんです。
奈木:進路に限らず、さまざまなテーマを話すんですか?
今村:はい、キャリア教育という枠組みの中で授業をさせていただくことが多いですが、職業選択の場ではありません。今は職業もライフステージも3年ごとに変わる時代。仕事の領域や種類がどんどん変化していく社会の中で、次代を担う10代にとって重要なのは早期に職業選択をすることではなく、どんな社会にも対応できる準備をしておくことだと思うんです。学校の中で社会とつながることが、高校生の意識を変えるきっかけになるというのが、「カタリ場」の考え方です。
奈木:人生の岐路という意味では、18歳の時もそうですが、大学卒業時にも大きな岐路が訪れますよね。どうして大学生ではなく、18歳や高校生の意識変革が大事だと考えたのですか?
今村:日本は高校まで学習指導要領はひとつ。学校によってレベルはさまざまですが、いちおう同じ基準で教育システムが組まれていて、平等に教育を受けることができます。一方、大学は自分の研究をする場所。つまり、数ある可能性の中から何かを選択した後に行く場所で、出口もある程度見えているはずです。
でも、18歳の時の選択がどれだけ一生を左右するものなのかについて、想像力を働かせられる高校生はあまりいません。私自身もそうでしたが、高校までは自分の時間にオーナーシップが持てず、何となくやらされている感じで毎日を過ごしている人も多いはず。そうではなくて、高校生活に意義を見つけて毎日を過ごせたら、自らの未来を具体的に描くことができるようになって、18歳の進路選択にもっと主体性を持って取り組めると考えました。
「大丈夫だよ」から始まる対話が、本音を引き出す
奈木:カタリバは今村さんが大学生の時に立ち上げたんですよね。15年も前から18歳に着目されていた点もそうなんですが、お互いに語り合う場所、つまり、「対話」に着目された点も面白いなぁと思って。授業や講義といった形式ではなく、語り合う場を作ったのはどうしてでしょう?
今村:当時、学校はオトナが用意した答えを覚える場所になっていると感じていました。でも、本当は答えが決まっていない問いだってたくさんあるはず。それについて、お互いが持っている気付きをシェアしながら、答えを一緒に考えていく学びがあってもいい。だから、みんなと対話しながら自分なりの答えを探せる場が必要だと思いました。
川辺:いろんな人と話した方が視界が広がりますよね。
今村:そうですよね。人と話していると、自分の考えがガラッと変わることもある。その体験を学びの中にもっと増やせたら、学ぶことがもっと楽しくなるんじゃないかと。
川辺:ちなみに、アーダコーダでは、幼児から社会人まで幅広い年齢層に向けて、哲学対話に関するプログラムを提供しています。ベースになっているのは、当時コロンビア大学の教授だったマシュー・リップマンが提唱した「フィロソフィー・フォー・チルドレン」という取り組みで、幼児でも哲学的なテーマについて対話はできるというもの。幼児だから語彙は少ないけれど、不思議なことにオトナよりもシンプルに、メタファー的にオトナと同じような結論に行き着くというものです。
奈木:カタリバもアーダコーダも、相手の年齢問わず、他者と話すことで自分を見つめるという点が共通していますよね。私も大学生のときに、人間というのは人と人の中で生きているんだな、と感じたことがあって。人に触れることで自分のカタチが見えてくるような感覚はすごく分かります。
ちなみに、いつの時代にも「対話がうまく成立しないオトナと子ども」のような構図があるかと思います。たとえば、上司と新入社員のすれ違いみたいな。上手くお互いの意思を伝えあえなくて、何かがズレるような構図。そういった現象が起こりやすい中、お二人とも若者とどうやって対話をしているのかが気になります。分かり合うためのコツみたいなものはあるのですか?
川辺:これは若者、というよりも子ども相手の例なんですけど、例えば、愛について対話するとき、最初の数分ぐらいで愛というテーマがどこかに行ってしまうことがあるんです。僕が想像していた方向には進まなくて、まるで犬ぞりに引っ張られているような感覚。それでも、子どもたちの進む方向に必死についていくうちに、予想もしなかった結論にたどり着くことがあるので、そこが面白いところです。
今村:異論はあるかもしれませんが、私たちの場合、大人は年少である子どもたちよりも見えている情報が多いことに自覚を持って、教育的な視点を忘れないのが大事だと思っています。対話の中で、相手に見えている視野や視座を想像しながら、自分の考えを添えていく。私たちの目的は中高生の考えを少しでも広げ、意欲を高めることなので、そのための問いを立てることを常に考えながら対話をしています。
奈木:中高生の中に、いろいろなお品書きを増やしていってあげるイメージでしょうか?
今村:その子が求めている習熟度の問いや情報を出しながら、一緒に答えを考えていく感覚です。
奈木:「カタリ場」はある程度行く方向は導きつつも、レールは敷かない感じですかね?
今村:レールは敷くべきではないけど、相手を置いてけぼりにしてもいけない。その子の気づきになるような意図を持った対話を心がけています。
奈木:レールは敷かないけど、ガードレールぐらいは用意するイメージですね。ところで、「カタリ場」は高校の授業の一環として実施しているんですよね? いわゆる意識が高い子だけでない集団の中で、例えば意欲がなかったり、発言をしない子に対して、何かアプローチする方法はあるのですか?
今村:おっしゃる通り、「カタリ場」は立ち上げ当初から、学校教育の中で開催することにこだわってきました。意欲のある生徒だけでなく、一見するとやる気がない子たちの気持ちにもさまざまな可能性があるからです。そういう子たちと接する上では、やはり大学生など若い世代が有効な対話相手になっていますね。オトナはどうしても自分が知っていることを先に話してしまったり、彼らの作法に対して上からフィードバックをしたくなったりする。叱れない大人よりも言うべきことを言える大人の存在は貴重なので、それ自体は悪いことではないと思うのですが、それは高校生にとって、非常に退屈なことなんです。
大学生や若者だと年齢が近いこともあって、彼らがどうして授業をめんどくさいと思っているのかの理由を想像しながら、どういう投げかけなら巻き込めるかを考えることができる。タテでもヨコでもない「ナナメの関係」だからこそ、高校生の信頼を得やすいというのはあると思います。
川辺:アーダコーダでは、「セーフティー」という哲学対話のルールを設けています。対話をしている相手の話を聞く、相手が考えているときは待つ、自分の意見を言う、何も言わなくてもよい、他の人が傷つくかどうかを考えて発言する。これらのルールを事前に説明することで、今日は話しても大丈夫だと思えるような環境を作っています。
奈木:共通するのは、自分が向き合っている相手に「大丈夫だよ」って思わせることなんですね。確かに、電通若者研究部で若い人たちと接する時も、話しても大丈夫な空間を作ることで本音を聞き出せることが多い気がします。
※後編に続く