9.11から15年目のアメリカ:海図なき時代のリーダーシップNo.4
ジュリアーニ市長が語る9.11
2016/09/23
皆さんは、たくさんの命が未曽有の危機にさらされる中、その全責任を負うリーダーだったらどうしますか。
あるいは、大問題を抱える究極の男社会に投じられ、改革してくれと言われた女性リーダーだったら。
この問いの舞台が、多様な人種・民族が絶えず出入りしてモザイクのような街をつくり、一足飛びの連携が生まれにくい巨大都市だったらどうでしょう。
今回は、そんな答えを探すべくお会いしたニューヨーク市のリーダーを紹介させてください。
9.11とジュリアーニ市長のリーダーシップ
その初老の男性にお会いしたのは、マンハッタンにあるレストランの個室です。
観測史上、1日で最も多く降った大雪の名残が、道端のそこかしこに残っている日でした。男性は、部屋に入ってくるなり私たち一人一人と握手をし、シーザーサラダ、オーガニックサーモンにダイエットコーラを注文しながら、おもむろに口を開きました。
ルドルフ・ジュリアーニ(Rudolph W. Giuliani)元ニューヨーク市長です。
1994年から2001年にわたる8年間の在任中、ニューヨーク市の殺人を65%減らし、犯罪件数も半分以下にして*1「ニューヨークを全米一の安全な大都市に変えた」と評される剛腕市長でしたが、その名声を不動のものにしたのは、何といっても9.11後の対応でしょう。
「第一報が入ったのは、ホテルで朝食を取っている時だった」
市長のお話は、こんな一言から始まりました。
「付き添いの警官が部屋に入り、私の首席顧問デニソン・ヤング(Dennison Young)に耳打ちした。その時彼が浮かべた表情から、かなり悪い事態が起こったと分かった。内容は、『飛行機が世界貿易センターに追突し、大火事が起こっている』
すぐに外に出ると、美しい青い空が広がっていた。その瞬間、『事故ではない』と思った。やがて2機目が再びビルにアタックしたと分かり、テロだと確信した」
この瞬間から本格的な9.11後の対応が始まります。任期の最終年に起こった、想像をはるかに超えるテロに対応すべく、12月末までの残る「4カ月は、人生で最も多忙になった」。
この期間中、ジュリアーニ氏は、世界貿易センタービルに残った人々救出の総指揮を執り、結果的に2万人ともいわれる人々の命を救っただけでなく、各種メディアを通じたタイムリーな情報発信によって市が正常に機能していることを伝え、市民の動揺や無責任なうわさのまん延を防ぎました。一方、アラブ系住民やイスラム教徒などへのヘイトクライムをやめ、住民同士結束するよう呼び掛けて、テロに毅然と対峙するニューヨーク市を印象付けるとともに、市民と一体となり、復興への道筋をつけたのです。市民の命だけでなくその魂を救い、テロに対峙するアメリカ全体の連帯を形づくったといわれるゆえんです。
ここで大事なのが、ジュリアーニ氏自身が個人的にテロの影響を大きく受けたことです。まず第1機の衝突直後に現場に駆けつけ、ビルの100階付近から飛び降りる多くの人々を目撃して、大変なショックを受けています。その後も南側のタワー2倒壊により指令本部のあったビルに閉じ込められそうになりながら、地下の避難路を探して何とか脱出したり、2000度を超える火事がそこここで発生するがれきと粉じんだらけの街で互いの健闘を祈って別れた同僚や知人が、直後に命を落としたことも知らされます。そんな中、どうやって自分を失わず、冷静な判断が次々と下せたのでしょう。ジュリアーニ市長は、その答えを三つに集約しました。
危機対応に向けたジュリアーニ市長の教訓
1.まず、落ち着く
火事や災害では、最も落ち着いている人に最大の生存率がある。平静でいることで、知恵が感情をコントロールできるようになる。これは父から学んだ。何かあるたびに思い出し、落ち着くよう自分に言い聞かせている。落ち着けない場合は、落ち着いて見えるよう振る舞うことだ。
選択肢がないことに思い至るのも大事だ。市長という職務を全うするために、自分がしっかりしないと全てが崩壊する。自分が落ち着けば、周囲にそれが伝わる。実際、ニューヨーク市民には二つのことをお願いし、市民はそれに応えてくれた。
・アラブ系コミュニティーへの攻撃を控えよう
われわれが攻撃したらテロリストと同じになる。そんなことをしている場合ではない。憎悪、偏見、怒りがこの恐ろしい悲劇を生んでいる。ニューヨーク市民には違ったやり方がある。
・強くいること
通常の生活に戻り、買い物をしてレストランで食事を取ろう。何も恐れていないことを示そう。打たれても屈しない強さ(Resiliency)が テロへの最も有効な攻撃だ。
幸い、アラブ系コミュニティーへの攻撃はなく、誇りに思った。マンハッタンはこれまで以上に強くなり、テロリストたちを揺さぶった。私たちは動揺していないと示せたのだ
2.あらゆる準備をし、考え抜く
落ち着くための実務的な最善策は、あらゆる準備をすることだ。市長就任の前年1993年に、同じ世界貿易センタービル地下に爆弾が仕掛けられ、数人の死者を出した。就任1日目からニューヨーク市がイスラム教テロリストの標的であることは分かっていた。警察や消防、FBI、インターポール(国際刑事警察機構)とも十分なテロ対策を練った。
この結果、 9.11前にはテロを含む各種シナリオに沿った27の緊急対応プランやルールがあり、実施訓練もできていた。さすがに民間航空機を使ったビル破壊は想定していなかったが、通常のあらゆる事態に基づくシナリオがあれば、特殊なケースにも短時間で最善の対応ができる。
次に大事なのは、やろうとすること全てを頭の中でチェックし、あらかじめ考え抜くことだ。特に危機対応においては最悪の事態が何で、どうやって防ぐのか。考え抜くのが難しいときは、なぜそれをやるのか理由を理解する。そうしないで行動すると、問題を解決できないばかりか、事態を混乱させる。いったん決断したら、素早く行動する。
3.自ら現場の最前線に立つ
この考え方には、異論もあるだろう。殺されたらどうするのか、など。ただ、利点もある。まず現場にいることで、それがどんな戦いなのかつぶさに理解できる。次に、現場の「戦士」たちのモラルを高め、士気を醸成できる。周囲は行くなというが、自分は行く。自分ができることを全てやったか、望まれてないことをしていないかも確認する。
自分の目で見ることは、何より重要だ。テロ発生から14分後には現場の様子が分かる所までたどり着き、聞いていたよりはるかにひどいことが分かった。病院にも立ち寄ったが、医師、看護師が通りに出て、野戦病院のような光景だった。この時に大爆発が起こり、2機目が衝突したことが分かった。携帯は全くつながらず、情報は錯綜したり全く入ってこなかったりで、あらゆる混乱が引き起こされようとしていた。現場の光景を見ていなかったら、必ず重大な判断ミスをしていたと思う。
現場の士気を高め、一体化させるには、常にリーダーが最前線にいないとダメなんだ。
ニューヨークでは、9.11直後、本当に多くのリーダーが最前線で活躍しました。消防士、警察官は多くの命を救いながら、(港湾管理委員会職員を含むと)400人以上が命を落としています。市長によると、消防部隊のカルチャーには、「『ベストな人間、言い換えれば、高い階級の人間』が最前線に送られる」という伝統があるそうです。「だから、自分の長年のパートナーだった最も有能な人間たちが真っ先にビルに向かい、命を落とした」
これが正しかったのか間違っていたのかー現場を体験しない第三者が、安易な意見を口にすべきではないでしょう。ただ、もう一度機会があったら、彼らの多くは同じように行動するのでは…という気がします。部下や一般市民の命が危険にさらされる中、誰よりも避難経路への誘導や救出に長け、チームを効果的に指揮でき、責任感あふれる人間がどう行動すべきなのかーなまじの覚悟では答えられない分、「自分だったらどうするか」深く考えさせられる問いです。
次に、側近の方によるお話ですが、市長は事件直後も記者会見場、事件現場、病院や葬儀会場などあらゆる現場に顔を出したそうです。そこではたくさんの市民がすがるように市長を取り囲んで謝意を口にし、握手を求め、市長の「全てはもう安心」という言葉に本当に心強い表情を浮かべたそうです。最も不安な時にリーダーが現場に顔を出し、落ち着いて「大丈夫」と語り掛けることは、想像しただけでもすごいパワーがあると思います。
最後に、全体を通して特に印象的だったのは、市長が繰り返し使ったフレーズです。「自分はXXXを強く信じている」(I’m a big believer in xxx)。市長は、事件から数カ月後のインタビューでもこう答えています。「当時『ニューヨーク市はこの事件を乗り越えてさらに強くなる』と話したが、正直、それが本当か全く分からなかった。でも、ただただそう信じて呼び掛け続けた。あとは、信念に基づいてかじを取った」
刻一刻と状況が変わる危機の渦中では、当然、どう乗り切れるか教えてくれる人間もいなければ、明確な海図もマニュアルもないでしょう。そんな時に頼れるのは、やっぱり自分自身、もっと言うとそれまでに自分が培った価値観や信念、経験なんだな…、その時になっていきなりやろうと思っても厳しいぞ…と思い知らされる1日でした。
次回は、未曽有の惨劇を経てなお成長し、多様な人種や民族のモザイク化がさらに進むニューヨークの治安を守る女性リーダーの話をさせてください。現代、そして平時の大都会の安全を保つ知恵や努力の背景には、多民族国家ならではの問題や可能性が数多くあります。
*1:ニューヨーク市オフィシャルホームページより(www.nyc.gov/html/records/rwg/html/bio.html)