【続】ろーかる・ぐるぐるNo.97
消えていく仕事
2016/12/08
11月のある日、緑が丘の町をぶらぶら散歩していたら、「売地」の看板が。そこはぼくが7歳まで過ごした場所。そして亡父が設計した家でもありましたが、すでに取り壊しの張り紙が付いていました。
東京オリンピックの年に完成した銀座の松崎煎餅のビルも父が関わった建物でした。幼い頃、銀ブラをしていると定礎の石(ビルの足元にくっついている○○年竣工とか、建築会社名が書いてある、あの石です)を誇らしげに見せられたものです。この建物も来年1月にお役目を終えます。
もうひとつ、父が造った四谷の錦松梅ビルが取り壊されるのを知ったのも、偶然荒木町に飲みに行った今年の8月末でした。立て続けに3軒。正直びっくりです。
漠然と、建築家の仕事は永く残るものだと思っていました。でも冷静に考えれば都市の激しい新陳代謝の中で、父が他界するまで何十年も使っていただいたことに感謝しなければなりません。「広告屋さんの仕事は瞬間芸。あっという間に忘れ去られちゃうから」なんて考えていましたが、いまを大切に。ひとさまの気持ちに関われることに感謝して。ひとつひとつのお仕事に精進しなければなりません。
おっと、独り言が過ぎました。きょうは「お漬物」のお話です。
長野県にある木の花屋さんは明治42年創業の老舗。5年ほど前までは大手外食チェーンで使うキムチなどをつくっていましたが、そういった製造請負では十分な利益を確保することが難しく、最近は自社ブランドでの挑戦に軸足を移していました。
とりわけお元気なのが専務の宮城恵美子さん。以前もご紹介しましたが『うまみたっぷり 簡単!漬け物おかず』(家の光出版)という本も書いていらっしゃいます。そこで紹介されているのが「天然うまみ調味料としての漬物」というコンセプト。発酵食品である漬物はサッと混ぜるだけでおかずや混ぜご飯ができる「インスタント調味料だ」というサーチライトです。最近は、この方針に従って、健康的なランチやオリジナルのピザまで開発なさっています。
これは確かに新しい視点。具体策も斬新です。食べてみても、チーズとお漬物の相性はなかなかです。でも、今後の木の花屋は大きくこのコンセプトに賭けてよいものでしょうか? たとえば漬物をフリーズドライして粉砕し、本当に「調味料」にすることもできますが、それが優先して投資すべき事業計画でしょうか?
木の花屋さんと地方新聞社厳選のお取り寄せサイト「よんななクラブ」、そしてぼくたちを交えたチームの議論はここから出発しました。
皆さんなら「長野の老舗漬物業」をどういう風に方向づけますか?「天然うまみ調味料としての漬物」以上のサーチライトは見つかりそうですか? 少し考えれば分かると思いますが、これはなかなかの難問です。鮮やかで洗練された「京つけもの」を除けば、全国至る所によく似た伝統的なお漬物があります。それとどう違いを設定するのか? お客さまにとってどうしたら魅力的になるのか…。
ヒントは木の花屋さんの中に眠っていました。たとえば2004年、カップヌードルを発明した故安藤百福さんがご著書の取材で木の花屋さんを訪れたときのこと。採れたての野菜を「塩に預ける」塩蔵の知恵に強く関心を示されたそうです。冷凍など保存技術が発達した現代において昔ながらのやり方を続けるべきか、迷いのあった宮城さんたちに、郷土食というミニマルで豊かな文化の価値を熱心にお話しになったと伺いました。
店頭で見つけた「山ほおずきシロップ漬」にもヒントがありました。この「山ほおずき」は長野市の奥深く、過疎が進む鬼無里(きなさ)で自生しているもの。「あまり注目されない地元の食材を使うことで、山の生活を微力ながらもサポートすることができる」という強い信念で商品化したそうです。聞けば野沢菜漬けの原材料となる野沢菜も、1996年から少しずつ広げてきた自社農園で自家栽培しているそうです。信州の山の恵みに対する強い思い入れを実感しました。
そうして、こうして、今月ようやくお漬物の新ブランドを立ち上げたのですが…お話の続きは、また次回。ごはんがすすむ極上野沢菜漬けのお取り寄せ情報とともにお知らせいたします。
どうぞ、召し上がれ!