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都市の界隈性とインキュベーション開発No.2

界隈性は、イノベーションのゆりかご

2017/02/16

学生時代に約40カ国にわたる世界一周の旅をしましたが、特にインドのガンジス河畔の街バラナシには、どこの田舎にもありそうな「のんびりした時間軸」「遊びや余白のある暮らし」がありつつ、田舎によくある排他性を感じさせない受容性あふれる雰囲気がありました。

インドのバラナシ©Toshiaki Hasumura
インドのガンジス川のほとりにあるバラナシ ©Toshiaki Hasumura

この街にはインドのさまざまな地方からたくさんの人が巡礼にやって来てウロウロしている(牛もウロウロしていた)ので、地元民からすると日常的に来訪者がいるのが当たり前で、ふらっとやってきた外国人の私も居心地の悪さや疎外感を感じることはありませんでした。

また、「効率性」「生産性」といった考え方や価値観で暮らしている人が少ないようで、決して物質的に豊かなわけではありませんが、のんびりして、川辺で日がなぼーっとしたり、瞑想したり、一日中何をしているのかよく分からない人もたくさんいました。

インドのバラナシ©Toshiaki Hasumura
©Toshiaki Hasumura

「ここは聖地だから、みんな、なんとなくうまくやっていこう」といった空気が漂っていて、よくいえば寛容、少し意地悪にいえば適当ともいえる、おおらかさ。これが、ヒンズー教の聖地という神秘性や大自然ガンジス川の流れという要素と相まって、えも言われぬ魅力となり、界隈性(かいわいせい)の絶対条件ともなる「門戸の開いた、多様な人々の自然な交じり合い」という魅力を放っていました。

街の色を決める「界隈性」。それは、地元民や来訪者も含めた多種多様な人々が街を往来し、つながり、コミュニティーを形成している街の状態です。

裏を返すと、そもそも排他的であったり、門戸が閉じていたり、敷居が高かったり、新参者や来訪者の居心地が悪い、地元民や古参や先輩と呼ばれる人たちが幅を利かせ、新しい人がなじみにくい土地や環境に界隈性は生じ得ません。そういった土地や環境、組織は緩やかに衰退していくでしょう。

界隈性は、イノベーションのゆりかご

日本の20世紀の街づくりの価値観は合理主義的・機能主義的で無駄を排したものでしたが、現在、最も尊いとされる経済価値の源泉は、「イノベーション」です。

イノベーションとは何か、どのように生み出されるのかといった議論は多々ありますが、私は「異なる世界と世界が出合ったときにイノベーションが生まれる」と思っています。異文化、異業界、異分野で培われた価値と価値が掛け合わされるときに、今までの延長線上ではない価値が生まれるのだと。

しかし、価値と価値が出合うだけではイノベーションを生むとは限りません。出合っただけではそれが掛け算になるのか、足し算になるのか、ややもすると、引き算になってしまうこともあります。

新たな価値を生む可能性のある掛け算にするためには、価値と価値とが有機的に交わることが重要です。有機的なつながりを生む「界隈性」こそが、イノベーションのゆりかごになるのです。

では、界隈性が実現する「有機的な交流」とはなんでしょう。ビジネスマッチングで名刺をたくさん配ることや、ビジネスセミナーで講師や受講者同士で名刺を交換するような交わりとは大きく違います。

それらは単発や非日常の「イベント」がベースにありますが、界隈性が生み出す有機的な交流とは、日常的な接触を伴う「コミュニティー」に立脚するものだと考えます。さらにいえば、有機的に交わるためには、それぞれ参加者は帰属する組織の法人格ではなく、個人の人格で振る舞うことが求められます。

界隈性が生み出す有機的な交わり3要素

下図は「有機的な交流の生まれやすさ」を図示してみたものです。

有機的な交流の生まれやすさ

「年に1度のイベント」から「日常的に交わる場」をつくる

まさにこのイノベーションを生み出すゆりかごとして2016年に誕生したのが、私が事業の構想・立ち上げから関わり続けているインキュベーションオフィス「フィノラボ」(FINOLAB)です。日本最大の金融街である大手町の真ん中で、日常的に有機的な交流ができるフィンテック※のコミュニティーをつくり出しています。

※フィンテック…Finance(金融)とTechnologyを掛け合わせた造語FinTech。テクノロジーの力で「誰でも」「どこにいても」便利な金融サービスの恩恵を受けられるように社会を変えていく力のこと


フィノラボ設立のきっかけとなったのは、2012年から年1回、電通国際情報サービス(ISID)が開催しているフィンテックビジネスカンファレンス「FIBC」でした。

国内唯一のフィンテックイベントでしたので、その参加者の質は非常に高いものがあり、投資家・事業会社・起業家の出会いを生み、ビジネスを育てましたが、「コミュニティー」として日常的に交流するには至らずにいました。

そんな中、「イベントベースではなく日常的に日々交わる場が欲しい」とFIBCチームのリーダーである伊藤千恵さんから相談されたことが、フィノラボ設立につながります。FIBCのように単発のイベントで参加者同士が出会った場合、再び会うためには「アポ」を取る必要があります。連絡をして、日時の調整をして、どこかに赴くという、それなりの負荷がかかる行為です。

しかし、「恒常的に交わる場」をつくってしまうと(これがまさにフィノラボですが)アポを取る必要がありません。コーヒーを飲んでいるところに話し掛けたり、遇然廊下やラウンジ、エレベーターで会ったり、電話やメッセンジャーで「今、いる?」が通じる世界です。もちろん込み入った話をする場合には事前に時間を決め個室に入りますが、ラウンジでは即興、即席のビジネスミーティングやブレーンストーミングが日常的に発生します。また、周りにいる別の人も会話に入ってきたりします。

人と人とが「個人の人格で人間関係を築いていく場」をつくる

「有機的な交わり」においては、所属組織の名前は参考情報にはなれども、主語にはなりません。

フィノラボのメンバーや関係者の中では、私が電通社員であるということが重要なのではなく、「こいつは何をやりたいやつなんだ」「こいつは何ができるんだ」という情報こそ重要視されます。

企業体が大きくなればなるほど、個人の名前より所属企業の名前や存在感が大きくなりがちですが、「有機的な交わり」とは、本質的には「生々しい人間関係」そのものです。SNS全盛の現在、その人の人柄をSNSで見つけた共通の友人から聞いたり、友人リストを見て人間関係や所属コミュニティーを参照するというのは当たり前のように行われ、誰かを誰かに紹介したりされたり、助けたり助けられたりしながら、切磋琢磨し成長し合う交流で人は成長します。日々の立ち居振る舞いによって、ビジネスチャンスを得たり逃したりするものなのです。

一挙手一投足とまでは言いませんが、振る舞いの積み重ねが全て自分に返ってくるという覚悟と了解のもと、それでいて互いに気心を許し合いつつ、心地よい緊張感を維持した状態。それこそが「有機的な交流」であり、イノベーションの生まれる源泉だと考えています。堅苦しく言えば、ですが。

一流金融人材×一流テック人材で、異なる価値を掛け算する

フィノラボでは、金融人材とテクノロジー人材の有機的な交流の創出を当初から掲げていました。そこでまず、一流の金融パーソンや彼らと付き合いのある人々、もしくはそれらの出身者に「一流の金融人材はどこにいるのか」「どんなところにいたい・行きたいのか」をヒアリングしました。

結果、面白い答えが返ってきました。「一流の金融マンは丸の内・大手町にいる。彼らはその界隈から出ることを『都落ち』と呼び、忌み嫌う」。もちろん異論はあると思いますが、非常に示唆に富んだ言葉です。金融人材をどこか他の場所に連れていこうとしてもうまくいかない可能性を感じました。

次に、「一流のテック人材」にヒアリングをしました。ここでいうテック人材とは、テック系ベンチャー企業の経営者やCTOなどを指します。彼らは同業他社が多く、かつてはビットバレーと呼ばれていた渋谷界隈を気に入っているものの、そこまで強いこだわりはなく、固定費として重くのし掛かる「賃料」が最大の焦点でした(なので現在は渋谷に固まっておらず、代々木や恵比寿、五反田などに広がっています)。

また、「テック人材」の中でもフィンテックに取り組もうとしている方に「なぜ丸の内・大手町に拠点を構えないのか」と聞くと、返ってきたのは「行けるなら行きたいが、賃料が高い」という回答でした。

フィノラボの最初の発想は「一流の金融人材」と「一流のテック人材」の交流の場、二つの人材が交わる界隈の創造にありました。通常交わらない二つの人種が自由闊達に交わり、価値を融合するところにフィンテックイノベーションを起こすという仕組みを考えたのです。

ポートフォリオ管理経営で、イノベーションを追求する

日本ではイノベーションを起こすという動きはまだまだ過渡期にあると感じています。日々の売り上げや利益を追求すべく、コストカットや合理化を目指す考え方がまだ主流なのではないでしょうか。これは、街づくりに限らずさまざまな業種・業態、メーカーやわれわれ広告会社にもいえることですが、上場して株主の利益を追求する場合、どうしても短絡的に稼ぐ必要があるのは構造的な課題なのかもしれません。

合理化・効率化志向の経営

一方、「界隈性」の議論は、短絡的な利益の視点からすると、ある種「無駄」とも思える要素を多分に含んでいます。1000分の1の確率で起きるかどうかも分からない、つかみどころのないイノベーションを標榜する方向性です。

工夫ややり方次第でイノベーションを生み出す確率を上げることはできても、その成否や成果が分かるまでには長い時間がかかり、そして時間をかけたとしても成功するとは限りません。また、失敗だと判断するタイミングも非常に難しく、長年取り組んで「もう駄目だ、やめよう」と思っていたものが、ある日突然、ささいなきっかけでイノベーションを巻き起こし、大ブレークするかもしれないのです。

ただひたすら、目先の利益が出ないことに歯を食いしばって投資し続けられる体力や気概、強い意志や明確な信念を持った者だけが「イノベーションの追求」を行えるのかもしれません。

イノベーション志向の経営

短絡的な利益を追求してきた企業が、利益との折り合いをつけながらイノベーションに取り組む際に大切なのは、「一点集中型」を避け、複数のイノベーション領域に投資する、「ポートフォリオマネジメント」をすることだと考えます。

イノベーションの追求はほとんどばくちかもしれません。なので、自社の投資余力を一つのイノベーション領域に集中し過ぎた場合、そのたった一つのイノベーション領域での失敗が自社の倒産となりかねません。

そうではなくサステナブルに成長をすべく、イノベーションを追求するのであれば、「100個のイノベーションに投資し、99個は失敗しても、1個成功すれば、他の失敗を回収して余りある利益を上げる構造」を考え、複数の領域にイノベーションの可能性を探っていく必要があります。

しかし、あまり手を広げ過ぎて、一つ一つのイノベーションへの投資が少な過ぎるとどれも全部失敗します。広げ過ぎても絞り過ぎても良くない。高度な目利きを要するにもかかわらず、それらをまとめてポートフォリオにして管理しなくてはいけない、まさに経営戦略の良しあしが顕在化する領域なのだと思います。

一例として、この投資ポートフォリオ管理経営で起死回生の復活を遂げたとされる総合商社の世界では、某大手商社の経営者が株主総会の席で株主から「不採算だったり、利益の少ない開発系の事業の撤退」を迫られた際に、「今日の利益にならずとも、自社の未来を創る領域であるので決して撤退しない。反対するならどうぞ株を売るか私を首にしていただいて結構」といった趣旨のたんかを切ったそうです。非常に難しいさじ加減だと思いますが、まさに経営の妙といえます。

と、ここまでは比較的大きな企業の視点でのイノベーションに関して説明しましたが、スタートアップ企業はポートフォリオマネジメントをする必要はないと思います。脇目も振らず「これだ」と思ったビジネスにまい進し、スケールを目指すべきですし、大概皆さんそうされます。

「失敗したら倒産するとさっきおまえが書いていたじゃないか」と言われるかもしれませんが、本来、スタートアップ企業は倒産してもよいはずなのです。一点集中で全力投球し、そのビジネスが当たらなかったら倒産し、また別の会社を立ち上げて一点集中する。

この繰り返し、リトライが許されるビジネス環境とそうでない環境の違いが、イノベーションの生まれやすさに直結しています。日本はこの点でも過渡期にあるように感じております。