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「グローバル」の話をしない「グローバル」の授業!?

アクティブラーニングこんなのどうだろうレポート №6

  • Nadya Kirillova

2017/05/15

「グローバル」の話をしない「グローバル」の授業!?

電通総研アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所は、2015年10月の設立以来、全国のさまざまな学校で先生たちとユニークな共同授業、実践授業を行ってきました。授業コンテンツを一方的に提供するのではなく、その学校、そのクラスが一番「アクティブ」になる形を、そのつど教育のプロである先生たちと模索。毎回とてもオリジナルな方法と、ドラマが生まれました。研究員がその模様をレポートします。今回は、同研究所研究員のキリーロバ・ナージャからのレポートです。

第一学院高校から「グローバルの授業」の相談

昨年の夏、第一学院高校の方々が面白い相談を持って私の所にやって来た。「グローバルの授業」をぜひ一緒にやりたいというのだ。グローバルの授業? 何だか一見とてもシンプルなのに、いろんなはてなマークが私の頭の上に現れた。それって、外国語について教える授業? 海外のいろんな文化を紹介する授業? それともどうすれば海外で通用するかを教える授業? どれも間違っていないはずなのに、どれも違和感があった。

「違和感」、これは「グローバル」を学ぶのに最も大事なキーワードかもしれない。そうだ、この「違和感」を授業にしちゃえばいいんだ!

違和感:「グローバル」って何のこと? 誰のこと?

「グローバル」、それは何か一つの「世界共通」を指しているようで、実は具体的な何かを指しているわけではない。なぜならば、「グローバル」はさまざまな個性や考え方の集合体だからと私は思う。

その個性や考え方を知ることで、違う個性や考え方があることに気付くことができる。その中で共通する部分にも気付くことができる。そのためには、まず自分がどういう個性でどんな考えを持っているかを知らないと、どこが違って、どこが共通かも気付けない。 それが「グローバル」への入り口なのではと思った。

さらなる違和感:日本もグローバルなんですけど・・・

日本だと「グローバル」は「日本以外」を指すことが多いが、私にとっては日本も「グローバル」。しかもそれはかなり個性的な「グローバル」だ。だとしたら、これを逆手にとって私の視点から日本を見ることで、日本の高校生にその「違和感」に気付かせることができるのではないか。

今回の仮説

「日本」という身近なところを入り口にすることで「グローバル」のハードルをぐーんと下げることができるのではないか。

第一学院高校との打ち合わせでこの仮説を試してみることにした。「皆さん突然ですが、日本の小学校によくある『名札』って何のためにあるんですか?」。大人たちはちょっと驚いた様子で「え、海外にはないんですか?」と言った。

その場にいた人はみんな小学校で名札をつけていたというのだが、あまりにも当たり前過ぎてその理由を考えたことがある人はいなかった。名札がない国があるということも。よし、私の仮説は案外間違っていないかもしれない。

こうして、4回の授業を通してちょっと変わった切り口から「グローバル」を体験できるプログラムを全国に35キャンパスある通信制の第一学院高校で行うこととなった。

「違和感」は見た目から

どんな授業になったのか。気になっていることでしょう。でもその前に、授業以外の違和感について少し紹介するところから始めよう。今回、「違和感」を設計したのは授業の中身だけではない。

第一学院高校は、通信制の学校なので講師と生徒が同じ部屋にいるわけではなく、各キャンパスにある60インチのモニターを通じて授業を聞くスタイル。先生がただ淡々とスライドを説明するだけでは内容が面白くても、90分間生徒に興味を持ち続けてもらうのはなかなか難しい。

そこで、講師を1人ではなく3人にし、「違和感」を紹介する人、そこにツッコミを入れる人、第一学院高校にブリッジする人と役割を分けることで、インタラクティブトーク番組に似た形式にし、スライドの上に3人の顔だけが浮かぶ構成にも挑戦することになった。講師はグリーンバックを背景に、試作を重ねたグリーンポンチョを着て授業に挑み、その様子は3台のカメラを駆使し、各キャンパスに放送された。

 生徒が見ている画面の中の講師たち
生徒が見ている画面の中の講師たち
実はこんな格好でスタジオの中にいる講師たち
実はこんな格好でスタジオの中にいる講師たち

1時間目:日本はこんなに面白い!

日本の学校や街中はたくさんの「面白い」であふれている。例えば、学校なら名札、はちまき、使い捨て教科書、掃除の時間。街中なら、タクシーの白いシート、トイレのスリッパ、整列乗車、信号の色。日本ではどれも当たり前だが、私からするとどれもかなりの「違和感」だった。

クラスメートの名前は覚えるものじゃないの? ゼッケンがあるのになぜはちまきも? 教科書に落書きなんて・・・その一つ一つを生徒と共有する。

なぜそうなのかをリアルタイムで聞いてみる。さまざまな答えをみんなで比較する。日本の中にもいろんな個性や考え方があることに気付く。みんなで身の回りから「グローバル」を発見する体験をした。誰かの「当たり前」は誰かの「違和感」でもあることがある。

2時間目:「グローバルって!? 日本も海外も同じですよ!」

「グローバル」に触れるとき、違うという「違和感」と同様に、同じという「違和感」が存在する。やり方や形式などは違うけど、実は世界には似ているところやモノがかなりある。例えば、学校だと学校のスローガン、制服、弁当や給食。街中だとお祭り、納豆やオーストラリアのベジマイトのようなクセがある食べ物、ハロウィンとお盆、靴を脱ぐ国の方が多いこと・・・。

類は友を呼ぶということわざがあるように違いばかりを探すより似ているところを発見できた方が「グローバル」への近道だ。何だ、これって意外と「当たり前」なんだという「違和感」である。

3時間目:ワークショップ「海外に住む人のための自分の街のガイドブック」

「グローバル」に慣れてきたとろでワークショップの時間がやって来た。3回目の授業は自分たちで「グローバル」に飛び込む練習。お題は、「自分の街と似ている海外の街を見つけて、その街に住む人のためのあなたの街のガイドブックをつくってください」。

ワークショップに取り組む生徒たち
ワークショップに取り組む生徒たち

全国35キャンパスもいわば小さい「グローバル」。他とは違う「その街らしさ」を見つけるところから始まり、その街の「面白さ」と共通する面白さを持つ海外の街を探す。同じだけではその街を訪れるところまで気持ちが動かない。違いも知らないと面白いガイドブックはつくれない。違いも探してみる。90分後、35冊のガイドブックが完成した。

35キャンパスから集まった35冊のガイドブック
35キャンパスから集まった35冊のガイドブック

4時間目:講評35冊のガイドブックをみんなで読む

日本の35の街と海外の35の街の魅力をちょっと変わった切り口から教えてくれる35冊のガイドブック。海外の街との出合いはもちろん、知っている日本の街の新しい側面との出合いもたくさんあった。高校生たちはその一つ一つを発見することで、無意識に「グローバル」に飛び込んでいった。そして、「グローバル」に旅へ出たいと今までよりも思うキッカケになったかもしれない。

この日グランプリを受賞したのは、熊本キャンパスの「アイスランド人のための熊本ガイド」。熊本もアイスランドも火の国であることに着目し、両方の共通した魅力である大自然と温泉を楽しむ提案だった。長年日本に住んでいても熊本が火の国であることを深く考えたことはなかっただけに、講師からも生徒からも最も人気なガイドブックとなった。

グランプリを受賞した熊本キャンパスのガイドブック
グランプリを受賞した熊本キャンパスのガイドブック

もう一つ講師から人気を集めたのは広島キャンパスの「フランスノルマンディー地域圏マンシュ県人のためのガイドブック」。厳島神社とモンサンミッシェルが海に浮かんでいる世界遺産であることに着目し、宮島に来たら穴子飯、モンサンミッシェルにきたらオムレツを食べる共通点やどちらもライトアップがキレイであるところを取り上げている。一度訪れたことがあったとしてもまた行きたくなる切り口だ。

講師の間で人気だった広島キャンパスのガイドブック
講師の間で人気だった広島キャンパスのガイドブック

「グローバル」って何だろう? 世界の人とコミュニケーションをするために語学を学んだり、「グローバル」を体験するために海外へ出て行ったりすることももちろんとても重要なこと。でも「グローバル」の本質は、もさまざまな人の考え方やどうしてそうしているかを理解することから始まるのかもしれない。

今回は、たまたまこういうちょっと変わった切り口から授業をしたが、もっともっと「グローバル」を学ぶ切り口はあるはず。例えば、小学生にいきなり「海外のこと」「英語」を教えるとつい自分とは遠く離れたものに感じてしまうこともあるかもしれない。普段の生活の中で一度「グローバル」との接点をなくした人ももう一度「グローバル」を自分ゴト化するのはハードルが高かったりするかもしれない。でも、身の回りのことから入るなどちょっと切り口を変えることで「グローバル」との接点をつくるキッカケができるのではと思った。

お知らせ:今年2月、JICAグローバル教育コンクールで審査員特別賞を受賞しました。