【続】ろーかる・ぐるぐるNo.108
その道の「アマチュア」になろう
2017/06/01
発売最初は甘口・辛口の2品だったそうです
中国に「麻婆春雨」というメニューは存在しません。というのも家庭のお総菜としてすっかりおなじみのこのレシピを生んだのは、ある日本のサラリーマンだったからです。1979年、永谷園の社長はある社員に言いました。
「2年間、考える仕事だけに専念してよい。好きなものを食べ、行きたいところに行ってよい。時間も費用も自由。その代りよいアイデアを考えること」
それでこの社員の方は国内外を旅することになります。ある日、中華食堂で何の変哲もないスープを飲んで「おいしいなあ。こってりしているし、意外とご飯にも合いそうだ!」、そう思った瞬間、春雨を使ったごはんのおかず「麻婆春雨」のアイデアが誕生しました。「ぶらぶら社員」という名前で知られるこのエピソードを、ぼくは最近初めて耳にしました。
名古屋から中央線で1時間ほど。恵那の町に最近「冷凍おせち」で業績を伸ばし続けている企業「銀の森」があります。その会長の渡辺大作さんは社員にいつもこんなことを言っているそうです。
「味の追求に終わりはないんだから、もっともっと僕たちは探して歩かなきゃダメなんだよねえ。世界にはもっとうまいものがあるはずなんだ。いろいろなものを経験して、つくってみて、食べてみて、そしてまたつくるの繰り返しがさらにおいしさを深めていくんじゃないかと思うんだけど…ねえ、そう思わないかい?」
たまたま立て続けに、二人の経営者がほとんど同じことをおっしゃっているのを知ったので、印象に残っています。そうですよね。まだ見ぬうまいものを探して、もっともっと歩かなくちゃですよね。
一介の広告屋さんであるぼくが商品開発に参加する場合、率直なところその「業界」についてはアマチュアです。でもせっかくなら、最高のアマチュアでありたいと考えています。
そもそも「アマチュア(amateur)」の語源は「未熟(un+mature)」あたりなのではないかと想像していました。ところがちゃんと調べたところ、その起源はラテン語で「愛するひと」を意味する「アマートル(amator)」にあるのだとか。つまり正確に「アマチュア」を翻訳するなら「素人」というよりは「愛好家」の方が近いのでしょう。ぼくがメーカーさんの商品開発に参加する場合、知識だけを比べれば確かに素人かもしれないけれど、文字通り人一倍「愛するひと」でありたいと思うのです。
「その手があったか!」というコンセプトの材料となるのは、直近の課題に関する知識(=特殊資料)と、ありとあらゆる人生経験のような知識(=一般的資料)の2種類です。しかしイギリスの思想家トーマス・カーライルが「火が光のはじめであるように、常に愛が知識のはじめである」といった通り、すべての源は、対象物への果てしない愛情です。
ぼくが知る限り、食品会社の社員で「食べることがキライ」なひとなんて、めったにお目にかかれません。にもかかわらず、お二人の優れた経営者が時を違えて同じことをおっしゃっているところを見ると、まだまだ愛情が足りないのかもしれません。自動車業界なら自動車を。製薬業界なら健康を。流通業界ならお買い物を。かの美食家ブリア・サヴァランは「新しいごちそうの発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」と言いましたが、これほどまでに偏執的な愛情が必要なのでしょう。
…という長~い言い訳をしながら、きょうも食卓で、ちょっとしたぜいたく。愛が足りないのは不幸ですもんね。たまたま入手できた香川の地酒「悦凱陣」を3種類並べて、ちびりちびり。同じ山廃純米でも、使っているお米が違うだけでずいぶん風味に差が出ます。好みがしっかり分かれるもんです…と思って、飲み直すと「あれ?」。飲めば飲むほど「あれれれれ??」。杯を重ねるごとに、それぞれの違いが分からなくなっていくのでした。
愛では補えない実力不足もあるようです。涙。
どうぞ、召し上がれ!