セカイメガネNo.62
霧の迷路の向こう側
2017/11/22
マクギャリー・ボウエン入社前、相棒アンガス・マカダムとワイデン+ケネディで4年間、CDとして働いた。上司のECDは、トニー・デービッドソン、キム・パップワースの二人。キムは寡黙で思慮深い。人の話を注意深く聞き、意見を尊重する。一方トニーは会議で口角泡を飛ばし、全身で不満を表現する。決まり文句は「どの案も全部クソッタレだ!」。二人は全く違って見えたが、そっくりでもあった。どちらもクリエーティブの混沌(こんとん)をこよなく愛していた。その混沌に「ザ・フォッグ」(霧)と名付けるほどに。
まるでもう何年もアイデアを探し続けているような感覚に陥るとき。案の山を目の前にして、何が正しいのかすっかり分からなくなるとき。ザ・フォッグは、現れる。出現を察知するとキムは、メンバー全員にすかさずメッセージを送る。「喜べ!君らはいま素晴らしいものにたどり着こうとしている。フォッグが現れた。ここから飛び切り面白いものが見つかるぞ!」
正直に告白すると、アンガスも僕もこの状態が好きじゃなかった。フォッグは僕たちを恐怖のどん底に突き落とした。企画から制作まで、完全にコントロールすることこそCDの仕事と信じてきたのだから。
数年後、僕たちはECDに就任した。その頃、ピクサー共同創始者エド・キャットムルの共著『ピクサー流 創造するちから』(2014)に出合った。エドは本の中で「ブレイントラスト」(頭脳委員会)を紹介していた。現場最前線で働く5人の達人ストーリーテラーを中心に構成されたグループだ。企画段階で監督やプロデューサーが迷路に陥ったとき、助言を与える。助言を取り入れるも入れないも、当事者の自由だ。
ピート・ドクター監督はそのとき、すっかり迷子になっていた。ブレイントラストの助言を受け、それまで考えてきたアイデアを破棄する決断をした。元の案で残したのは作品名「アップ」と巨大怪鳥のキャラクター「ケヴィン」の二つだけ。公開された映画は、ハリウッド史に刻まれるアニメーションの傑作と評価された(邦題「カールじいさんの空飛ぶ家」2009)。
ピートが迷い、途方に暮れていた場所こそ、霧の中だった。トニーとキムがザ・フォッグと呼び、大切にしていたものだ。フォッグの中で迷いに迷い、辛くも脱出すると、予想もしていなかった面白いものが手に入る。
だから僕たちは、企画制作過程はときおり混沌に包まれるものだと受け入れよう。霧の中で、迷子の時間を、いっそ楽しもう。
(監修:電通 グローバル・ビジネス・センター
イラストレーション:向井潤一)