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スマートフォン 創造的破壊の10年No.5

一周してテレビ2.0:テレビのリーチを維持拡大するために

2018/05/09

『情報メディア白書2018』発刊を記念した連載企画、第5回となる今回でフィナーレとなります。

スマホの可能性がフィーチャーされたこの10年を締めくくるに当たり、私たちはスマホの限界(できること/できないことの区分)についても認識しておく必要があると考えます。

「何でもスマホで」に陥らない複眼的な視野を持ってユーザーの情報環境を捉えていくこと。その視点から、メディアとしての歴史や社会的価値も加味した「テレビというシステム」の持つポテンシャルに迫ります。

一周してテレビ2.0

多くの動画サービスがスマートフォンを主戦場として競争を激化させていますが、一方でネットに結線されているテレビが増えてきたこともあり、家庭の茶の間にある大きなテレビスクリーンで動画を見ている人が増えてきています。

このようなメディア環境の変化を踏まえ、『情報メディア白書2017』の巻頭特集で、「一周してテレビ」という見方を提唱しました。スマホやタブレットなどが普及したこのタイミングだからこそ、一周してテレビスクリーンの重要性に着目しようという提案です。『情報メディア白書2018』では、さらにユーザーファースト視点を突き詰めた「一周してテレビ2.0」を寄稿しています。

「テレビでも動画を見るようになってるよね」というのは周知の事実。にもかかわらず、「動画=スマホで見るもの」という誤解がまかり通っている。「動画をどんなデバイス・環境で見ているか」について、イメージと実際がずれたまま議論が進んでいるのではないかと感じます。

なぜ「動画をテレビで見る」傾向が強まっているのか。それは、スマホはコミュニケーションのための道具で、エンターテインメント目的の利用はそれほど多くなく、滞在時間も短いという特性を持っているからに他なりません。

このあたりは、『情報メディア白書2018』の巻頭特集や「ログデータが明らかにする性年代別アプリの利用実態」でもログデータを基につまびらかにしています。

Hulu、YouTube、AbemaTV、Netflixなどの動画サービスはスマホで見ている人も多いのですが、実は、一回見始めたとき最も長い滞在時間で視聴されているのはテレビであるのがポイントです。

これはテレビの視聴環境が優れているからで、エンターテインメントコンテンツを見るときはテレビを介して、という傾向は今後ますます強まるでしょう。テレビスクリーンが、テレビ放送だけでなくオンライン動画などを含めた主戦場となるということ。テレビビジネスの変革が始まりつつある今、警鐘を鳴らす意味も込めて、「一周してテレビ」という説を提唱しているのです。

ネットテレビの「○○万人が見た」が本当に意味していること:視聴数と視聴率は何が違うのか

元SMAPの3人が出演したAbemaTV「72時間ホンネテレビ」(2017年11月2~5日)が「累計7400万視聴数」と発表されて広く話題になりました。この数字は大変にインパクトのあるスコアだったこともあり拡散された一方で、少々誤解されて受け止められたケースも散見されます。

例えば、極端な事例でいえば「7400万を1億人で割って、74%の視聴率だ」といった言説もありました。しかし視聴数の7400万は視聴者数の7400万人とは全くの別物です。1億人で割った数値は「視聴率」にはなり得ませんし、何を意味するものでもありません。その他、この数値を正しく理解しているとは言い難い感想やオピニオンが見られたことが気にかかっています。

話を進めていくに当たって、まず私たちは視聴率のことを正しく理解しなければなりません。日々、誰もが「ドラマAは視聴率15%を記録」「ワールドカップ日本戦は視聴率30%を超えた」などのニュースに触れる一方で、この指標がそこまで正しく理解されているわけではない面もあるように感じます。

端的に言えば、テレビの視聴率というのは図1のように「面積」を意味するものです。

関東PM世帯視聴率(900ss)1時間番組の場合
図1 視聴率は「面積」で理解すると分かりやすい

例えば、関東の場合。ピープルメーターが設置されている世帯数は現在900とされています。ある番組について、90世帯が最後まで見ていて、残りの810世帯が一切見ていなかったとすると、視聴率は10%となります。

では180世帯が番組の前半まで見ていて、後半パッタリと全員が見るのをやめたとすると…? 実はこれも10%。なぜならば、図示したように面積としては同じだからです。

多くの人が見る時間帯、逆に見なくなる時間帯、それぞれがひとつの番組の時間内に存在しますが、それらをならして考えるということ。これがテレビ視聴率の大原則なんです。

その一方で、ネットテレビにおける指標は、大半の場合において「セッション」です。セッションは対象となる番組にどれだけアクセスがあったかを示すスコアであり、視聴率とは異なる指標です。

先述したように視聴率は「ならす」ものだから長時間の番組ほど視聴率が高くなるわけではないですが、セッション=アクセスの数は時間が長くなるほど増えていきます。このように考えると、72時間番組はその放送中どんどんアクセスが加算され続けるので、視聴数(セッション数)が大きくなるのは当然でもあるわけです。

72時間テレビの視聴数は7400万だから、1時間当たりでは103万セッションとなります。一方、AbemaTVで放送された「亀田興毅に勝ったら1000万円」という番組は5時間で1420万セッションですから、時間当たりに直せば284万。時間単位で比較すれば、実は72時間テレビよりも亀田興毅戦の方が3倍も「見られていた」ことになるわけです。

ここでの趣旨は両番組の甲乙をつけることでは全くなく、一見インパクトのある数字であってもその意味をしっかり検証する姿勢が大事だということです。冷静になって検討すれば、72時間テレビの7400万視聴数というスコアが意味していることも改めて捉え直すことができますし、ましてや全く別物の視聴率と比較することのナンセンスさが浮き彫りになります。

このあたりの事情を踏まえることなく、若者はネットテレビを見ていてテレビを見なくなったといったことを唱える「若者のテレビ離れ」論は、バランスを欠いたものだといわざるを得ないのではないでしょうか。

テレビのネット結線は進む

テレビ受像機でのネット動画サービス利用について
図2 テレビ受像機でのネット動画サービス利用について
 
図3 テレビ受像機で視聴するネット動画ジャンル
図3 テレビ受像機で視聴するネット動画ジャンル

ここで、「一周してテレビ」を考えるためのさらなるデータを紹介しましょう。図2は電通でテレビ受像機をインターネットに結線している割合について調べたもので、最新データではその割合が29%になりました。もちろん継続的に上昇しています。

結線してない人々を含めた全体の内、過去1カ月以内にテレビ受像機でネット動画サービスを視聴した人は12.6%です。

ではどんなサービスを介して見ているかというと、YouTubeなど共有系が一番多い。そこで見られているのは、図3に示したように音楽ビデオが多いのが特徴的で、グループインタビューをすると、YouTubeの音楽ビデオをリスト化し、テレビで環境映像的に流している人が少なくないということが分かりました。

それはなぜか? 今や多くの家庭にステレオやコンポがなく、往々にしてイヤホン以外で最も音が良いのがメインテレビのスピーカーであるためです。テレビは視覚、聴覚の両方において家庭内で最も質の高いデバイスとなっています。これも現代のメディア環境を考える上で重要な視点でしょう。

またテレビをネットにつないでいる29%のうち、そのテレビでネット動画を見ていない人が半分ほどいます。テレビの利用時間は、前者の「動画を見る人」が1日当たり205分で、「動画を見ていない人」が187分。

両者ともに、録画したテレビ番組を見る時間量はほぼ変わりません。では両者の内訳のどこに差があるのかというと、「動画を見る人」ではゲームやブルーレイの利用が活性化しています。そしてテレビ番組のライブ視聴時間が少ないのです。つまりこれはスクリーンをネットにつないでいろいろな選択肢を持つと、テレビのライブ視聴時間が減る可能性を示唆しています。

もともとテレビのスクリーンはテレビ番組を見るためのものでした。そのスクリーンは、今や各種の動画サービスの受け皿になりつつあります。「ここに放送事業者はいなくていいのですか?」―。それこそが、ここ3年間主張してきた「一周してテレビ」論の根幹に当たるのです。

システムとしての「日本のテレビ」の卓越性

日本のテレビ放送はサービスとして優れているだけでなく、システムとしても卓越しています。1クールに1回、必ず違うドラマがかかり、年間同じ枠で4本、全部新作でそれが無料で見られて、放送終了後DVDが発売される―、こんな国はまずありません。普通はお金を払った人が最初に見られて、そうでない人は最後に見るというウインドーコントロールが働きます。

米国などではケーブルテレビや衛星放送と契約して有料多チャンネルのテレビサービスを受けることが主流になっていますが、日本は全国に中継局をおよそ1万2千本整備したおかげで、アンテナがあれば誰でも地上波で、無料でテレビ番組が見られる環境になっています。

これが日本で有料多チャンネル放送の普及率が2割程度と低い理由なのです。ネットやケーブルに依存しなくてもちゃんと地上波としてテレビが届くようにつくられている社会的な仕組みが日本にはあるということです。

NHKと民放の二元体制で100%のリーチを目指すという名目の下、六十数年やってきたことになります。今の地上波テレビ放送は、先人たちの資産の上に成り立っているのです。半面、この盤石な仕組みがあるからこそ、諸外国でネットへのシフトが始まっても、良くも悪くも日本はその歩みが遅いともいえるでしょう。

リーチこそがメディアパワーの源泉であり、同時配信はその維持拡大に寄与する

今テレビを持っていない若年層の世帯は10%程度あるといわれています。これについては、放送局と広告主との間で受け止め方の温度差があるように思います。

放送局は、視聴率に基づきビジネスを行うので、テレビを持っていない人を含めて考えることに慣れていない面もあるかもしれません。一方で広告主は、テレビを持っていない人をどうするのかという問題意識があります。この両者のギャップをどう埋めていくのか、今なお未完の課題です。

「日本の広告費」によれば、テレビ広告費が2兆円弱(地上波で1兆8000億円)あるわけですが、その礎になっているのはリーチに他なりません。リーチを維持拡大していくことが喫緊の課題であり、そのための手段としてネット同時配信を考えるべきではないでしょうか。

今こそテレビ×シェアの可能性に賭ける

「最近、昔のように、人気テレビ番組についての感想を語り合わなくなった」―。こんな声をたびたび耳にするようになりました。例えば昔は「8時だョ!全員集合」のような国民的人気番組があり、翌日(「8時だョ!全員集合」の場合は放送日が土曜日なので翌週)になるとみんなが学校などでその話をした。最近は学校でテレビの話題が上がらないようだ。だからテレビはだめなんだ、といったもの。

しかしこれは、大きな勘違いなのです。よく考えれば分かるように、今はそれぞれの部屋でテレビを見ていますが、実はLINEやTwitterなどのネットワーク上で友人とつながっていて、そこで番組をネタにしてやりとりしています。

つまり、テレビの話題はSNS上で「リアルタイム」に共有されており、翌日に話す必要がない状況も生まれています。「テレビの話をみんなしなくなった」論が、いかに昔のパースペクティブで今の現象を見てしまっているかを示しているように思われるのです。

スマートフォンの時代はシェアの時代でもあります。そしてシェアはリアルタイムであること、素早くやりとりが進むことが肝要です。

この点で、テレビがもともと持っている最も強い価値の一つである「ライブ性」は親和性が強く、例えばradikoやAbemaTVのようなIP(インターネットプロトコル)を使った同時配信の仕組みで、テレビを生かすための方図をもっと突き詰めていくことが求められるはずです。

 
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