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懸命に「ペルソナ」を描いている、あなたへ

ろーかる・ぐるぐるNo.153

2019/03/28

懸命に「ペルソナ」を描いている、あなたへ

骨折

左手の小指を骨折してしまいました。レントゲンにはキレイに二本の筋が写っています。ふつうに生活している限りは痛みもないのですが、両手でパソコンを打とうとするとギプスがShiftキーを押しっぱなし。右手だけでは包丁も、皿洗いもうまくできません。

テニスで相手の放ったスマッシュ(強打)を、ぼくがうまく受け止められなかったのが原因。反省、反省、お恥ずかしいばかりです。自分のカラダを守る「小さな盾」であるラケットを、もっと自由自在に操れるようにならなくては!!

そういえば、古英語のtarga(盾)とet(小さい)が合わさった「小さな盾」が語源だといわれているマーケティング用語が「ターゲット(Target)」。商品開発はもちろん、コミュニケーション設計でも、とても重要なポイントであることはご承知の通りです。

例えば家庭用加工食品の場合。しばしば企画書には「ターゲットは30代・40代主婦」なんて書いてありますが、果たしてそれで十分なのでしょうか?同じ「30代・40代主婦」の中にも「家族に安心できるものを食べさせたい」「楽をしたい」「自分にご褒美を与えたい」など、いろんな人格がありますよね。

その、どこを突くのか?年齢や性別、居住地、職業といったデモグラフィック属性を超えた、もっと心理的な要因に踏み込まないと豊かなマーケティング戦略は描けないですよね、云々。

そんなお話をすると、そこそこの確率で「あぁ、ペルソナ分析ですね」となります。そして「さいたま市在住の既婚女性、マキコさん、38歳。こどもは二人。夫は営業職。自分もアパレルの地域社員として時短勤務中。シンプルでナチュラルな生き方を求めているので、高価なブランドものよりオーガニックな野菜に関心あり。とはいえ忙しいので、スーパーの惣菜を賢く使い分ける一面も…」みたいな架空の人物を一生懸命、描き始めるのです。

ペルソナ

いつの間に「ペルソナ」って、こんなメジャーになったんですかね?

調べてみると1998年、アラン・クーパー氏が提唱した概念。「ユーザのために…」という時の、「ユーザ」の曖昧さを嫌い、特定の人物に焦点を当てる方法論です。

その背後にある「幅広い顧客を満足させる製品をつくるためには、たった一人のために設計する方が効果的だ」という思想には、とても共感できます。しかし、現実にペルソナ分析を導入している現場を見ると、必ずしもうまくいっていないように見えます。

その理由は、大きく二つ。

この分野のテキストとして知られる『ペルソナ戦略 マーケティング、製品開発、デザインを顧客志向にする』(ジョン・S.プルーイット、タマラ・アドリン ダイヤモンド社)によれば「ペルソナはデータに基づいているものでなければならない。ペルソナがデータに基づいていないと思われただけで、ペルソナの信頼性や実用性を損なうことになりかねない」とあり、この本の中でも膨大なデータを丁寧に分析するプロセスが紹介されています。

しかし、ぼくが出合った「ペルソナ」の多くは、漠然とした皮膚感覚と願望、そして幾ばくかのデータの合成。みんなで一生懸命議論している間は盛り上がるかもしれませんが、後から見返すと「あまり使えないね」という程度のシロモノでした。

もうひとつはペルソナが「マーケット・イン」を実現する手法のひとつにすぎないからです。

「その手があったか!」を生み出すぐるぐる思考においては、「ヒト」と「モノ・コト」に新しい結びつきをつくるべく、その間を「行ったり来たり」することを推奨します。どんな技術があるかを明確にして、そこから論理的に思考を進めていく「プロダクトアウト」でも、ターゲットから直線的に考える「マーケット・イン」でもない、「ヒト」と「モノ・コト」の仮説を次々に更新していく「第三の方法」です。

しかし、精緻に描き過ぎたペルソナは、スピーディーに仮説検証していく妨げとなります。どうしても、そこに固執したくなるからです。

ヒトモノ

それにしても。「ペルソナ」って、なんでこんなメジャーになったんですかね。掛け値なしに日本全国津々浦々に広まっています。その本質を理解せずに「架空の人物を描く」という表層だけをマネしているとしたら、モッタイナイよなぁ…とかブツブツ。
きょうもビールが進むのでした。

ビール

どうぞ、召し上がれ!