【続】ろーかる・ぐるぐるNo.157
「利益」を出すだけでは、ダメですか?
2019/05/23
秋田の知り合いから、「長老喜(ちょろぎ)」を頂戴しました。お正月のおせち料理にも入る「おめでたい食べ物」ということは知っていたのですが、人工物なのか天然なのか、なんとなくその姿も不気味で敬遠していました。
ところがいざ口にするとコリコリ、爽やか。ちょっとした箸休めにピッタリでした。聞けばシソ科の植物にできる球根に似た「塊茎」で、東北地方でよく育てられている作物なんだとか。食わず嫌いはダメですね。
そうそう。おめでたいと言えば、学生時代のサークルも、会社も一緒だった後輩の矢野孝典さんが(第55回記事参照) 、ベトナムでの起業をめざし、電通を卒業します。専門のEC分野で頑張るんだとか。
ちょっとさみしいけれど、晴れの門出はお祝いです。そこで昔のメンバーが集まって歓送会をやりました。案の定、主賓が話題の中心だったのは、開始5分だけ。あとは四方山話に花が咲きました。
矢野さんより先に最近、金融系で起業した仲間が吠えました。
「会社ってぇのは、利益を出すための集まりでしょう?だから頑張ってきちんと利益を出しているのに、『良い大学』を出たスタッフに限って、『この会社のビジョンは何ですか?』『どんな正義のためにビジネスをしているんですか?』って、うるさいんだよ。もし世の中にいいことをしたいなら、まず儲けて、それを社会貢献活動に寄付した方がよっぽど効率的じゃないか!」
ホンネのホンネで、「企業にビジョンは必要なのだろうか?」という疑問です。
正直、創業間もない経営者の頭が持続的な利潤の追求でいっぱいになるのはよく分かります。「単なるカネ儲けを超えた基本的価値観と目的意識」なんて余裕はないのでしょう。それでもやっぱり、ふたつの意味でビジョンは不可欠です。
ひとつは、お客様と企業との関係。もし市場の中で(激烈な価格競争を避けるために)独自のポジションを獲得したいなら、独自の価値を提供する存在にならなければなりません。ビジョンはそれをつくる、もっとも根本的な動力です。
もうひとつは、スタッフとの関係のため。独自の価値を創造していくためにはメンバーの強烈な参加意欲が必要ですが、「単なる金儲け」が目的では、その動機づけとして不十分です。よその給料が高ければ、人材も流れてしまうでしょう。
経営学者の野中郁次郎先生は経営者に必要な能力として「フロネシス(賢慮)」を挙げています。実際のビジネスには、ノウハウといった類のテクネ(実用的知識)や、科学的、普遍的に正しい知識であるエピステーメ(客観的知識)だけでは十分でなく、マネジメントはそこに、どんな価値を「よし」とするのか。真・善・美の主観的感覚に基づく判断基準を示さなければならない、とおっしゃるのです。
う~ん。正直、理屈は分かっても、難しいですよね。起業のバタバタの中で、哲学的な真・善・美の追求に時間を割いている余裕はないですもんね。
そんな時、ぼくがオススメするのは、ビジョンを「仮置き」すること。そしてその後もそれを額縁に飾って固定化などせず、頭のどこかで常により良くする努力を怠らないことです。
当然のことですが、「生まれたばかりの経営者」に高度な実践的知識としての「フロネシス」を求めるのも酷な話で、それは数多くの市場との対話を経験して伸びていく能力です。常にビジョンの改善を忘れず、言語化を心がけていれば、自ずと点数は上がっていくはずです。
ちなみに矢野さんの歓送会では、そんなややこしいぼくの発言も、みんなの笑い声にかき消されてしまいました。
さて、このみんなから愛される男がベトナムの地でどのようなフロネティック・リーダーに成長していくのか。楽しみは尽きません。
どうぞ、召し上がれ!