セカイメガネNo.7
食べて、祈って、写真を撮って
2013/07/03
はい、金曜日の夜になりました! 仕事から解放される時間ですよね。ジャカルタの人たちは親しい友達と過ごしたり、初めての人と会ったり、古い友達との小さな集まりに参加します。金曜の夜を心から楽しみ、ストレスを発散し、週末が来ると言っては乾杯、渋滞をうまく避けられたと喜んでは乾杯します。
食事の注文が終わると、私たちはいつも、どんな見栄えの料理が来るかで大興奮。ジャジャ〜ン! 私の料理がやって来ました。全員の料理がテーブルにそろうと奇妙なことが始まります。
カシャッ。
みんなが料理がおいしく見える最高のアングルを一斉に探し始め、自分がおどけて見える完璧なフィルターを選んで、アップロード!
私はこの新しい習慣を観察しながらつい苦笑してしまいます。女性だけではなく、男性も同じことをしています。一つ確かなのは、この習慣が広まったおかげで、きっと誰かが食前の祈りを忘れるだろうということです。
さらに何分かすると、一人ずつ携帯電話を取り出し再び画面にくぎ付けになります。目の前の仲間はそっちのけ。誰かが自分の画像にコメントしていないか確認したいのです。他のテーブルを見ると、ほぼ半数の人が私たちと同じことをしています。
今は誰もが生活の中で「アナログ」の友人と「デジタル」の友人を持っているのだからおかしなものです。夕食時間の30%を「デジタル」の友人たちと交流し、一緒にテーブルについている「アナログ」の友人をその間、放り出しているのですから。多分、私たちはこれまでと違う世界に向かいつつあるのでしょう。アナログ生活をデジタル・プラットフォームで共有する世界です。
そこで、もう一つの疑問。なぜ食べ物なのか? 職場でちょっと質問してみました。「あなたにとって食べ物はどんな意味があるの?」
結論はこうでした。料理や食べ物はもはや私たちの胃袋を満たし、栄養を得る手段にとどまらない。自分の地位、財産、気分を表すシンボルになっています。珍しくて、おいしくて、値段の高い食べ物を買うことができたら、自分の成功の象徴として他人に誇れるのです。
では、そろそろ私も友達とランチに行きますね。もちろん写真を撮るのを忘れないように!
カシャッ。
(監修:電通イージス・ネットワーク事業局)