アート×ビジネスの妄想夜会No.5
アート・マーケットが広げる未来とは? (來住尚彦×林保太)
2021/07/26
2020年12月7日から五夜連続で「アートとビジネスがつくる未来を妄想する夜」と題するウェビナーが「アートとビジネスをつなぎ、豊かな未来を描く」をテーマとした電通社内ラボ、Dentsu Art Hubの主催により開催された。アート×ビジネスにそれぞれの立場で深く関わる猛者たちによる対談&鼎談は、いずれの回も「三つのキーワード」のもとで行われた。ご本人により事前に設定された「妄想トーク」のテーマは、それだけで聴く側の妄想が掻き立てられる。
この連載では、ウェビナーを通じて見えてきたアートの本質、ビジネスの本質、さらにはそのアートとビジネスが「掛け算」されることで創造される未来という大きなテーマに、編集部ならではの視点から切り込んでみたい。
第四夜にあたる本稿では、アート東京代表理事來住尚彦氏と文化庁文化経済・国際課課長補佐林保太氏の対談内容から、アート・マーケットの本質について掘り下げていく。
文責:ウェブ電通報編集部
「美しいものが、好き。美意識という言葉は、嫌い」(來住尚彦)
來住氏の特異性は、なんといっても彼の経歴の「前職」に見て取れるだろう。TBS時代には、数々の音楽番組を手がけるプロデューサーとして活躍。あの「赤坂サカス」という巨大な複合エンターテインメントエリアの企画立案立にも、その手腕を発揮した。アート業界への「転身」は、2015年の「アートフェア東京2015」に端を発しているというから、まだ日は浅い。この「日の浅さ」、逆に言うなら、なにかを成し遂げる「スピード感」こそが、來住氏という人物を知る上でのキーワードになるにちがいない。
見出しの発言は、ウェビナーの後半でのもので、來住氏のアート観、仕事観というものがよく表れている。「美しいもの」が嫌い、という人はそうはいないだろう。だれだって、美しいものは好きだ。でも、「美しいものが、好き」と人前で言ってのけることは、難しい。当たり前のことすぎて、なんだか恥ずかしいからだ。
それは「美意識」という言葉に対する意識にも、現れている。美意識という言葉のニュアンスは、美徳といったものに通じると思う。「私は、美意識という意識を持つ、美徳を知る崇高な人間である」という意識。そうした意識こそが、アートというものの敷居を高くしている、と來住氏はばっさり斬って捨てる。「美は、意識してはいけない。意識したら美ではなくなる、ということです。だって、美しいものって、心で素直に感じるべきものでしょう?そして美を素直に感じる心でありたい」
「好きで手に入れた作品の価値があがると、うれしい」(林保太)
対する林氏の経歴も、これまた異色だ。なにしろ現役の国家公務員だ。それも「お文化庁」の。いま、「お文化庁」と茶化してみせたのには、わけがある。文化を、お文化として認識した途端、その敷居が高くなる。文化のもつ本質を見失い、なにやら崇高なもの、簡単に手を触れてはいけないもののような気がしてくる。どこかで耳にしたようなフレーズを拝借するならば「お文化となりますと、私たち庶民はそうそう簡単には手が出ませんよね?お作法とかも面倒そうだし。そもそもこちら、お高いんでしょう?」といった感じだ。
見出しの発言も、來住氏同様、ウェビナーの後半で林氏がぽつりと漏らしたものだ。額面どおり受け取ると「しめしめ。100万円で買った絵画が、300万円になった。200万の丸儲けだ」といったことのように思えてしまうが、林氏の本意は、もちろんそんなところにはない。「自分自身が、いいな、と思った作品が他の人からも評価されるのって、正直、うれしいじゃないですか」。たとえば筆者が、珈琲をこよなく愛する人間だったとして「いいですよね、珈琲。特に、この店の珈琲。ここの珈琲なら、100万円だと言われても、飲みたくなりますよ」なんて言われたとしたら、もう、うれしくて、うれしくて、たまらない気分になると思う。アートとは、そこから広がるマーケットとは、おそらくはそういうことなのだ。
今宵のキーワード (その1)Art is a lifestyle.
林氏が挙げた第一のキーワードに、どういうわけか來住氏が子どものようにうれしそうな表情をしてみせた。実はこのフレーズ、來住氏が「アートフェア東京」をプロデュースするに当たって掲げたスローガンなのだ。
スローガンを考えるに当たり、真っ先に來住氏の頭に浮かんだのが「美」の一文字だったのだ、という。いかにも「美しいものが好き」な來住氏らしい。なにかを思いついたら、即、行動に移すのが來住流の仕事術。さっそく「美」という言葉を、デザイナーのコシノジュンコ氏に見てもらったのだという。「その時に返ってきた言葉は、正直、目ウロコでした」と、來住氏は振り返る。「あのねえ、來住さん。アートというものの本質は、美しさなんてものじゃなくて、生活なの。生活そのものが、アートなのよ」
アートフェア東京とTGC(東京ガールズコレクション)のコラボレーションという企画を考えた時、アートとファッションの原点の共通項を探そうとしていた。それは「美」であると考え、コシノジュンコ先生に話をした。先生の、「えっ、アートとファッションは何も違わないわ」とさらに上をいく言葉にありがたくも悔しくもあったことは忘れない。
來住氏はこう続ける。「Art is a lifestyle.そう考えると、途端に気持ちが楽になるというか、わくわくしてきませんか?」。お気に入りの店で、いつものアレが食べたい。好きなファッションをまとって、どこかへ出かけてみたい。アートというものは、そうした日々の暮らしに、その人らしい日々の暮らし方の中に、自然と溶け込んでいるべきものなのだ。
Art is a lifestyle. というテーマのもと、來住氏はいろいろなことを仕掛けだす。中でも象徴的なのが、TGCとアートをコラボした試みだ。「根底には、美があるんですよ。それも、若い女の子が、いいな、欲しいな、と思えるような日常にある美。その市場は、ものすごく大きなものにちがいない。そう感じたんです」
「実際、広がりが出ましたよね」。來住氏と共に数々の「仕掛け」に参加してきた林氏は、そう証言する。お二人の関係性は、単純明快だ。Art is a lifestyle.という同じ目標のもと、こんなことはできないだろうか、と來住氏が発想する。その発想に、林氏が知見でもって応える。その知見をもとに、來住氏がプロジェクトの図を引く。そのプロジェクトを具現化するための段取りを林氏が進行表にまとめる。その進行表をもとに、さまざまな人を來住氏が口説いて回る。そんなイメージだ。
今宵のキーワード(その2)エコシステム
お二人が仕掛けるプロジェクトには、「エコシステム」というもう一つのキーワードがある。なにも難しいことではない。「読み、書き、ソロバン」のソロバンに当たる部分だ。
実際、來住氏の話を聞いていると、その端々に数字(金額)が出てくる。「アートフェアの売り上げは、およそ30億円。この金額は、これだけ儲けたいな、ということではなく、これだけのことをするには少なく見積もってもこれだけのことが必要で、そのためにはこれだけの金額が集まらなければ、どれだけいい図が引けたとしても絵に描いた餅になってしまう、ということです」。「ライブコンサートの市場規模は、2500億円。それに対してアートの方は、3000億円とほぼ同じ市場規模。ということは、組んだ方がお互いにとってメリットがあるということではありませんか?」
ものすごく簡単な、言ってみれば小学生でも分かる算数だ。でも、そうした発想が、並の人間にはまずない。來住氏のアイデアでアートフェア東京の「100KIN」という企画を仕掛けたこともあるという。これは、100万円未満のアート作品だけを展示販売するというもの。平成27年から100万円未満のアート作品は減価償却資産となったことを伝えるためのものだ。
「來住さんのスゴイところは、アイデアが驚くほどシンプルで、具現化するためのソロバン勘定(=エコシステム)も理にかなっていて、しかもそこには必ず遊び心があるということなんです」。遊び心とは真逆のイメージの「お」文化庁の「お」役人が、子どものような笑顔を浮かべてプロジェクトを前へ前へと進めている。この点もまた、実に興味深い。
今宵のキーワード(その3)文化芸術立国
「1945年以降、日本人はアートというものをどこか神棚にあげてしまった、という感じがするんですよね」。そう、林氏は話す。経済大国を目指すあまり、文化芸術という大切な財産、あるいは資産を活用することを、文字通り「棚上げ」にしてきてしまったのではないかという。
文化庁の仕事には、現在を起点に「過去と向き合うこと」と「未来と向き合うこと」の二つがあり、どうしても前者が優先されてしまうことは否めない。でも、お二人の説に従うなら、アートというものは本来、生活に根ざしたもの、現在(いま)を生きる人々の生活とともにあるべきもののはずだ。
この点に関しても、來住氏の説明は単純明快だ。「アートには、価値と価格という二つの側面があるんです。価値ということについて、日本人はある程度理解している。時には畏れの念すら抱く。でも、価格が議題にあがった瞬間、そこにカネは使えない、払えない、みたいなことになってしまう」
そのためには、「場の力」を引き出すことが重要だ、と林氏はいう。家庭でも、イベント会場でもどこでもいいから、とにかく「(日常的に)アートと触れ合うための場」をつくることが肝心で、そうした場があること、数多くのアートを実際に観ることで、アートに対する審美眼(=いいものを選ぶ力)が自然と養われていく、というのだ。
最後に、と來住氏が披露してくれた話に、心が大きく揺さぶられた。「外国の友人宅に招かれたときに驚くのが、どの家にもアートが飾られていて、自己紹介の代わりにそのアートについて誰もがうれしそうに語り、君はどう感じるかと、必ず聞いてくるんですよ。いいですよね、そういうのって。僕がアート・マーケットを拡大させたいと願うのは、そういうことであって、アートでいくら稼ぎたいとか、この国のGDPをどうしたいとか、そんなことではないんです。もっと大切なことがアートの周りにはあるんです」