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それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習No.3

2021/10/07

自分の名前を人生の羅針盤にする解釈の方法。

こんにちは、コピーライターの阿部広太郎です。突然ですが、あなたは自分の名前の由来を、親御さんから聞いたことはありますか?

「名前は子どもへの最初の贈り物」と言われたりもします。つまりは、私たちが人生最初に受け取ったものが「名前」とも言えるのではないかな、と。「解釈」をテーマに据えるこの連載では、自分の名前も鵜呑みにせずに考えていきたいと思います。

自分の名前の由来を深く知り、そこに解釈を加えていくことで、人生の羅針盤にすることもできると思うのです。

何万回も書いてきた自分の名前、どうしてその名前になったんだろう?

「自分の名前の由来を調べましょう」
「名前の字の字源/語源を調べ尽くしてみてほしいです」
「その上で、A4・1枚で伝わるようにまとめてください」

僕が主催する「言葉の企画」という連続講座があります。参加するみんなで「名前紹介」という課題に取り組みました。

「自己紹介」ともまた少し違う「名前紹介」。看板を掲げるがごとく、これまで何万回と書いてきた自分の名前は、どうしてその名前なのか?どういう由来がそこにあるのだろう?じっくり考えたことって意外にないですよね。

自分の名前について、名付け親にその由来を聞いてみる。そして自分自身で字源や語源を調べてみる。自分の名前に込められた思いを知り、解釈する。何より、人に紹介できるようになってほしくて取り組んだ課題でした。

新たな解釈をトッピングしてもいい。

僕の「阿部広太郎」という名前の話をさせてください。

名付ける時、そこにはどんな思いがあったのだろう?子どもの頃に親に尋ねた記憶はあるものの、曖昧になっていました。もう一度、なぜ「広太郎」に決まったのか、照れる気持ちを脇において聞いてみたところ……、

両親で話し合ったそうです。だれかに依頼するより、自分たちで考えよう、と。本をよく読む父が、たくさんの候補を考えて、漢字の意味や字画も検証した結果、「広太郎」と「新太郎」という2つの候補から、「広太郎」に決まった、とのことでした。

し、新太郎……⁉ 30年以上生きてきて初めて知る事実でした。

不思議な気持ちになりました。もしも、新太郎になっていたらどんな人生を送っていたのだろうか?きっと新太郎らしい日々を過ごしているとは思いつつ、もう一つの人生を妄想してしまいます。

「名は体を表す」の言葉通り、「広太郎」として生きてきて、僕は今、広告の仕事を生業としています。広告会社への就職が決まった時に母が、こんなふうに言ってくれたことを覚えている。

あんたの広の字はね、「広告」からとったのよ、がんばりなさい。広告太郎なんだからね。 

本当の本当は「海のように広い心を持ってほしい」という願いから名付けてくれていた、というのは知っていました。それがすべて、とこだわる必要もなく「後から思いを追加していいんだ!」と、なんだかそれが新鮮で驚きがあって。だから今でもよく覚えています。

必然だったんだよと言うかのように、新たな解釈をトッピングする。これから社会人になって広告という道に進もうとする息子に「あなたは阿部広告太郎なのよ」と、ハッパをかけてくれる母の言葉がうれしかった。

入社2年目、人事局からクリエーティブ局に異動した際に、先輩たちに向けた自分の広告をそのエピソードを基にしてつくったこともありました。

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「受け取った名前×見いだした意志」で、「こうしていきたい!」を見つける。

親が名付けてくれた理由は大切です。でも、それは一つの参考資料にすぎない、と強く言いたいです。

受け取った名前と、長く付き合っていくのは他でもない、自分自身。自分がその名前に対して、どんな意志を見いだしていけるのか?そこが何よりも重要だし、自分自身の解釈を加えていくことで、もっと愛着の湧く名前になっていくのではないかと思うのです。

僕自身も「広」という1文字があるから、広告業界だけにしばられずに、広い視野を持っていたいと常々思うし、「太」という1文字があるから、安定感を意識しながらも、いざというときに大きな勝負ができる太い生き方をつくっていくぞ、と思えます。

そう、自分の名前をよりどころとしながら「こうしていきたい!」という思いを見つけていければいいのです。

名前の育ての親は他ならぬ自分なのだから、自分の希望を込めてしまおう。

名前は呪いだ。そう言う人がいます。確かに、親から受け取った思いが時にプレッシャーになることもあるかもしれません。ずん、と両肩と背中にのしかかる「呪い」のようなイメージです。

ただ、「お呪い」と書いて「おまじない」と読みます。それは、神秘的な力に頼って、願いをかなえようとすることに他なりません。不幸を祈って名前を考える名付け親がいるでしょうか?

だから当然、こうとも言えます。名前は祈りだ。名付け親の期待も願いも把握はする。大切なのはその先です。自分は名前をどう受け止めるか?どう解釈し、どんな意志を見いだすのか?

それは、自分で決めていいと思うんです。不思議なもので、名前みたいな人になっていくし、名前みたいな人生を過ごしていくから、自分の希望をそこに込めてしまいましょう。自分の名前の育ての親は、他ならぬ自分自身なのですから。

どうしても自分の名前に納得できない場合は、名付け直したっていいと思うんです。覚悟を決めて戸籍上の名前を変えることもできるし、ウェブ上のハンドルネームを自分で考えるのだっていいと思います。一番長く一緒に過ごす名前を自分で納得のいくものにしていくのは精神衛生上、とても良いですから。

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『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』
ディスカヴァー・トゥエンティワン、288ページ、1650円(税込)、ISBN 978-4799327371

自分の名前を解釈し、自分の軸を見つけた3人の名前紹介は、僕の著書『それ、勝手な決めつけかもよ?』で紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

改めて親に連絡をして、名前の由来を尋ねるのは照れるし、気恥ずかしいかもしれません。そんな時は「こんな記事があって……」と、言い訳にしてもらえたらうれしいです。

自分の名前を愛する、そして、誇るためにも、自分の名前を旅してみませんか?自分の名前の由来を調べてみてほしいと心から願っています。きっとそこに、新しい発見があるはずです。

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