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それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習No.4

「嫌い」を解釈するとむしろ楽になれる理由。

2021/12/20

こんにちは、コピーライターの阿部広太郎です。

あなたにとって「好き」とは何ですか?

ここ数年で、「好き」という言葉がキーワードになったように感じます。「好きなことで生きていこう」や「好きを仕事に」というようなメッセージを見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。

そもそも、ここで意味する「好き」とは何だろうかと考えてみた時、それは、好き勝手に、自由気ままに、やりたい放題やろう、ということではないと思うのです。「好き」を見つめるということは、自分の気持ちに素直になることだと考えています。

日々ニュースやSNSの情報に触れて、時に振り回されてしまう今、自分の気持ちに素直に向き合うのも難しいなと感じることがあります。

自分が心惹かれるものは何か?一度立ち止まり、自分の心を受けとめ、解釈してみる。そうすることで、そこに向かって歩みを進めていきたくなる「好き」はおぼろげでも見えてくるはず。

「好き」を考えることは、自分の羅針盤を見つけることだと僕は考えています。

好きな人と嫌いな人を通じて、自分を浮き彫りにしていこう。

一人一人の心にあるやわらかな感性を見つめていくために。自分自身の「好き」と、真逆の「嫌い」を自覚するためにやっているワークショップがあります。

「好きな人」と「嫌いな人」に名前をつけてください。

「好き」と「嫌い」は、言葉になりにくい感覚的な部分も多いけれど、「好きな人」と「嫌いな人」であれば比較的イメージしやすいのではないでしょうか?自分の気持ちを一度見つめてみよう、というのが狙いです。

止められてもまるで磁石のように引き寄せられていく「好き」という感情。一方で、1ミリでも遠ざけたい、そうはなりたくないと心から叫びたくなるような「嫌い」という感情。

磁石のN極とS極のような、両極端にある感情を見つめることで、自分が浮き彫りになっていく感覚があります。生きてきた中で、出会ってきたたくさんの人たち。「好きだなあ」としみじみ思う人もいれば、一方で、「二度と会うもんか、嫌いだ!」と思う人もいたはず。

このワークショップは決して、好きな人、嫌いな人の実際の名前を書いてください、という問いかけではありません。

自分の内面をのぞき込むように「好きな人」と「嫌いな人」を思い出していく。そして、心に浮かんだその人物像に名前をつけてみたいのです。

それはどんな人でしょうか?
「好き」や「嫌い」は、どんな共通項を持っているでしょうか?
あなたならどんな名前をつけるでしょうか?

実際にコピーライター養成講座のワークショップで名付けた例を見てもらいながら話を進めていきます。

好きは自覚することで、どんどん接近することができる。
 

『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』
『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』 P.68より引用

名付けられた「好きな人」はどんな人なのか、順に説明するとこうなります。

「創造しい人」
→どんな時も創造することをやめない人

「映画版ジャイアン」
→普段はちょっとなあ……と思っていてもいざという時、異常に頼りになる人

「実家の毛布みたいな人」
→まるで毛布で包まれるように、とてつもなく安心感のある人

「終日快晴」
→いつ会っても明るくてごきげんな人

「嫌いな人の嫌いな人」
→合わない人の合わない人は、きっと嫌いが一緒で気が合う人

それぞれの名前を見て、あなたはどう思ったでしょうか?

今回のお題に取り組む時、まずは自分の感じたことを説明文として書き出すことがスタート地点になります。「名前をつける」という行為を通じて、自分の感情をちょっと俯瞰して見ることができます。

「騒々しい」をあえて「創造しい」とするように、引用できる表現がないか?
「映画版ジャイアン」のように、有名な物語に似たような状況がないか?
「まるで実家の毛布みたい」のように、何かにたとえることができないか?

好きという気持ちを、のぞきこんだり、離れてみたりしながら、自分の好きの正体を明らかにしていきます。

好き、惹かれる、という人物像が見えてきたら「こうありたい」と自分自身にリマインドすることができるし、目指す先が見えてくるとも言えます。「好き」は自覚することで、どんどん接近することができるのです。

「嫌い」を放置してはいけない。むしろ見つめて楽になろう。

『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』
『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』 P.69より引用

名付けられた「嫌いな人」がどんな人なのかも説明していきます。

「レディー・我々」
→私が! 私が! と我が強く、あまりにも主張が激しい人

 「揚げ足鳥太郎」
→良いところに目を向けず、人の揚げ足ばかりを取ろうとしてくる人

 「言い訳大臣」
→言い訳しているばかりか、ふんぞり返って偉そうな人

 「縁の下の太鼓持ち」
→縁の下で支えるというより、媚びへつらってばかりいる人

 「妖怪二枚舌」
→あっちこっちで人を欺くような都合の良いことばかり言っている人

「嫌い」という感情の取りあつかいには気をつけたいと思います。このワークショップをやってみて感じたことがあります。

「粗探しをする人」「傲慢な人」「自慢話ばかりする人」など、ダイレクトな表現で「嫌い」を表現する人が多くいました。人は、好きよりも嫌いなことを言う方が饒舌になるし、歯止めがきかなくなるのだと思います。悪口で盛り上がることも、だれしも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

だからこそ、オブラートに包むことを心がけたいのです。
それはつまり、ユーモアに包むということだと考えています。

まず、自分にとっての嫌いな人とは何か?を捉える。そこから、「レディー・ガガ」「大臣」「妖怪」のようにみんなの知っている名称にひもづけてみたり、「揚げ足鳥太郎」のように擬人化してみたり、自分の口から外に出る時に、やわらかく包む。

「ああ、なるほど!」と自分にも相手にも受け取りやすくしてあげる。というのも、「嫌いだ」というどす黒い感情は、放置しておくと炎症が広がっていくし、抱えていると支配されてしまいます。

棘をつくり心の中を転がり出してチクチクするし、考えたくもないのに気になってしまう。そういう時こそむしろ「嫌い」を見つめてみる。

「人の振り見て我が振り直せ」という言葉には、なるほど、と思います。「嫌いな人は鏡に映った自分」という言葉には「そんなことあるかな?」と半信半疑ではあるけど、その人を見て嫌だと思う時に自分の心の何かが反応しているのは間違いありません。

似た部分があるとしても、絶対に遠ざけたいと思うにしても、それを考えることは、自分の生々しい感情と対峙することに他なりません。そこに痛みが伴うかもしれない。けれど、正体が見えて、輪郭をつけて、言葉にできたら楽になります。

『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』 ディスカヴァー・トゥエンティワン、288ページ、1650円(税込)、ISBN 978-4799327371
『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』
ディスカヴァー・トゥエンティワン、288ページ、1650円(税込)、ISBN 978-4799327371

 
「阿部さん、私の場合『好き』がなかなか見つからなくて……」

そんな相談を頂いたこともあります。そういう時は「嫌い」から考えることを薦めています。自分にとっては何が嫌いで、避けたい事態は何なのか?嫌いを見つけた上で、ユーモアに包むと、壺に蓋をして「封印」の張り紙を貼ることができたような安心感が生まれます。そこを避けて歩いていけば自ずと心地よい「好き」へと辿りつけるのではないかなと。

自分の心を見つめる、解釈する。僕の著書『それ、勝手な決めつけかもよ?』は、自己解釈本として書き上げましたので、ぜひご覧ください。心が軽くなるヒントがきっと見つかると信じています。

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