チームとは、なんだ?No.4
オンラインとオフラインのはざまで(後編)
2022/02/25
コミュニケーションの本質について、早稲田大学の村瀬俊朗氏に問う本連載。コミュニケーション、コラボレーション、リレーションシップ、エンゲージメントなど、とかく横文字のワードが並びがちなこの業界だが、その正体とは一体なんなのか?村瀬氏に分かりやすく解説してもらった。
大切なことは「広さ」×「深さ」
前回の#03につづいて今回も「オンラインとオフライン」という観点で、村瀬氏に話を伺う。「ソーシャルメディアの最大の魅力は、社会的地位の縛りを弱められることだ、ということを前回、お話しさせていただきました。端的に言うと、便利だということです。老若男女、年齢や地位に関係なく、いつでも、誰とでも、場所を移動することなく、それこそ、世界中の人とつながれる。コストもかからない。魅力は、コミュニケーションのスピードと広さにあります」
「一方で、リアルなコミュニケーションの魅力は、深さです。前回、立体的なコミュニケーションができる、と申し上げましたが、ポイントは、オンラインコミュニケーションの浅くて広い、ということに対して、狭くて深い、ということなんです」
このように整理してもらえると、オンラインとオフラインの特徴や利点がよく分かる。広さと深さ。人との付き合いにおいても、自身の人間としての成長を考えても、この二つはとても重要だ。「オンとオフ、両方をうまいあんばいで使いこなすことが、大事だと思いますね。どちらにも、メリットとデメリットがある。その長所を見極めることが重要です」
ともすれば人は、デメリットばかりに目がいってしまいがちだ。「デジタル、便利というより、煩雑だなあ」とか、「部長にお酌するのは、面倒だなあ」とか。村瀬氏の指摘は、そうではなく、「広さ」と「深さ」という視点で、コミュニケーションの方法をポジティブに考えてみましょうよ、ということだ。
クリエイティビティとはなにか?
ここで、クリエイティビティとはなにか?という話を村瀬氏に振ってみた。筆者自身、20年以上、コピーライターという肩書で仕事をしてきて、チーム力の大切さは分かっている。よほどの天才でないかぎり、一人の力ではクリエイティブなものなど、生み出せない。
営業(いまはビジネスプロデューサーという肩書になっていますが)がいて、クリエイティブディレクターがいて、マーケティングのプロがいて、CMプランナーがいて、アートディレクターがいて、制作会社のプロデューサーがいて、演出家がいて、制作スタッフがいて、といったようなチームがあってはじめて、15秒のCMができあがる。
「創造性とは、自身から遠い場所にある、自身とは違うアイデアを対立させて、組み合わせることで生まれるものだと思います。多様性のいいところは、個々に好き勝手なことをやっていることではありません。えっ、こんな掛け算があるの?という発見があってこそ、クリエイティブなものが生まれる。それを支えているのが、コミュニケーションなんです」
村瀬氏によれば、似たような人が集まって、同じ場所と時間を共有して、似たようなことを話して、似たような行動をしていては、クリエイティブなものは生まれない、という。「部外者は、排除したい」という気持ちがどうしても生まれてしまうからだ。
「リアルな付き合い一辺倒だった頃には、ゴールを教えたい、ゴールを教わりたい、という関係のみでコミュニケーションは成立していた。仕事でも、恋愛でも、夫婦関係でもそうだと思います。でも今は、そのゴールを自由にチームで決めようよ、という時代になっている。自由を手に入れるという意味でいうと、オンラインのコミュニケーションほど、使い勝手のいいものはありません。そして、その自由をひとつの形にするためには、なんらかの枠組みが必要です。ルールとかチームというのは、素晴らしい枠組みのひとつだと思います」
深い話だ。次回からは、いよいよこの連載のテーマである「チーム」というものの本質に踏み込んでいこうと思う。(#05へつづく)
【編集後記】
インタビューの最後に、「同期とのコミュニケーションの特徴とは、どういうものなのでしょうか?」という質問を村瀬氏に投げかけてみた。電通のような会社にいると、200人近い同期がいたりする。担当している仕事はバラバラ。50歳をすぎれば、出世している同期もいれば、いわゆるヒラ社員もいる。とっくに会社を辞めている人間もいる。別に、常日頃、付き合いがあるわけではない。それでも、どこかでつながっている。助けてほしい、というときには、唐突にメールを送っても、応じてくれる。久々に飲みにいかないか、ということになれば、思い出話から今の仕事に至るまで、大いに会話が盛り上がる。
村瀬氏の見解に従うならば、それは、オンとオフのバランスがとてもいい状態なのだと思う。切れているようで、つながっている。つながっているのだけれど、決してそれは自身の自由を奪うものではない。相手の性格や気持ちも分かっている。「お前らしいな。まあ、頑張れよ」みたいなことで、通じ合える。同期というくくりで、ある種の「チーム」が成立している、ということなのだろう。