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クリエーティブ・ディレクターの存在意義と可能性を考える〈後編〉
~古川裕也事務所 古川 裕也×博報堂/SIX 藤平 達之対談〜

2022/06/27

ブランドのパーパス(存在意義)が当たり前になり、クリエイターが広告を超えたさまざまなアクションを創り出すことが求められる時代。

そんな時代のクリエーティブ・ディレクターの存在意義と可能性を読み解くために、元電通で現・古川裕也事務所の古川 裕也氏と、博報堂/SIXの藤平 達之氏という2人のクリエーティブ・ディレクターによる対談がウェブ電通報と博報堂センタードットマガジンの特別企画で実現しました。

「クリエイティビティの拡張と解放」を語った前編はこちら

パーパスを実践していくための「非財務指標」という視点

藤平:クリエイティビティの話を一通りしたところで、ここからは本題である、パーパス・非財務価値・倫理といったあたりについてお話をしてきたいと思います。今、コロナ禍ということも影響して、あらゆる領域でパーパスがバズワードになっています。なんなら、今やパーパスを無視しようというプロジェクトは存在しないと言ってもいいほど。

古川さんは、パーパスという言葉が世の中に浸透する前から、「人類学的/社会学的存在意義」といった表現でブランドの本質的価値を見抜き、多くのクリエイティブでそれを体現されてきたと思います。

古川:ありがとうございます。僕は、パーパスではなく存在意義と言ってましたが。みなさんいっせいに言い始めましたよね。

藤平:本当ですね。このままブランドや事業の経営の中核資産になればいいなと思っているのですが、最近、パーパス発想を拡張させる概念として、先ほどおっしゃられていた「非財務価値」に注目しています。

古川:これもいっせいになんですが、実際、「収益だけで企業価値を測っていいんだっけ?」という考えがようやく見られるようになってきました。すでに採り入れている企業もあります。

藤平:パーパスは決めて終わりでなく、決めてからがはじまり――。パーパスを起点にブランドの社会的価値が向上しないと役割を果たせないと思います。古川さんはクライアントが「日本社会において何の係(かかり)なのか?」という言い方をされてますよね。僕は、「キャプテン」という言葉を使っていて、「どの活動のキャプテンになるのか?」という視点でパーパスを規定します。係(キャプテン)を決めることで、そのブランドがするべき行動が明らかになる。

古川:まさにそれこそが、会社の存在意義ですよね。企業価値を測る新たな指標として、今年電通が、企業の無形価値を可視化する新しい経営設計図「統合諸表 Ver.1.0」を開発しました。まず中心に「パーパス」を据えた上で、周辺に「事業」「社員」「社会」「環境」の4象限で書き込み、企業価値の可視化・再構築を行うフレームワークです。もとは、ある新聞社の役員の方から、GDP(国内総生産)に代わる時代に合った指標を考えたいと言われたことが始まりで、well-being経営という考え方を経て、企業価値の再構築のための指標が統合諸表になります。
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藤平:リリースを拝見して、とてもよい設計だと唸っておりました。非財務指標はスピルオーバー(効果の追いにくさ)の指摘も多く、なかなかどうして後回しになりやすかったのですが、パーパスを中心に、財務指標と並べてアクションセグメントを整理するというのは、実践的で使いやすいと思います。

古川:これを基に実際に企業の方にパーパスと4象限を埋めていただくと、最近いろんな企業のパーパスが同質化してることに気づきます。世界観・未来観が似てきてるんです。みんな正しいし。やっぱり4象限以前に、他と違う存在意義が何よりだいじなことがよくわかります。すべてそこから始まりそこに帰結するので。

藤平:僕も同じ懸念を持っていて、「ラブ&ピースの罠」と呼んでいます。そもそもパーパスを決めることが目的化しちゃうと、ラブ&ピースみたいな、否定できないあいまいな言葉になりがちですよね。“それっぽく”いいことを掲げちゃうというか。そうなると、決めたはいいけど、あまり変わらないんですよね。

僕はパーパスを「ブランドを象徴するストーリー×つくり出したい理想の社会」の掛け算でつくることが多いです。左が落ちると主語の存在感が曖昧になり、右が落ちると描く未来が曖昧になる、というバランスを取りながら決めていく感じです。

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古川:存在意義とは要するに、誰もいない場所に行くということですからね。つまり、未来形なんです。現状のレジュメのようなものでは意味がありません。正しさを競うというより、「私たちはどうしても世の中をこうしたい」そのためにこういう企業になり活動します。というのが本筋だと思います。

藤平:未来形の思想でパーパスが記述されるために、「まさに!→ワクワク!→やりたい!」という順番で気持ちが動くかを大切にしています。これ、まさに自分たちらしい!という納得感があり、これを掲げるってワクワクする!という高揚感があり、じゃあ自分はこれがやりたい!と心も身体も動いていく。逆に、パーパスを見たときに「おー、なるほど」というコメントばかり出てきてしまうのが、いちばん危険な状態だと思っています。

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クリエイティブ産業が持つべき「倫理観」とは何か

藤平:企業・ブランドのパーパス策定や非財務価値向上の支援に取り組んでいると大事になるのが、「倫理」という視点です。哲学者の平尾昌宏さんが述べていることですが、倫理には大きく2種類あると。一つが「守りの倫理」で、これがまずわれわれがなんとなく思い浮かべるものだと思います。義務論的で、正しさを追求する、つまり法制度で規定されてるようなルールです。

もう一つが「攻めの倫理」です。言い換えるなら「道徳」で、社会や、ブランドや、生活者にとっての「幸福のための善さ」とはなんだろう?という前向きな可能性を思考するものです。

最近はどうしてもコンプライアンスを筆頭に“守り”側ばかり出てきて、なんとなく業務における足かせのように受け止められている気がするのですが、この先、攻めの倫理感を装備していないブランドは淘汰(とうた)される気がしています。すなわちそれってクリエイティブ産業にいる私たちも、攻めの倫理を身に付けないといけないということだと思っています。

古川:僕はもともと倫理をパッシブなものとは思っていません。最初に倫理学を唱えたのはアリストテレスだと思いますが、そこで設定されたゴールは幸福になること。そのために、徳と理性という人間本来の能力をいかに駆使するかというお題の設定だったと思います。なので、おっしゃる通り、ブランドは、幸福をはじめとする善を追求すべきで、そのあと、事後的に利益が立ち現れるというふうに考えるべきだと思います。シリコンバレーのB-Corpなども同じ考え方ですね。それは、むしろポジティブな態度かと。

藤平:渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」もそうですし、二宮尊徳の「道徳なき経済は犯罪」もそうですが、特に日本は、先立つものとして倫理や善が出てきやすい文化だと思っています。ただ、実務になるとなかなかまず倫理的に考える、ということは難しい。とはいえ、明らかに成熟の時代であり、高原の時代です。だからこそ、この先、倫理をブランドに実装するということを考えねばと。

古川:個人的には、倫理とは、「適切に決断を鈍らせるもの」だと理解しています。満場一致、絶対大丈夫みたいな時に、それとは違う観点から、迷うべきところをちゃんと迷う、ためらうべきことをていねいにためらうことができる知性のようなことだと思っています。道徳とかというより、つねに、迷うという知性を発動できるようにしておくことかと。

藤平:決断を鈍らせると近いのですが、僕は攻めの倫理は、時間軸と座標軸というイメージを持っています。短期的な意志決定を包含して思考の時間軸を伸ばせるのが倫理的な視点のよさ、いまもうかるだけでいいの?などが最たるものです。座標軸はグラデーション的に考えるというか、X軸だけでなくY軸やZ軸のモノサシを持ち込むという感覚です。この軸の設定に、意外とブランドらしさが表出すると思っています。

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多くの視点を「代理」しながら本質的なことだけをやり抜く力

藤平:最後に、広告会社のクリエーティブ・ディレクターの価値についてお話しできればと思います。種目の強みはそれぞれですが、優れたクリエーティブ・ディレクターの共通点として、いいものをつくる力だけではなく、捨象する力を持っていると、個人的には思っています。投資するポイントを見抜く力とも言えますが。

古川:ローマ教皇が「どうやってこんなに優れたダヴィデ像を創ったのですか」とミケランジェロに尋ねた。「ダヴィデに関係ないものをすべて捨てたのです」とミケランジェロは答えた。という有名なエピソードがあって、クリエイティブ仕事の要諦はこれに尽きると思います。重要なことがたくさんありますという状態は、ディレクション不十分ということです。これは広告はもちろん、あらゆるクリエイティブに共通する「原理」だと思います。

藤平:そうですよね。だから、決める/捨てる経験を重ねてきたクリエーティブ・ディレクターなら、どんな領域にもそれを発揮できる。産業が培ったこの力は、この複雑な時代において無限の拡張性があると思うんです。

古川:広告じゃなくても、クライアントのたくさんある欲望を具体化して、その中から課題を抽出し、「お題」として向き合うのは、どの仕事でも同じですからね。企業だけでなく、個人や国、社会などもクライアントと捉えると、僕らのやっている商業クリエイティブの全ては、他律的なクライアントワークです。ピカソみたいに自律的なファインアートではなくて、基本的には「他人に成り代わって」やる仕事。だから代理店の「代理」って、意外と本質的なんですよ。

藤平:われわれの仕事が商業クリエイティブであり、だからこそ「広告」よりも「代理」の方が本質だというのは、心から共感します。博報堂は「生活者発想」というフィロソフィーのもと、「生活者の代理」という視点も大切にしてきたわけですが、生活者に限らず、あらゆるプレーヤーの声を形にする「代理発想力/代理実装力」みたいなものが、提供価値の源泉だったりすると思うので。

古川:商業クリエイターは、企業に成り代わって考えることをしてきているから、相当筋肉が鍛えられていると思います。この世界のほとんどの仕事って「たどり着きたいところや困ったことがあるから、解決してください」という話ですからね。いろんな相手の立場に成り代わって鍛えた広告クリエイティブの筋肉は、どんな領域でも強い武器になると思います。

藤平:そこが強みだという自覚を、改めて強く持たないといけないと思いました。クライアントをはじめとしたさまざまな存在の代理として課題を見いだし、それを解決することを目的に、広告パートのみならず、はじまりから終わりまでクリエイティビティを発揮し続けるということ。

古川:経営層との打ち合わせだと、「そもそもいちばんだいじな問題はなんだっけ?」というところから始まることも多いです。これってとても重要な問いかけで、できる限りおおもとの深いところから話しましょうというアジェンダ・セッティングですよね。これこそがクリエイティブが初動すべき場所だと思います。

ゴールイメージを明確に持って、いちばんおおもとのところから起動する。そこから最後、世の中と接触するところまで、最初から最後まで責任を持って確定していくことが、現在のクリエイティブ・ディレクションのあるべき形だと思います。

藤平:「そもそも今日は何を決めるんだっけ?」みたいに切り出されて打ち合わせをするときほど、楽しくて本質的な場面はないです。

バトンパス形式が成立していたのは、広告コミュニケーションの領域に特化して、明快な課題を共有しながらやっていたからで、経営や事業においては、戦略(アポロン)と実行(ディオニュソス)が分断してしまうと、いいものはできなくなっていくと思うんです。

古川:藤平さんが意識されてるような、戦略とクリエイティブを同時に考えるクリエーティブ・ディレクターが、これからスタンダードになって新しい仕事を形にするチャンスが増えると思います。

藤平:ありがとうございます。関与できる領域が増えれば増えるほど、その中心点としてパーパスを設定・機能させないといけないですし、その先は多様な視点での代理のスキルが重要だと思っています。

古川:パーパスの話をもう一つすると、これからは企業にせよ個人にせよ、「立場を鮮明にしないもの」って、けっこう難しいと思ってるんです。公正中立とかニュートラルな立場でとかだと、説得力がないというか、チャーミーじゃないというか。私あるいは私たちはこの問題についてはこう考えているとちゃんと言えることが信頼、リスペクト、つまりブランディングにつながっていくと思います。

藤平:法人も「人」を冠している以上、当たり障りない発言を繰り返したり、イシューによって態度を変えたり、都合の悪いことは黙っていたりすると、よく思われないですよね。とはいえ、踏み出すのに勇気がいる態度表明のあり方にこそ、クリエイティビティが必要なんだと思います。正論をそのまま言っても、嫌われちゃいますから。

多岐にわたるテーマを議論させていただいた今回の対談を通じて、この先自分がしたい仕事の解像度が上がった気がします。本日はありがとうございました。明日からまた頑張ります。

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