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うつくしいくらしかた研究所レポートNo.2

うつくしいくらしかたとはなにか<後編>

2022/09/08

前回に続き、自然体で「うつくしいくらしかた」を実践している人にヒントを教えてもらいたくて、うつくしいくらしかた研究所の電通 田中宏和が、コーディネーターの山田節子先生にお話を伺いました。

※うつくしいくらしかた研究所についてはこちら

 

日々を大切にすることと「用の美」

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田中:山田先生は日本の伝統を現代に生かす仕事を手がけられてきました。半世紀以上にわたって携わってこられた百貨店「松屋銀座」での展示に代表されるように、その中心に「器」が据えられているように感じるのですが。

山田:特に器というわけではありませんが、365日お世話になるものでしょう? たとえば、料理に合わせて、値段の高い安いは関係なく、自分で選んだ好みの器を使って感謝していただく。「日々を大切にする」とは、そんなことの積み重ねなのだと思うのです。さらに、おもてなしや季節ごとに、ふだんと違う器を使うことで、生活の彩りが生まれますよね。<良き未来のために>をテーマとして、次はこの方に、この素材で、器に限らず、新たな企画をさせていただきたいと楽しみは尽きません。

田中:柳宗悦さんの民藝運動から発した「用の美」にもつながるように感じます。

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柳宗理デザインの「ステンレスボール」、確かに大きさによって形が微妙に異なる

山田:民藝と現在の量産工芸とで 技術・素材・表現は違えど、柳宗理先生は、工芸ではなく、生活デザインの中に「用の美」を追い続けられました。宗理先生のステンレスボールは、私は50年以上使っていますが、サイズごとに形が異なっています。

宗理先生は、ボールのデザインに取り掛かる時、事務所のベテラン所員の方を著名な料理研究家の教室に通わせ、どんな料理の時に、どのような道具を必要として、どのような所作をするのか等を徹底的にリサーチされていました。それをもとに、野菜や器を洗うボールはこの形に、ミキシングボールはこの形にと、微細にデザインされたのです。それぞれに美しく、使いやすく、味わい深いデザインの傑作かと思います。ぜひお試しあれと思います。

丁寧に生きても時間はかからない

田中:人間は食べないと生きていけないわけで、器や道具と生活は切り離せないものです。一方で、若い方の間では、パンやお菓子、カップ麺ばかりを食べて、器を使わない人も増えています。

山田:パッケージが器の代わりのような食のあり方になってきていて、ときどき不安になることもありますね。一方では生活文化を見直すような動きも出てきていると感じています。松屋銀座で20年近く続く「手仕事直売所」という催事がありますが、2021年9月というこのコロナ禍の厳しい中で、多くのお客さまがお出かけくださり過去最高の売り上げを記録しました。「お客さまはすごい」「人・モノは信じるに足りる」と実感させられた良き出来事でありました。

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インタビューの最中にお茶を入れてくれる山田先生

山田:ものが売れないといわれている時代ですが、今松屋では絵画やオブジェが売れていますし。会津若松の老舗仏具メーカー・アルテマイスターでプロデュースした厨子も売り上げが伸びているようです。私はこの厨子を、「新しい祈りのかたち」「自分の心を見る、大切なモノやコトを納める箱」と捉えています。不安の多い世相を反映しているのかもしれませんが、生活文化や精神性への関心の高まりは、自分の足もとを照らして、より良く生きていきたいという人々の気持ちの表れのように感じています。

田中:山田先生の半生と取り組みは、「感謝」に貫かれているような思いがします。その対象も、何か特定の神へというよりは……。

山田:生かされている、ということへの感謝ですね。私が今ここにあるのは先祖であったり、さまざまなつながりのおかげであったりする。そのような物事の関係性に敬意を払うという感覚です。自然の恵みをいただいて、感謝の心で作った料理を、よりおいしく食べさせていただける器を選んだ方がいいのではないかというように。

田中:なるほど。食事と人をつないでくれる媒体が器ですものね。

山田:そうですね。そして、生かされることへの感謝を示す一つが「丁寧に生きる」ではないかと思うのです。関係性も十人十色ですし、皆それぞれ忙しく生きているとは思いますが、ほんの少し、丁寧に生きてみる。丁寧に生きてもそんなに時間はかかりませんよね。

「祈り」と共に生きる

田中:先ほどアルテマイスターで「新しい祈りのかたち」として厨子を提案されているというお話がありました。東日本大震災、そしてコロナ禍を経て、「祈り」というのも時代のキーワードになっているような気がします。

山田:アルテマイスターに初めて伺ったのは1998年でした。そもそも私の発想の多くは自分の暮らしの中にあります。家に仏壇もあり、お水やお花を捧げることは欠かしませんが、信仰や宗教など「祈りの文化」に関わるとは思いもよらぬことでした。

ただ、先祖を弔う気持ちは無論のこと、日々のうれしさや悲しさ、自然への畏怖の心を含め、人の心の機微を受けとめてくれるモノやコトは必要だと感じておりました。たとえば、わが家で陶芸家・伊藤慶二さんの手がけた仏様や、庭に置いてある「仏足」という作品が、その役割を果たしてくれています。朝夕に見るにつけ、心穏やかになり、自然に包まれるがごとく、見守られている安堵感が生まれます。

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陶芸家・伊藤慶二氏による仏様

田中:お写真で拝見して、ぜひ現物を見たいなと思っていました。この仏様は、青森の合掌土偶を思わせるようなたたずまいですね。仏教以前の日本の精神性のようなものが形になっているような。

山田:孫が2歳の時、幼いながら何かを感じたようで、この仏様の前に来るとスッと座って頭を下げるんですよ。「形をまねる」とはこういうことかと。だからこそ、<心あるもの>を側に置くことの大切さを、改めて感じたことでした。

この無垢なる仏が座す姿が目にとまることで心安らかになります。そして、今生きる家族に対しても、自然と「今日も一日元気でいてくださいね」という気持ちへとつながるのです。

田中:それはもう宗教心を超えた、うつくしい暮らしの態度や姿勢ですね。

山田:祈りとは、人間が生かされているということに対する感謝や願い、希望の表れかとも思います。現在のコロナ禍を経て、もうこれ以上自然をおろそかにしたら、人間が生きていけなくなるという瀬戸際に来ているのではないでしょうか。私たちは祈りと共に、地球をうつくしいまま残していくことを考えなければなりません。そして自分の可能な範囲で、一日一日、一食一食、一行一行、労を惜しまず、丁寧に生きることではないでしょうか。

田中:山田先生の体験をベースに「うつくしいくらしかた」のヒントをたくさんいただきました。本日はありがとうございました。
うつくしいくらしかた研究所
日本人が古くから日々の暮らしの中で実践してきたことや、暮らしの中にあった考え方に改めて注目し、 「自然に寄り添う」「不便や手間を厭わず、プロセスや姿勢をたいせつにする」「個人の知恵や技を高める」といった「うつくしいくらしかた」を、現代にも受容されうるかたちでなかなかな活動を通じて提案しています。中でも日本で古くから用いられてきた季節の区切り方「七十二候」に沿った旬の生活文化を紹介・提案する「くらしのこよみ」をメインコンテンツに、アプリや書籍で展開。暦アプリ「くらしのこよみ」は累計77万ダウンロード、書籍「くらしのこよみ」は1万部のロングセラーとなっています。
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