情報メディア白書2023~いま知りたい メディア・社会の過去現在と、これから~No.3
「日本の広告費」の歴史から読み解く、時代の変化
2023/04/28
電通メディアイノベーションラボ編「情報メディア白書2023」の巻頭特集の内容を一部紹介する本連載。本稿では、同特集内の「『日本の広告費』~75年を振り返る~」を基に戦後日本の広告費がどのように経済や社会の情勢に影響を受けてきたかについて取り上げます。
2022年日本の広告費は7兆1021億円となり、1947年に推計を開始して以来、過去最高となりました。(※推計方法詳細については、こちら)2007年に記録したそれまでで最高の7兆191億円をも上回りました。
2007年以降の15年間には、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、2020年からの新型コロナウイルス感染症拡大など、社会経済を揺るがす大きな出来事がありましたが、その都度日本の総広告費は大きく変化してきました。
2022年は、ウクライナ情勢など、広告費のマイナス要因となりうるさまざまな世界不安がありましたが、新型コロナウイルスの社会への影響が徐々に少なくなり、ゆるやかに景気が回復した結果であると考えられます。下記に1947年からの日本の広告費の変遷をひもといてご紹介します。
「広告は時代を映す鏡である」
電通は1947 (昭和22)年から「日本の広告費」を推計し発表してきました。この数字はメディアに投下された広告費を集計したもので、以来広告市場の変遷を追ってきたと言えます。広告費自体は「名目GDP」(※1)との相関が高いことがわかっており、つまり景気の動向と密接な関係があります。(図1)
※1 = 名目GDP
各年に生産された財・サービスの生産数量に市場価格を掛け合わせて算出されるGDPのこと。物価の変動による影響を取り除いて算出されたGDPは「実質GDP」と呼ばれる。
1947年は国全体が疲弊し戦争の爪痕が色濃く残る混乱期でしたが、戦後復興期を経て急速に景気が回復していくことで人々の生活が豊かになり、それと歩調を合わせるように広告費が伸び続けました。
政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言したのは1956年ですが、前年の1955年のGDPが戦前の水準を上回ったことに依拠しての言葉です。広告費も1955年には1947年に比べて40倍を超える伸びをみせています。このように「日本の広告費」もまた時代を映す鏡と言えるでしょう。
【戦後復興期】ラジオ広告費は登場から3年で10倍以上に伸長、“高嶺の花”テレビは緩やかな増加に
「日本の広告費」の推計が開始される前まで大衆が主に接していたメディアは新聞、雑誌でした。1947年に発表された最初の「日本の広告費」は新聞が11億円、雑誌が1.6億円、そして屋外などのその他広告が2億円でした。トータルで14.6億円。ここから「日本の広告費」が始まることになります。
最初に加わったのはラジオです。1951年4月に民間ラジオ放送局16局に予備免許が交付され、9月に2局、年内にさらに4局開局しました。ラジオ広告費は初年の1951年は3億円だったものの、翌年には22億円と同年の雑誌広告18億円を抜き去り、1953年には35億円と1.6倍に増加、一躍広告費の1ジャンルとして注目される存在となりました。
テレビ放送が始まったのはラジオ放送に遅れること2年の1953年です。この年の2月にNHKのテレビ放送が始まり、8月末に民間放送が開始されました。
初年1953年の広告費は1億円、翌年が4億円、3年目の1955年は9億円とラジオ広告費のような急激な伸びは見せていませんが、これはラジオ受信機が比較的安価に入手できるようになってきたものの、テレビ受像機は高嶺の花であり、普及にはさらなる時間が必要だったことに起因すると考えられます。その一方で街頭テレビブームが起こり、いつかはテレビ受像機を入手したいという意識が高まったのは確かでしょう。
【高度成長期】テレビ広告費の躍進!1975年には4208億円まで成長し、マスメディア広告費のトップへ
1954年から始まった「神武景気」により高度成長期の扉が開かれ、続く1958年からの「岩戸景気」が高度成長期を推し進めました。
テレビ・洗濯機・冷蔵庫は三種の神器と呼ばれ、人々はそれらを所有することが憧れであり豊かさの象徴とするブームが巻き起こりました。1958年の東京タワー竣工、1959年の皇太子ご夫妻 (現上皇ご夫妻)ご成婚がテレビ普及の起爆剤となり、1965年には世帯普及率が90%に到達します。
さらには1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博開催がカラーテレビの普及の後押しとなり、1975年にはカラーテレビの世帯普及率が90%を超えています。テレビ広告費は高度成長期の経済成長と呼応するように急速に伸びていきました。1959年には前年比226.7%の238億円となり、同年のラジオ広告費162億円を超え逆転しました。
1975年には4208億円まで成長し、同年の新聞広告費4092億円を超え、マスメディア広告の首位に躍り出ました。
【低迷期・安定成長期】メディアの多様化から、「ニューメディア広告費」の推計を開始
1970年代の2度のオイルショック、そして1985年のプラザ合意によって、それまでの高度成長期は終わりを告げます。また米国の産業の空洞化はさまざまな新しいサービスを生むことにもつながり、メディアの世界にも大きな影響を与えることになりました。ニューメディアブームの訪れです。
ケーブルテレビ(CATV)、BS放送、CS放送の開始により、再送信も含めた多チャンネル化の普及が推し進められました。1985年には、日本の広告費の1ジャンルとして、のちに衛星メディア関連広告費に改称する「ニューメディア広告費」の推計を開始しました。推計開始初年のニューメディア広告費は30億円、翌年には前年比176.7%の53億円となりました。
一方1980年代には通信網の高度化も進められ、ISDNの普及、文字放送、キャプテンシステム、パソコン通信などのサービスが開始され、広告モデルを取り入れて始まるサービスが増えてきました。この動きは、1990年代のインターネットの普及につながっていきます。
【バブル期、そして崩壊を超えて】広告の世界にも、インターネット時代が到来
1986年ごろに始まったとされるバブル経済期に日本の経済は大きく活性化しました。広告費全体は1991年のバブル崩壊まで高い伸び率を示しました。1990年には新聞広告費が1兆3592億円と最高値に達します。一方、バブル崩壊直後の1992年、1993年は「日本の広告費」統計が始まって初めて2年連続のマイナス成長を記録しました。
1995年はWindows95の登場とともにインターネットが普及し始めます。当初は低速の回線でしたが、2000年前後のADSL回線の普及とともにインターネットの利用は急速に拡大していきました。インターネット利用の拡大に伴い、「日本の広告費」でも1996年からインターネット広告費の推計結果を公表し始めました。この年のインターネット広告費は16億円でしたが、翌年には60億円になり、前年比375%と急激に増加しました。
1997年にアジア通貨危機が始まり、広告費全体は1998年、1999年と前年比マイナスが続き、他の広告費も軒並みマイナス成長となりましたが、インターネット広告費は前年比200%前後の成長を重ねていきました。広告の世界にもインターネット時代が到来したと言えるでしょう。
低成長時代、さまざまな経済危機を超えて〜さらなるデジタル化の進展〜
2000年12月にBSデジタル放送が開始され、放送のデジタル時代が始まりました。同時にキー局がBS放送に参入し、本格的な広告展開が始まりました。
2001年の衛星メディア関連広告費は471億円、前年比177.1%と跳ね上がりBS放送への期待がうかがわれました。2003年には東阪名地区で地上波のデジタル放送が始まり、2010年には日経新聞電子版が創刊されるなど、メディアのデジタル化が進展します。同時に、マスメディア広告費は減少へと転じていくことになります。
2000年代に入り、2002年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショックを発端とする世界的な不況、2011年の東日本大震災、2020年からのコロナ禍など、市場経済の変動が広告費に与える影響は大きなものになりました。ただし、推計対象の変更や拡大を行っている前提ではあるものの、インターネット広告費だけはプラス成長を続けており、2022年の「日本の広告費」過去最高額更新に大きく寄与しました。広告費全体に占める割合は4割を超えています。
本稿では、戦後日本の広告費が、社会経済情勢や新たに登場したメディアによってどのように変容してきたかについて取り上げてきました。
次回は、インターネットの普及やデジタル化の進展の中で、インターネット広告費だけでなくマスコミ四媒体の広告費がどのように変化してきたか、メディアや広告が変化する中で、広告費の推計方法をどのように対応させてきたか、今後の広告がどのように変化していくのか、などについて取り上げる予定です。