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「人文知」を社会実装するNo.5

仮説を持たずに現場に飛び込め!「ビジネス人類学」で見えてくる新しい景色

2023/07/19

多様な価値観が広がる現代。企業も社会における自社の存在意義を明確に打ち出すことが重視されるようになっています。そんな中、本連載でも紹介してきたように、企業理念の形成や研修に「哲学対話」を取り入れる企業が出てくるなど「人文知からの学び」が注目を集めています。

今回のテーマは、文化人類学の社会実装。新規事業開発や組織変革におけるフィールドワークなど、近年、ビジネスのさまざまな領域において、文化人類学的なアプローチが広がりを見せています。

そこから一体、何が見えてくるのか?電通コーポレートトランスフォーメーション部の中町直太氏が、「文化人類学の手法を応用した行動観察カンパニー」である、アイデアファンドの代表取締役・大川内直子氏にお話を伺います。

大川内氏と中町氏

今、「文化人類学者の目」が求められる理由

中町:大川内さんは、文化人類学の知見を企業へのコンサルティングに生かしていますが、文化人類学とはどのような学問か、電通報の読者に改めて教えていただけますでしょうか?

大川内:一言でいうと、「人間とは何か?」を探る学問です。文化人類学は19世紀後半から20世紀初頭にかけてヨーロッパの大学にポストが設けられ、一つの学問領域として確立していきました。当時は西洋の学者がアフリカやアマゾンなどのいわゆる「未開」と呼ばれた地域の調査をしていました。現地の人と一緒に暮らしながら、その社会の統治体制や宗教儀礼、言語などについて研究していたんです。

文化人類学は人間にまつわるあらゆることが研究対象になるので、文化人類学を経済学や法学のように研究対象によって規定することはできません。でも、研究方法は概ね共通していて、フィールドワークを中心に調査を行い、五感で感じることや経験を通して全体的な知を獲得しようとします。

中町:なるほど。研究対象は時代によって変わるんですか?

大川内:1980年代ごろから、アメリカなどでは、アカデミアだけではなく企業の研究所に所属する文化人類学者が増えたと言われています。製品の使い方を観察して機能やデザインの改善につなげる、といったことが行われるようになりました。アカデミアの研究においても、今は現代社会や組織なども調査対象になっています。

中町:ビジネスの現場にも活動の場が広がっているのですね。企業から大川内さんにはどのような相談がくるのでしょうか?

大川内:最も多いのは新規事業開発の領域です。今の日本はモノがあふれて、不足しているものが一見何もない。そんな状況で誰に向けて何を作るのかが企業にとって大きな課題になっています。

例えば、ターゲットは30代女性、というだけでは漠然としています。自分たちの企業が向き合う顧客がどんな人か、悩みや願望を知るところから出発して、本当に必要なものを考えていくというアプローチで参加することが多いです。ターゲットとなる方の家庭に伺って生活の様子を見させていただいたり、通勤時に一緒に電車に乗って移動中の様子を観察したりします。

中町:観察に基づいてインサイトを抽出するわけですね。

大川内:食事をしているところや、くつろいでスマートフォンを見ているところなど、生活のさまざまな場面をつぶさに観察します。すると、この人はこういう人だなと、その方に通底する理論みたいなものが見えてきます。こういう行動原理だからこその食事の仕方やスマホの触り方、アプリの選び方、といったような……。必ずしも一貫しているわけではありませんが、「その人の理論」みたいなものが見えてきますね。

中町:面白いですね。

大川内:そうやって得られたものを企業がボトムアップして、新規事業開発につなげていきます。

他には、大企業の組織の活力を高めるためにはどうしたらいいか、という相談もきます。創業から何十年もたち、組織の経年劣化が起きている。時代も変化して、ただバリバリ働けばよいということではなくなっている。これまでと同じようなビジョンではうまくいかないという課題が根底にあるようです。

中町:企業がイノベーションを起こせない背景を、新規事業のアイデアが足りないせいというだけでなく、組織文化の側面から課題を捉えることもあるということですね。

大川内:いろいろな企業を見ていると、自分たちの組織について客観的にわかっていない方が多いと感じます。特に、新卒で入社して何十年も勤める方が多い大企業は、フラットに見てどんな文化でどういう特徴があるか、内部にいるとわかりにくい。そこで、私たちが企業内部に入って組織文化を調査します。依頼した企業は、組織を客観的に捉えることでアイデンティティを持ち直したり、改革の手がかりにしたりしています。

中町:新しいものを取り入れる姿勢を拒んでいたものは何か、組織を変えていくにはどうすればいいのか、自分たちが気づかなかった視点を浮き彫りにするわけですね。

大川内:あと、改めて自社の顧客について知りたい、という要望も多いですね。

中町:今は顧客についてさまざまなデータが集められるのに意外ですね。文化人類学の手法を用いて顧客を非常に定性的な形で把握したいニーズが高まっているのですか?

大川内:そうですね。データでは見えない部分を補完したくて、私たちを起用するのでしょう。ちなみに、私が初めて文化人類学とビジネスを結びつけて活動したのは、2013年に依頼された米大手IT企業の案件でした。同企業はさまざまなデータを保有していて、もうデータで何でもわかりそうなものなのに、泥くさい文化人類学の調査に期待することに大変驚きました。

当時は、日本の企業はまだ、文化人類学の手法で企業をリサーチする手段があることに気づいていませんでした。2018年に私が会社を立ち上げたときも欧米の企業からの依頼が中心でした。しかし、最近は、日本企業も文化人類学の手法を積極的に取り入れていると感じます。

中町:企業のマーケティングにおいて顧客理解は基本であり、これまでもいろいろな調査が行われています。その中で文化人類学的手法を取り入れるのは、従来の調査やデータ取得では行き詰まりを感じているのかもしれませんね。

大川内:アンケートやグループインタビューをきちんと行って顧客の意見を取り入れているのに売れない。顧客の深層的な意識をもっと知る必要性を企業は感じています。

ただ残念なのは、大企業になればなるほど、いろいろなことがかっちり決まってしまっていることです。新規事業の立ち上げにおいても、調査からこれまでにないインサイトが見えてきても、いつまでに何をするか最初からマイルストーンが決まっているため、調査結果の議論を深められないまま次のステップに進んでしまう。それだと何か出来レースのようで、もったいなく感じます。

文化人類学の調査手法

なぜ、仮説を持たずに現場に飛び込むのか?

中町:文化人類学的なアプローチの特徴は、仮説を持たずに現場に飛び込むことですよね?なぜ、そういう態度で調査に臨むのですか?

大川内:厳密には仮説を持たないわけではなく、「仮説を検証するために調査をするわけではない」という方が正確なように思いますが、かっこよく言うと、仮説という色眼鏡があると真実が見えづらくなるからです。文化人類学は社会を外から調査してきた歴史があります。例えば西洋の人がアフリカの民族社会の調査をするからこそ新鮮な目で見られるわけで、それによって、その民族にとっては当たり前と思われている呪術や儀礼の意味などを根底から理解でき、社会との関係性について斬新な思考ができるわけです。

中町:常識によって頭でっかちになっていない状態で調査するからこそ、本当にありのままの姿が見えてくるわけですね。

大川内:仮説の検証をしたいだけなら量的調査をやればいいわけです。しかし、現代は、問いが明確にあって、あとは答えさえ分かれば商品やサービスを市場に投入できるという状況ではありません。そもそも、企業が社会とどう向き合えばいいかが分からないこともある。まず、問いを立てるために、文化人類学的アプローチは、かなり独自性が高いと思います。

中町:調査対象の組織や生活者にとって、自分たちが当たり前だと思ってやっていることが実は当たり前じゃないことを発見するという……。それは、文化人類学者のような存在がいないと難しいかもしれませんね。自分たちが当たり前だと思っていることはわざわざ人に説明しませんから。でも、組織や人が自然に息をするようにやっていることにこそ、何かヒントがある、ということですね。

大川内:企業を観察していると、「あれ何だろう?珍しいな、面白いな」と思うことがあります。聞いてみると「えっ、こんなことしているのうちの会社だけなんですか?」と驚かれるんです。そういうところに、組織文化を理解するカギがある気がします。

他に、さまざまな企業を観察していると、組織を全体論で考えることがうまくできていないケースが意外と多いですね。

中町:具体的にはどういうことですか?

大川内:例えば、離職率が高いという問題を考えるとき、退職された方に話を聞くと「他社の方が給料高いから退職した」と言います。でも本当は、辞めようと思うまでのプロセスを知ることが重要なんです。

以前、こんなことがありました。あるお店は業績がよくてスタッフもやる気がある。本社から見ると「店長が優秀だから」の一言で片づけられていた。でも、じつは、店長は毎日こまめにLINEでスタッフとコミュニケーションを取って、精神的なフォローをしていました。だからこそ、スタッフのモチベーションが維持できていたんです。しかし、そんなフォローを勤務時間外も続けているうちに寝不足になり、体がもたなくなってきた。他の会社に移れば今より楽だし給料もいい。それで転職したんです。

そういった事情は本社からは見えにくいですよね?「優秀な人がどんどん辞めていくのは、“優秀だから”。つまり優秀であるがゆえに他社で高い給料をもらえるから」というロジックがすでに確立されている。でも、優秀な理由はいろいろあります。そこがわかると、離職率を下げるためのアプローチは単に待遇をよくすればいいわけでないことが理解できるはずです。

さらに、スタッフ一人一人のフォローをしていることが分かれば、「その店長はなぜそんなことができるのか?」「もっとムリなくスタッフをフォローする方法はないか?」「他の店長が学ぶことはないか?」などと、議論が深まるわけです。

中町:今お話しいただいたようなことは、普段のビジネスではなかなか見えづらく、誰かが何となく気づいていても議論のテーブルに上げづらいかもしれませんね。それに、大きな組織になるほど分業が進んでいるので、何か問題が起こった場合、それぞれ自分の担当領域で課題にアプローチするので、全体的な構造として理解することは難しい。すると、みんな頑張っているけど何かがおかしい、ということが起きてきます。

でも、逆に考えると、これまでのロジックやモノの見方という「色眼鏡」を外し、個別に考えていたことを結び付けて全体を理解できれば、課題解決のための「新しい景色」が見えてくると言えますね。

仮説生成型

本来の日本人的な感性は、ロジカルシンキングの対極にある

中町:文化人類学的な視点で日本の企業あるいはビジネスパーソンを捉えたときに、何か共通して見えてくるものはありますか?

大川内:真面目な人が多いですね。決められたことをちゃんとやり、ノルマを達成する優秀な人が多い。そういう人々がうまく組織に適合したから、かつての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のような時代が到来したのだと思います。枠組みはもう決まっていてあとはそれを習熟していく。この製品のクオリティをこう上げれば欧米の製品に追いつける、といったような場面ではすごく上り調子でいけるような人が今も多いですね。

でも、現代は、そのような「真面目な姿勢」が足を引っ張ることがあります。特に大企業は、確実に勝とうとする姿勢が社員にも組織にも感じられます。確実に業績を上げて株価を維持しなければならないという事情があるわけです。しかし、頼りの既存事業が先細りになっていく中で、確実に業績を上げつつ、なかなか当たりにくい新規事業に取り組むのは、これまでの「真面目な姿勢」だけでは難しいかもしれません。

大企業の中で新規事業開発に適した人はまだまだ少ないと感じます。仮にいたとしても、活躍できるような評価体系でなかったり、組織の中でかなり傍流として見られてしまったりして、優秀な人がアサインされない現状もあります。

中町:新たな事業の柱をつくるというのは、これまで培ってきた勝ちパターンやそれにもとづく組織文化をアンラーニングしなければいけない部分も出てきます。確かに、多くの日本企業がそこに葛藤を抱えていらっしゃるのは、私も強く感じます。

大川内:他に日本企業に共通することとして、ロジカルシンキングのようなものが常にビジネスシーンに求められているなと感じます。しかし、実は日本人的な感性って、ロジカルシンキングの対極にあるものなんじゃないかなと思うんですよ。どんどん分析して論理的に切り分けて、一つ一つの要素を考えるというよりも、社会や文化を全体として捉える能力が高いんじゃないかな、と。

中町:先ほどおっしゃった「真面目な姿勢」とロジカルシンキングは一見相性が良いようにも思えますので、少々意外な気もしますね。例えばどのようなことでしょうか?

大川内:日本人は、これまで、欧米を見習ってロジカルシンキングを必死に身につけてきた。でも、スティーブ・ジョブズに象徴されるように、実は欧米で最先端で活躍する人は、東洋思想や禅といった、より統合的な思想に向かいつつあります。日本人はロジカルに振りすぎた結果、自分と世界の同一性を見いだす感性を失っているのかもしれません。

中町:欧米の最先端のビジネスシーンで追求されている「ロジカルシンキングの先」の思考スキームを、もともと日本人は持っていたのではないか、ということでしょうか?

大川内:少し話がそれますが、例えばデカルトの心身二元論などは、身体と理性を二つに分けて考えるわけです。今の日本人もそういう考え方をする人が多いと感じます。理性によって身体を統治するみたいな……。

身体をおとしめながら、理性最上主義でやってきた結果、仕事をする理性の私と、プライベートで子育てをする身体の私みたいなところがぶつかってしまい、自分が何か一つになってない感じがする。すると、仕事と子育てのどっちが重要なのかといった、よくわからない議論に陥ってしまったりします。

現代人は疲れていて精神的な不調をきたす人も多いですが、それは、身体と理性を別のものとして考えることが、実は日本人に合っていないからではないか、という気がするんですよね。

中町:本来分けられないものをきっちり分けて考えていこうとするところに日本人がはまりこんでしまっている、と。かつて日本人が持っていた「全体として捉える感性」をいま一度呼び覚ますことが必要、ということですか?

大川内:確かに、資本主義の発展には仕事と私生活の分断がすごく寄与しています。私たちも普通に家と職場を別のものと思っています。しかし、日本でも江戸時代は家の中で浮世絵師が絵を描いていたりしていて、仕事と私生活を切り離さず、いろいろなことがごちゃっと一緒くたになっていたのではないか。

他にも、自然の中に魂を見いだすアニミズムや、やおよろずの神とか、いろいろなものをふわっとまとめて考えるのは日本人的な感性なのかなと思います。そういったものの中に実は、身体と理性の乖離(かいり)というものを再統合していくヒントがあるんじゃないかなと思うんです。何か壮大な話になっちゃいましたが。

個人的には、日本に元々あった日本的なものあるいはアジア的なもの、欧米中心のライフスタイルが進む中で忘れ去られたものを掘り返してみることも必要だと思うんですよね。

中町:文化人類学のレンズを通すと、日本のビジネスパーソンが取り戻すべき感性や世界観にまで考察が及ぶ、ということですね。

本日のお話を通して、文化人類学のアプローチをビジネスに取り入れることは、私たちが知らず知らずのうちに「分けて考えてしまっていること」を再統合するプロセスでもあるのかなと思いました。その前にご紹介いただいたケースのように、社員の離職理由を報酬などの個別の要素に還元するのではなく、その社員の職場生活全体から検証していくスタンスもその一つだと思います。

また、今お話しいただいた内容は、そのような「統合的に考える姿勢」は、実は日本人がもともと持っていた感性とも相性が良いことを示唆していただいていると思います。文化人類学をビジネスにインストールすることは、日本企業のイノベーションに向けてのブレイクスルーを発見するためにも、非常に有効だという思いを新たにしました。貴重なお話をありがとうございました。
 

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