「100通りの脳」は、日本の働く場をどのように変えるのか
2025/07/07

フォトスクライビング:甲斐千晴(電通グラレコ研究所 代表)。
電通や電通総研などの電通グループ従業員有志は、2021年にニューロダイバーシティプロジェクト【noiro(ノイロ)】をスタートしました。本連載では、そのメンバーが研究者や有識者、そして当事者の方々との対話を通じ、ニューロダイバーシティの考え方や現在地、未来の「働く」現場への活かし方について考えていきます。

※ニューロダイバーシティとは
ニューロ(脳・神経)とダイバーシティ(多様性)を組み合わせた言葉。脳や神経、それに由来する個人レベルでのさまざまな特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこうという概念。自閉スペクトラム症(以降ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)など定型と異なる非定型的な発達(ニューロダイバージェント)を、障がい、能力の欠如、優劣としてではなく人それぞれの自然な違いだと捉える。ニューロダイバージェントのみならず、すべての人を対象としている。オーストラリアの社会学者であるJudy Singer氏が1990年代に提唱し、2010年代から海外のIT企業を中心に、高い集中力や創造的思考力など発達障がい者が発揮する特性を生かす取り組みが広まった。
教育と企業における視点の違いやニューロダイバーシティの現状・課題についてお伝えした前回に続き、第2回となる今回も電通 未来事業創研/noiroの北本英光によるモデレートで後編をお届け。
千葉工業大学学長および「ニューロダイバーシティ・スクール・イン 東京」(東京都港区南青山2-5-17 ポーラ青山ビルディング5階 、以降NSIT)の共同創立者である伊藤穰一氏、電通総研グループの特例子会社「電通総研ブライト」前代表取締役社長の関島勝巳氏に、教育と企業をつなぐ視点や、社会にニューロダイバーシティを浸透していくうえでのポイント、ニューロダイバージェント(発達特性のある人)の活躍推進などについてお聞きしました。
ポイントは能力ある当事者の「発掘」とモチベーション変革をどうするか?
北本:伊藤さんは情熱を持ってNSITを設立され、フロアタイム※1とレッジョ・エミリアアプローチ※2の組み合わせによって、ニューロダイバージェント(ASDなどの発達障がい)の子どもの力を伸ばす教育を実践されようとしています。一方で企業における発達障がい者への対応の現状は、寄り添い理解するというよりは「支援する側/される側」に分かれてしまう状況です。せっかく当事者が自身の力を伸ばせるような教育を受けてきても、企業に所属することでその教育の成果が活かされない可能性も考えられます。
こうしたことを考えたときに、企業の対応で期待することや、伊藤さんが実践されてきた教育と企業に所属した後の連続性をどう考えていらっしゃるか、ぜひお聞かせください。
※1:フロアタイム
個人の違いを尊重しながら、子どもの発達と、その家族をサポートする支援モデル。当事者の自然な興味や遊びに基づいて、他者との関係の構築やコミュニケーションスキルを高めることを助ける。
※2:レッジョ・エミリアアプローチ
イタリアのレッジョ・エミリア市で考案された子どもへの教育法。環境は「第三の教師」であり、アートなどの活動とそのドキュメンテーションを通して、感性や可能性を引き出していくもの。
伊藤:この点は私も重要な課題だと捉えています。そのうえで、もしかしたらカギはスタートアップにあるのではないかと。大企業でルールや社風を変えるのはなかなか難しいものですが、スタートアップ企業であれば、ある程度最初からカルチャーをつくれます。また、発達障がいで仕事ができないと思われている人でも、実は「アンロック」…つまり本人にとっての障がいを取り除いたり、枷と感じているものを外したりすると、急に特異な力を発揮できるようになることもある。仕事や企業における彼らを考えるうえで、難しくもありポイントでもあるのは、そうした「発掘」をどうするかです。
私の勝手なイメージですが、趣味の世界などではその片鱗が見えてくるケースがあります。たとえば以前にドバイでスキューバダイビングの先生をした時、学校ではできない子と思われていた生徒が一番意欲的に打ち込む例がありました。逆に学校で一番の優等生は「これって成績に関係あるの?」といったモチベーションになってしまう。つまり、企業の中で「変わっている」と言われ、力が発揮できていなくても、モチベーションさえ変えられればアンロックする人もいるのだと思います。
一方で、「企業側のモチベーション」を上げていく方法も難しいと思います。法定雇用率をベースとした障がい者雇用では、どうしてもコストを下げていく方向に話が進んでしまう。そこを本当は環境次第で特異な力を発揮できる「才能」を探していると考えれば、少しはモチベーションが変わるのではないでしょうか。

北本:法定雇用率は雇用の平等を担保するなど良い点もたくさんあると思いますが、今改めて考え直す必要もあるかもしれませんね。
伊藤:社会におけるこうした雇用の重要ポイントには、アンロックすると見いだされていない才能が発掘されるかもしれないといったポジティブな経済的モチベーションもあれば、フェアネスの視点でみんなをバリアフリーにしていくといった考え方もあります。会社としてどういう理由で雇用しているかによってKPIは全く異なる。そこがニューロダイバーシティプロジェクトの難しいところだと感じます。
全ての人がニューロダイバーシティの「中」にいる
関島:何社かのニューロダイバーシティが進んでいるIT企業の方にお話を聞いて、共通点があることに気が付きました。それは、そうした企業では、ニューロダイバーシティを「障がい者雇用」の一施策として行っているのではなく、あくまで「優秀な技術者の採用」という観点でとらえているということです。さらに、入社後も能力を存分に発揮できる仕組みや、働きやすい環境をさまざまな工夫をしてつくっています。
ある企業では従業員の約半数が発達障がいとその傾向のある方でしたが、当事者の人々も、残り半数の当事者ではない従業員も生き生きと仕事をしている。それを見て「障がい者の働きやすい会社はすべての人が働きやすい」のだと気づきました。つまり、ニューロダイバーシティが進むということは、障がいの有無にかかわらず、全ての従業員が能力を発揮でき、生き生きと働けることなのだと実感したのです。
北本:今後日本でニューロダイバーシティの話が広がっていくにしても、単なる障がい者雇用の話ではないという意識は持つべきですね。全員が当事者なのだと。
関島:障がい者雇用に携わっていると、「偉いですね」とか「大変なお仕事ですね」と言われることがしょっちゅうあります。確かに、障がい者にはさまざまな特性があり、サポートが必要な場面もありますが、すべての人にさまざまな特性があります。障がい者雇用をしているからといって特別に大変なわけではありません。むしろ、「大変でしょう」と言われると、理解されていないと感じて残念な気持ちになります。
伊藤:人にもよりますが、当事者の中にも本当は「かわいそう」だと思われたくない人は多いと思います。周りに「かわいそうだから」と手助けをする人がたくさんいる人ってどうしてもプライドを持ちにくいんです。
少し違うかもしれませんが、杖などの補助器具も日本ではどこかかわいそうな雰囲気の色合いが多いと思います。イギリスなどでは「ディスアビリティ デザイン(Disability Design)」と呼ばれる、非常にかっこいいデザインの杖や義足がつくられています。彼らがプライドを持てる状況をつくることは大事なのではないでしょうか。
北本:日本ではDEIの研修でも、「配慮する側」「される側」のような分け方で、配慮される側への思いやりを持とうといったアプローチが多く見られます。理解するのはもちろん大事ですが、どうしても「する側」「される側」の構造から抜けられない。繰り返しにはなりますが、ニューロダイバーシティは全ての人に関係する。全ての人が当事者という点がこれまでのDEIにはなかった重要な観点ですね。

伊藤:どんな人であっても不確実・不安定な環境では過ごしにくいものです。その中で発達障がいの人は特にその影響を受けやすい。そうしたセンシティブな人に良い環境を作ることができれば、すべての人も幸せになれます。
北本:確かに、近い概念で言えばユニバーサルデザイン。それをもっと心の方に寄せていくイメージですね。
現状ではティピカル(一般的)な人たちの、ニューロダイバージェントに対するリテラシーは圧倒的に低いように思います。身体障がいや知的障がいであれば、何となくわかるけれど、脳や心の多様性となるとなかなか難しい。仮に脳の話だとしたら、本来100人いれば100人とも異なるのが当たり前だと皆が認識できるかが重要ですね。「当事者」対「自分」という話ではなく、本当の意味で自分ゴト化させて、全ての人がニューロダイバーシティの中に入ってこられるといいですね。
伊藤:いわゆる「全てがノーマルの人」は存在しませんからね。以前に何かの論文で見ましたが、物理的にも平均的な体重で平均的な特徴があって、といった全てがアベレージ内の人というのは1人もいないそうです。なのに、そうした「普通の人」がいるような錯覚を起こしているのだと思います。
教育と“空気感”が育てた、若者の柔軟な感覚を活かしたい
北本:NSITで12歳まで主体性を持って学んできた子どもたちを、いかにうまく企業、あるいは仕事につなげていくのか。その接合点がこれから大事だとあらためて思いました。そのときのヒントとして、関島さんが以前に経験されたという、新入社員研修での話をお聞かせいただけますか。
関島:ここ数年、電通総研の新入社員研修で障がい者雇用について30分ほどのプレゼンを行っています。プレゼン後に新入社員には簡単なレポートを提出してもらうのですが、これがなかなか良い内容なんです。例えば、「特例子会社はインクルージョンに逆行していないか?」とか「農業などもとても良いが、本業に直接貢献できる仕事をアサインすべきでは?」というような意見が多くなってきています。これは本当に素晴らしいことです。同じ話を50代以上の従業員にしても、全く反応が違うんですよ。障がい者雇用を福祉的な観点のみでとらえ、経済合理性で解決しようとするなど、残念なことが多いです。
これはおそらく、最近の学校でSDGsや環境問題と並んでDEI教育が行われている成果が出始めているのだと思います。こうした感性を持つ若者が企業の中でどんどん成長していけば、世の中も変わってくるでしょう。だからこそ、インクルージョン、つまり障がいの有無を問わず、多様な人々を同じ場で教育していく必要性があるのかなと感じています。小さいときからの学びは本当に大切です。

伊藤:若い方たちの世界観が変わってきている。そこにはもちろん教育もあるけれど、音楽や漫画、日常的な空気が全体として変わってきているのではないでしょうか。そのどこまでが教育で、どこまでが今の“空気感”なのかは興味深いですね。またどの時代もそうですが、上の世代への違和感や反発もあるかもしれません。彼らは、今の環境問題や不安定な社会は上の世代の行動が生み出したものだと感じていて、そこから脱却したい。そのうちの一つに、肌感覚としてのダイバーシティがあるのかなと。
国連などが「上」からいろんな啓発をするよりも、実は若い人たちのそうした感覚を上手に育てる方が自然なムーブメントになるかもしれません。その意味で私も若い人にはすごく期待しています。「ポジティブデビアンス」(Positive Deviance=ポジティブな逸脱)というアプローチがあって、社会の中の小さなマイノリティによる、みんなと違う珍しい行動から解決法を見いだす方法です。上から変えようとするよりも、そうしたアクションを拡大できると良いと考えています。
技術者の社会的地位向上とAIの進化が広げる、ニューロダイバージェントの活躍の場
北本:電通グループはもちろん、多くの企業にニューロダイバーシティを広げていく取り組みは、そのための採用や受け入れ方法、マネージメントの検討も含めて今始まったばかりです。そのうえで、ニューロダイバージェントは、このテクノロジー社会でどんな貢献ができるのか。ASDに限らずADHDなど他の発達障がいの人も含め、伊藤さんはどんな職種や世界で価値を発揮できるとお考えでしょうか?
伊藤:コロナ禍では多くの企業に困難がありましたが、障がいがある人たちは逆に仕事へ参加しやすくなった面もありました。リモートワークであれば、目線を合わせたくない人や動けない人なども仕事がしやすかったからです。例えば1人だけオンラインで参加する会議だとその人の声は届きにくくなるけれど、全員がオンラインであればフェアになります。力の発揮しやすさでいうと、そうした環境が一つ考えられます。
また、ASDの人たちが特異な能力を発揮する場は、理工系が多い。そうした技術者の社会的地位が上がることは、ASDやニューロダイバーシティを考えるうえではとても重要です。アメリカでは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のような理工系の大学のトップに理工系の人材がいますし、イーロン・マスクをはじめIT系企業のトップはASDだらけで、成功者としてのロールモデルが見えています。
関島:障がい者が自己実現でき、自身と会社がともに成長できるような社会が訪れることが理想だと思います。そしてその考え方の根幹にあるのがニューロダイバーシティだと思います。また、企業に就職するだけでなく、自律的に仕事ができる社会の実現も理想のひとつです。AIをはじめとする最先端の技術は、ニューロダイバージェントとニューロティピカルの曖昧な垣根をなくす有用なツールになることは間違いありません。
北本:現在の生産年齢人口7300万人が、今後どんどん減っていき、日本の国力が下がると懸念される中では、働き方もさらに変わっていくと思います。その中での企業による採用の視点を変え、ニューロダイバージェントが入社した段階での理解を広げ支持者を増やしていく方法も考えられます。いずれにしても活動を大きくしていかないとニューロダイバージェントが働く場からこぼれ落ちてしまう。そこを何とかしないといけないと切に感じました。
ニューロダイバーシティのカギは、日本独自のコミュニティにある
北本:繰り返しにはなりますが、ニューロダイバーシティは「障がい者の施策」ではなく、全ての人が特性を生かしながら働ける環境をつくること。結果的にそれがあらゆる人の働きやすさにつながるのだと感じました。同時に教育、例えば今NSITにいるASDの子どもたちが、未来にどんなふうにいられると日本が輝いていけるのか。この視点で、伊藤さんから今後の展望をお聞かせください。
伊藤:ASDにもいろんな子がいて、自立が難しい子ももちろんいます。ただ自立できないからって社会に貢献していないわけではない。コミュニティにはさまざまな役割があります。その中で「かわいそうだから」と手助けをしてもらう立場ではなく、「この人がいるとみんながハッピーになる」と何かしらの役割を担ってもらうような状況は、日本でも結構あったのではないでしょうか。例えば独立するほどの技術はないけれど、地域の草花の手入れなどをしてみんなに愛されている人などです。
また出雲にはコミュニティナースと呼ばれる人がいて、地域の集まりなどで高齢者と若い子や子どもが遊ぶ場に参加し、健康チェックなどをしています。そうしたコミュニティを使って地域住民の幸せと健康を活性化するような仕組みです。仕事をしていない高齢者も、子どもの面倒を見たり知識を伝えたりすることで、それぞれに役割ができる。そんなふうにコミュニティ内での役割があれば、互いにとって心地良い居場所になります。
北本:なるほど。私自身はニューロダイバージェントの力も、子どもの力も信じています。彼らは、われわれにはないものを持っている。必要なのは支援をするとかされるという意識ではなく、コミュニティの中で共に生きていくという姿勢なのではと強く思います。
伊藤:きちんと成立したコミュニティには多くのレジリエンスがある、その中で互いに気を配りあいファミリーメンバーになるという形も一つのあり方だと感じます。日本人の助け合いや地域共存のような考え方は、スタートアップや競争視点では弱いかもしれませんが、平和にはいい。私は、そうしたある種の“村落共同体”的な文化やコミュニティにキーがあると思います。
企業においてはどうしても「雇う人」が環境やプロダクトをつくります。その職場が変わらなければ始まらない。ですので、大きいレイヤーとしての結論はやはり今まさに皆さんがやっていらっしゃる活動を通して電通のような大企業の現場を変えることが重要。そちらをメインに「ポジティブデビアンス」のケーススタディをしていけると良いと考えています。
北本:ありがとうございます。お二人のお話をお伺いして、ニューロダイバーシティの概念が社会に広がることで、どんな子どもも楽しく生きていける、誰もが働きやすくなるという期待を感じました。NSITは「未来の子どもの環境の“New Standard”をつくること」を旗印にされていますが、ニューロダイバーシティが浸透する未来に向けて、まさに「未来の働く環境の“New Standard”をつくること」をご一緒に目指したいですね。
ニューロダイバーシティ浸透した未来の(景)色は
伊藤穰一の色
「個々の才能が輝く社会」
関島勝巳の色
「はたらくをあざやかに。輝き方はひとつではありません」