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育休で見えた、二つの世界

男コピーライター、育休をとる。 №4

  • 魚返 洋平

2017/11/13

育休で見えた、二つの世界

平日の真昼間、赤ちゃんと

わが家ではいま、乳母車を使っている。いわゆるベビーカーではなくて、クラシカルな、文字通りの乳母車です。そこに娘のコケコを横たえれば、歩いている間ずっと顔を見ていられる。
赤ちゃんの顔って本当に不思議だ。ヒヨコに似ているかと思えば、むしろカタチ的にはヒヨコマメ(※1)に見えたりもする。表情はタコっぽいけどフォルムはたこ焼きっぽい、なんて日もある。

乳母車に揺られるその顔は、僕が塗ったワセリンのせいで、キリンジの名盤「3」のジャケ写(※2)のごとくテカテカと光っている。近所の公園へ向かう途中で思ったのだ。こんなにも誰かの顔をのぞき込みながら歩くことなんて、もうこの先ないんじゃないか?

コケコは、満3カ月。
ちゃんと夜に眠るリズムが整ってきました。おかげで僕や妻も平均4時間は寝られる毎日だ。母乳のトラブルはなくなりつつあるし、体重も順調に増えている。僕の料理は相変わらずもたつくのだが、片栗粉の使い方には慣れてきた。そう、ちょっと余裕ができてきたわけです。育休生活3カ月目にして、面白さが過酷さを追い抜く「黒字転換」。ここからが楽しいところだ。

「平日の真昼間 子供と散歩に出かける 父親が押すベビーカー 気づけばそんなに見かけない」というのはYO-KINGの歌(※3)だが、そうそうこれ、これがやりたいのである。

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イラストレーション:第2CRプランニング局 三宅優輝

この町に「暮らし直している」

僕たちの住んでいる町は小さいながらも、週末になると観光地のように混み合う。平日の空いた町を堪能することはだから、住む者の特権、かつ、育休の特権と言えるだろう。
日中、家から徒歩20分ぐらいの範囲でコケコを連れ出すことが増えてきた。乳母車だけじゃなくて、抱っこひも(※4)もよく使う。

たとえば、生後3カ月の赤ん坊を連れて飲食店でランチ、は可能なのか? 結論から言うと、可能だった。
テラス席のあるイタリアンの店、抱っこひもで入店してもイヤな顔ひとつされないカフェ、最初から赤ちゃん用の座敷を備えた定食屋…。もともと飲食店が多い地域というのもあるけど、ちゃんと探せば、0歳児と入れる店はいろいろ見つかるものだ。吉田戦車の育児漫画(※5)を参考にして、抱っこひもで回転寿司屋(※6)にも行った。
僕と妻の頭のなかでほぼ出来上がっていた“わが町の好きな飲食店MAP”が、こうして新しい文脈で塗り替えられていく。

それにコケコをたずさえて昼間の商店街を歩いていると、いろんな人が声をかけてくれる。顔なじみのカフェ店員にスーパーで出くわしたり。大好きなレストランのシェフや、よく行く酒屋の店主、むかし通ったバーの常連仲間、最近知り合ったパン屋のおばさん、さらには見知らぬ人(もっぱら女性)まで。コケコにとっては「登場人物、多いな」ってところだろうけど、みんな頼んでもいないのに笑って顔をのぞき込む。

どちらかといえば、乳母車やベビーカーには不便の多い町だと思う。アップダウンが多いわりにバリアフリーは充分じゃない。乳母車で階段に差し掛かると、映画「アンタッチャブル」(※7)を思い出してしまう。狭い道にお店がひしめき合って、喧騒に満ちてもいる。雑誌なんかでよくある「子育てしやすい街」的なランキングにはまず入らないどころか、ヘタするとワーストランキングに入りかねない地域なのだ。なにより待機児童が多い。

にもかかわらず、だ。なんだこの町、案外赤ちゃんに優しいじゃないか、と感じるのである。いまのところは。
コケコにこんな風景を見せてやりたい、こんな匂いを、音を、感じてほしい、と思えるモチーフがたくさんある。育児環境を考えるとき、親がじぶんの暮らす場所を愛しているかどうかは(バリアフリーや教育の充実度に劣らず)すごく大事だよなあ、と改めて思うのだった。
住み慣れた場所ながら、コケコを通してもう一度「暮らし直している」感覚にとらわれている。

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パパはまだまだマイノリティー

ここらで、区(※8)がやっている子育てコミュニティースペース(以下、スペース)に行ってみようかな、と思ったのだ。あわよくばパパ友ができたりして、という期待があった。育児の機微をさかなに昼間からビールでも飲めるような仲間である。

ちなみにこのスペースというのは、乳幼児とその親たちが自由に交流できる、いわば「たまり場」のような場所です。区内に20カ所ほどあって、ごく普通の一軒家だったり、学校の一角だったり、公園の敷地内にあったりとさまざまなのだ。家から徒歩圏内にもいくつかあるのを知った。

平日、ここにコケコと二人だけで行くことにした。家族三人で行くと、妻とばかり喋ってしまいそうじゃないですか。それじゃパパ友もできにくかろうと。妻には、家で寝ていてもらう。睡眠不足の解消になるし。

初めて訪れたスペースは古い教会の建物の一部で、スタッフが快く迎えてくれた。5〜6組の親子の姿があるが…。
父親なんていない。全然いない。ふだん見ている町の様子から、平日とはいえ1人か2人ぐらいはパパがいるかもと踏んでいたのだが、まあ甘かった。

なんだろう、このアウェー感。けど戸惑ってばかりもいられない。こっちは一応、コミュニケーションを生業とする身。それに、「高校時代、自由参加のスキー合宿に行ったら、部屋にはラグビー部軍団と自分だけだった思い出」(※9)に比べれば、こんなのアウェーのうちに入らない、などと自分を鼓舞…するまでもなく、ママたちのほうから話しかけてくれました。

家はどのへん、にはじまり、いわゆる“育児あるある”や、月齢と発育の話、赤ちゃん連れで行けた飲食店の情報(いかに役立つかは先述のとおり)、保活のことなど、とりとめもなくトークしてみた。
「育休中なんです」と言うと驚愕され、「男性の育休って実在するんですね」みたいなことを言われる。やや意外だが、東京都内でも(※10)父親の育休の一般性はまだこの程度ってことなんだろう。しかしここまでとは。

この日以降、いくつかのスペースに足を運ぶうちに顔見知りになったお母さんがいる。なるほど、ママ友ってのはこうしてはじまるんですね。だが、パパ友ができる気配は微塵もない。

パパ友はいらない

そこで、いっそ土日を狙うことにした。週末に親子イベントをやっているスペースも多いのだ。とりあえず、「うどん踏み」のイベントにコケコと行ってみる。例によって妻には家で休んでいてもらった。

さすが週末。大人は20人ぐらいだろうか。おっ、いるいる。お父さんが、僕以外に5人ぐらい(みんな奥さんとセットだけど)。
さっそく父親たちと話してみた、が、しかし。酒のさかなになるほど面白い領域にまではなかなか踏み込めないものですね。この連載で書いているようなトピックや、母親たちと話したような具体的かつリアルな内容にはならなくて、もうちょっと解像度の低い「夜泣き大変っすね〜」ぐらいのところで「じゃ、乾杯!」となりがちなのだ。後日参加した別のイベントでもこれは同じだった。

そりゃそうだ!
にぎやかに盛り上がっている場で、誰もそんな細かい話をするモードにはならない。そもそも、たった数回の週末だけで彼らと間合いを詰めるというのも無理がある話だった。

そして遅ればせながら、ここに至ってようやく気づいたのである。
あ、俺、別にパパ友を欲してなかったわ、と。
半ばコラムのために、という意識で「パパ友」とか言ってはみたが、すくなくとも、いますぐには必要なさそうだと感じている。なにしろ育児のあれこれを共有できる戦友ならわが家にいるのだし。同じ町に住む父親仲間は、これから先、なりゆきで見つけていければいい。

今回実感したことだけれど、育児について「とりとめもなく話したい」と思うようなことは、週末のイベントみたいな“ハレ”の場では語られない。平日の、どこか散文的で淡々とした時間つまり、“ケ”の場でこそ話されるようなのだ。自分ひとりじゃどこか言語化しにくい、ぼんやりとした喜びとか虚しさとか愛しさとか戸惑いとか、そういう機微のほとんども“ケ”のなかで生まれ、“ケ”のなかでようやく誰かと共有される。

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育児には、二つの世界があった

どうやら多くのパパたちは、“ハレ”の場に登場する。一方、多くのママたちは“ケ”に居座り続ける。二つの世界には大きな温度差があって、ときにそれがパパとママを、それぞれ孤独にするんじゃないか(夫が理解してくれない、と妻が言うとき、夫もまた孤立している)と感じた。

こういう仕事をしていると、年中文化祭の準備をしているようなもので、思考は“ハレ”に向きがちだ。退屈な日常を抜け出そうとか、日々にもっと刺激を、的な方向にあおったりもする。そうして「ハレ礼讃」を追求するうちに、(そんな気はなくても)“ケ”をどこかナメてたかもなあ俺、と個人的には思ったのです。

いつだったか、レジャー系の商品に「人生の7分の2は週末である。」というコピーを書いた(※11)。でも赤ちゃんにとってはそうじゃなくて、「7分の7が平日」だったのだ。

育児をすることは、その平日の側につくことだ。

「育児って忙しい」と誰かが言うとき、それはイベントが目白押しの忙しさとは違って、逆説的だけど「飽きちゃうほどルーティンを繰り返す」ことの不自由を言っているんですね。一瞬一瞬が宝物、とか美化するのもちょっと違っていて、実際には慣れれば慣れるほど、語り草にもならなければインスタ映え(※12)もしない時間が増えていく。だからこそ、連載第2回で書いた「黄金の瞬間」は眩しいのだ。

果てしない“ケ”。ぐるぐるめぐるルーティン。それをまず、ポーカーフェイスで受け入れたいものだ。
同じことを繰り返すうちに、きのうよりきょうが、先週より今週が、ほんのすこしずつ上(あるいは前)に進んでいるのが、見てとれる。赤ちゃんは成長をやめないからだ。これはそう、ループじゃなくて、スパイラル(螺旋)なのだった。

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こんなふうに、自分の家族をスパイラルのカタチでとらえるための3カ月間だったような気がしています。「平日の側につく」ことがなければ、この認識には至れなかった。
週末のイベントは、スパイラルの所々でピリッと効くスパイスの粒みたいなもので、これはこれで必要。妻と僕が“ハレ”と“ケ”を分担するんじゃなく、二人でどっちも担えたらいいんでしょうね。
どれもこれも頭では分かっているつもりで、本当は分かっていなかったんだろう。

きょうもコケコを乗せて、乳母車をドライブする。俺こそが「ベイビー・ドライバー」(※13)なんだぜ!なんてコケコに言ってみても、「ふぇ〜」と返されるだけだ。そのうち上野に連れて行って、この子の同期、シャンシャン(※14)にでも会わせてやろう。

次回は、保活について書く予定です。

※1
ヒヨコマメは、マメ亜科の植物で、食材として利用される。スペイン料理、インド料理、メキシコ料理など、出番は多い。クミンシードとの相性も良く、カレーの具材にしても美味。そのキュートな形状は、どこか赤ん坊の頭部にも似ている。

※2
1996年にデビューした堀込高樹・泰行氏による兄弟バンド、キリンジ(現在は兄がKIRINJIとして継承)。3枚目のアルバム「3」のジャケット写真は兄弟のポートレートで、その肌のテカり具合がインパクト大。

※3
YO-KING(真心ブラザーズの倉持陽一氏のソロ活動)の楽曲「ベビーカートリップ」。2004年発表のアルバム「音楽とユーモアの旅」に収録。

※4
「抱っこひも」と呼ばれるものの、実際には「ひも」感はあまりない。むしろベストあるいはプロテクターのような印象であり、「装着」「装備」する感じがある。

※5
吉田戦車氏が自身の育児体験を描いたエッセイ漫画「まんが親」。2011年から2017年まで、「ビッグコミックオリジナル」で連載された。単行本は全5巻。

※6
回転寿司といっても昔ながらの回転レーンはなく、タブレットで注文するとレールの上を皿が走ってくるタイプの店。

※7
ブライアン・デ・パルマ監督による1987年の映画「アンタッチャブル」。銃撃戦の最中に階段を転がり落ちる乳母車のシーンが印象的。この演出は1925年のソ連映画「戦艦ポチョムキン」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督)からの引用ともいわれる。

※8
東京23区のうちの一つ。行政上の区分。本文中で使われる「町」は、この区内におけるさらに局所的な地域を指している。

※9
その18年後に、同級生の結婚式でかつてのラグビー部軍団と再会し、高校時代からは想像もできぬほど打ち解けた時間を過ごした。大人になるのはいいものである。

※10
「平成28年度 東京都男女雇用平等参画状況調査」によれば、東京都の男性の育児休業取得率は7.2%。同年度の全国平均、3.16%(厚生労働省の発表による)に比べると高い数値ではある。

※11
没になったため、世に出ていない。

※12
写真共有SNS「インスタグラム」において写真がいい具合に映えること。要は「絵になる」ということ。

※13
「ベイビー・ドライバー」はエドガー・ライト監督による2017年の映画。古今東西のポップソングにおける常套句「Baby」を主人公の名前に冠している。

※14
シャンシャン(香香)は、食肉目クマ科ジャイアントパンダ属の子ども。2017年6月に、東京都恩賜上野動物園で誕生した。筆者の娘とは月齢まで同じ「同期」。その他、俳優ジョージ・クルーニーの娘なども同様である。