男コピーライター、育休をとる。No.10
続・育休から戻ってみた
2018/09/18
仕事をすると、ひとりになれる
さて、とうとう連載最終回です。前回に続いて、育休を終えたあとの生活について書きたい。
そういえば、復職してみて痛感したことのひとつに、育休中は「ひとりになれる時間」をほぼ失っていたんだなということがある。
広告の仕事というのは一見、人まみれではある。ひとりでじっくりアイデアを考えられる時間は限られていて、なんやかんやと打ち合わせ、プレゼン、撮影、打ち合わせ、仮編集に本編集(※1)、メールの応酬、打ち合わせ、人、人、人、である。でもその間、頭や手足を自分のために使うことができるという意味において僕たちは「ひとりになれ」ているのだった。育休中にはなかった状態だ。いま、身動きのとれない満員の通勤電車のなかでさえ「俺の頭は、俺のもの」「ここで何を考えたっていいんだ」と思えたりする。
働くという行為のなかに自由がある。というか働きに出ることで自由を得る。これは発見だった。
そして前回書いたことにも通じるけれど、時短勤務が大変なのは、この自由を縮小することになるからだ。
逆に、土日や祝日は1日中、育児に費やすことになるわけで、「自由な休日」というものは生活からほぼ消えたんだな、ということにも気づかされてちょっと驚く(※2)。連載第1回で書いた「夫婦モラトリアム」の日々なんて、いまでは幻のようだ。
育休からの軟着陸
ここ最近の「よくある平日」を、あらためて載せておきます。
「スーパーフレックス制」(※3)によって、始業・終業の時刻が自由になったものの、実際にはそれなりに規則正しく、19時前後に帰宅する日が多い。そこであなたは疑問に思うかもしれない。それで広告づくりの仕事が回るの? と。
それに対して僕はひとまず、「この半年について言えば、意外となんとかなった」と答えるしかない。最近でこそ忙しくなってきたものの、復職してから約半年の間は、実を言うと仕事がけっこうヒマだったからだ。
前にも書いたように、コピーライターは参加する案件ごとに異なるチームを掛け持ちすることになる(※4)のだが、職場に戻ってからしばらくは、新たな仕事の話がたくさんは来なかった。
仕事をくれる他所の部署の人たちが、僕が戻ったのを知らなかった、というのもひょっとしたらあるかもしれない(それほどまでにひっそりと復職した)。休業前に後輩に任せた仕事を返してもらうタイミングや、チームに再合流するキリの良いタイミングを見計らっていたら、それなりに時間が経ってしまった、ということもある。
これらは、正直に言えばだいぶ助かった。育児のペースが整ってくるまでかなりバタついていたからである。いまは整ったのかと問われると困るけれど。
育休からの、いわば軟着陸。かくしてここ何カ月かの平均残業時間は、10時間くらいでおさまった。かなり少ない、とあなたは思うかもしれないが、僕もまったくそう思う。
仕事も育児も「案件」に
さて、そうしてコンパクトになった勤務時間のなかで、僕はたとえばこんなことを言うようになった。「朝は保育園に行ってからになるので、打ち合わせは早くても9時半以降でお願いします」とか「妻と子どもの風呂がアレなので、18時半までには離脱したいんですが」とか「子どもの発熱で急遽呼び出されたのですみませんが打ち合わせは欠席します」 (※5)とか。
この連載のおかげで、僕が育児中であることを知る人は社内にそこそこいるのだが、でもだからといって、「プレゼンが朝イチだけど保育園とぶつからない?」とか「早く帰らなくて大丈夫?」とか言ってくれるわけではない。まあそんなもんである。特に男性に対しては、“彼が育児していること”と“彼が勤務時間をコンパクトにしようとしていること”を結びつけて考える人はなかなかいない。ここは、自分からちゃんと言うしかないのだ。で、言う。
いまや、育児か仕事か、という二項対立では考えない自分がいる。
仕事の案件Aや、案件Bや、案件Cと並んで、育児という名のレギュラー案件Xがある、という感覚に近いのだった。二項対立ではなくて、六項並立とか八項並立とか、になっていくんですね。
たとえば、三つ前のブロックの僕のセリフ。ためしに「別件」という言葉を代入して言い換えてみよう。
「朝は別件に行ってからになるので、打ち合わせは早くても9時半以降でお願いします」「別件がアレなので、18時半までには離脱したいんですが」「別件で急遽呼び出されたので、すみませんが打ち合わせは欠席します」。特に違和感のない、自然な理屈だろう。
広告の仕事では、あるクライアントの数年間にわたるロングキャンペーンを担当することがある。定例会があったり、緊急対応を迫られる局面があったりもする。育児もそういうロングキャンペーンだと考えたい。しかも基本的には降板とかチーム解散というのはない。と思いたい。まあ、基本的には、ですけど。
こうしたスタンスを、仕事仲間の誰もが心から受け入れてくれているとは思わない(※6)。それに堂々と言いやすい相手と言いにくい相手がいるというのも本音である。
けど自分と家族のために、少なくとも以前よりは図々しくなっている僕がいるのだった。
そしてこうなってくると、限られた時間のなかで、「その打ち合わせって人に任せてもいいんじゃないか」「コピーライターが行かなくてもいいんじゃないか」とか「明日でもいいことは明日に回そう」といったジャッジが生まれてくる。
「同席しなくてもいいけど、できれば同席してほしい」と半ば禅問答みたいなことを言われたときも、「つまり同席しなくていいな」と明快に判断できる。悟りである。
自分じゃなくても成立することは、他の誰かに任せたり頼ったり。逆に自分じゃなければできないことを、ある意味では以前よりもシビアに見極め、絞り込むようになってくるのである。
たとえば案件Xのチームメイトつまり妻に対して、「この日は夜に打ち合わせするしかないから」「企画を粘りたいから」21時ぐらいまで仕事させて、と言うこともあって、それはつまり、そこまでして自分でやりたい・自分がやるべき仕事だということになる(もっとも時短勤務の身である妻には、そんなことさえできないわけだが)。
育児による制約は、たしかに大きい。
でも、そうか、限られた条件のなかでベストを尽くしたり、ときには制約を利用して中身を強く濃くしたり、まるで僕たちがふだん頭をひねっている広告表現そのもののようではないか。
とか言っていたら、最近さすがにちょっと仕事のアウトプット(世に出るもの、いわゆる納品物)が減りすぎて、以前の3分の1程度になってしまった。もうちょっとさじ加減を考えなくちゃというところです。
ときどきもどかしいのは、コケコが寝静まった深夜こそ集中してコピーを書けるのに!ということだ。気持ちはそうなんだけれど、体力と就業規則がそれに伴わない歯がゆさがある。いわゆる“多様な働き方”のひとつとして、そういうこともできるようになるといいのですが。
ワークライフバランスを疑って
これまでなんとなく人に話しづらかったけれど、ずっと疑ってきたことがある。ワークとライフの良きバランスを、と声高に唱えられるけれど、それを上手に成立させることが、僕の仕事で果たしてどこまでできるんだろう?と考えてしまうのだ。個人的に。
アイデアを、表現を、考える仕事。それは24時間365日いつでもできることで、しかも「ここで終わり」というのがない。
育児にも業務にも分け隔てなくエネルギーを注ぎ、企画や制作の品質に妥協せず、さらにクリエーティブ職ならではの達成感や満足感も得る(※7)。そんな両立、本当の本当はできないんじゃないか? と感じてきた。いまも半分くらいは感じている。でも残り半分、なんとかならないかなあともずっと考えている。
完璧なモデルケースみたいな人がいたりもしないし(僕が知らないだけかもしれないが)、まあ心細さはあるけれど、それでもコピーライターは楽観的な言葉を言い(書き)ながら試行錯誤したい。
自分にとってのワークライフバランスの最適解や黄金比なんてそう簡単に見つかるわけがなくて、ただそれを模索する日々が、不格好ながらもときどきなんらかのバランスを見せる。それぐらいのことはあるかも、いや、あってほしいものだ。
連載の終わりに
会社員になって、気づけば15年経っていた。自分はなんてサラリーマンに向いてないんだろう、と思うときと、俺ってサラリーマンが合ってるな、と感じるときと、いまだに両方ある。
けど少なくともサラリーマン、イコール窮屈、ではないんだと思いたかった。「ダーリンがサラリーマンだっていいじゃん」と宇多田ヒカルに歌われたかった(※8)。サラリーマンだからこそ得られるチャンスや可能性もある。育児休業はそのひとつだと思ったのだ。
入社したての頃、人事局に「やりたいことをやるために、会社を“利用”しなさい」と言われてまったく意味が分からなかった。でも、いまは少し分かる気もする。
これを読んでいるあなた自身か、もしくはあなたのダーリンが、僕と同じように組織で働いていて、そのことをあなたが「意外といいのかも」と感じてくれたなら筆者としては嬉しいです。
最後にひとつお知らせを。この「男コピーライター、育休をとる。」が、書籍化されることになりました。とある編集者が興味を持ってくれたのだ。発売は冬の予定(※9)。ここに書ききれなかったことも、書き下ろしとして収録したいと考えている。ぜひ手に取っていただけたら幸いです。なんだ宣伝かよ、と思うかもしれないけれど、そこは大目に見てほしい。だって宣伝こそはわが本業なんです。
この1年、僕が何を書こうが言おうが、コケコの人生にとっては冒頭も冒頭。映画でいうアバンタイトル(※10)みたいなものだ。ここへきてだから、ようやくタイトルがどーーんと映し出される。「LIFE OF KOKEKO」(※11)。一番鶏の鳴き声(コケコッコー)が聴こえ、ひとりの女の子の物語が夜明けを迎えようとしている。でも物心がつくまで、僕と妻はもう少し待たなくちゃならない。その先の話はまた、いずれどこかで発信するかもしれません。
ここまで読んでくださった皆さんに、心から感謝を伝えたい。読んだり何か思ったり、リアクションしてくれたりするおかげで、書き続けることができました。どうもありがとうございます。
※1
テレビCMやWEBムービーなどの動画を編集する際、まず容量の軽いデータで使用カットや構成を検証する、いわば予行演習を仮編集(オフライン編集)という。それに対し、完全な画質・音質で最終形を仕上げるいわば本番が、本編集(オンライン編集)である。
※2
実際には、土日祝日などに半日または数時間、ひとりで外出することがないわけではない。だが、まる1日コケコから離れるという日は、やはりない。
※3
「スーパーフレックス制」の説明は、連載第9回「育休から戻ってみた」を参照。
※4
企画制作職は、その意味では、組織のなかにありながら個人商店のような側面もあり、会社員としてはやや特殊な部類に入ると思われる。
※5
ちなみに月に5回まで取得できる「在宅勤務」や、育児者・介護者を対象とした「育児・介護事由による在宅勤務」などの制度も存在するが、筆者はまだ利用していない。
※6
一方で、寛大な理解を示してくれる人間がいることもまた事実である。つまり、会社が大きいといろんな人間がいる。
※7
広告キャンペーンが話題になることだけでなく、広告賞の受賞というのもそのひとつである。
※8
宇多田ヒカルが2006年にリリースしたシングル「Keep Tryin'」の歌詞。
※9
本連載と同じ「男コピーライター、育休をとる。」という題名で、大和書房より今冬刊行予定。
※10
アバンタイトルとは、映画やドラマなどの映像作品で、題名が登場するより前のプロローグにあたる映像パートを指す。
※10
とはいえ、「コケコ」とはこの連載のための仮名である。酉年生まれであることから筆者がそう名付けた。