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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.147

「デザイン思考の先を行くもの」

2018/12/20

平成最後のクリスマス。個人的には40歳代最後のお正月。そんな年末年始、オススメしたい本を見つけました。畏友、各務太郎さんの『デザイン思考の先を行くもの』(クロスメディア・パブリッシング)です。

書影

このコラムにも何回か登場している各務さんが電通卒業後、ハーバード大学デザイン大学院で学んだことが書かれています。テーマは、何もないところから質の高い仮説を創造する0→1の方法論。そしてそのキーとなる「自己中心デザイン」について、です。

この本によれば、ある専門性を持った人間が異分野の知識に触れたときに「見えてしまうもの」がイノベーションを起こす「アイデア」です。そしてそれが「見えてしまう」ためには「見立てる力」が重要です。それは、普通の人からすると全く関係のない二つを抽象化することで結びつける能力のことを言います。

例えばある小説家にとっては、数学の「順列・組み合わせ」が新しい詩の構造に「見えてしまう」(興味がある方は『百兆の詩篇』で調べてみてください)。例えば若き建築家にとっては宇宙に関する最新研究が、地球上の極限地域で生きる知恵に「見えてしまう」(この事例は本書に詳しいです)。

イノベーションを起こすために、もう一つ必要とされるのが「個人が望む未来からの逆算力」。なぜならアイデアは、個人が未来に対し「どうなるか?」ではなく、「どうしたいか?」という願望から逆算することで生まれるもの、という側面があるからです。

例えばハーバードでは「建築家がデザインすべきは建物ではなく、未来に対するビジョンであるべき」という思想があります。その望ましい未来に向けて何が必要かを考える能力が求められるのです。

「見立てる力」と「未来からの逆算力」。極めて個人的な、この二つが要求されるので、ハーバードで教えている内容を各務さんは「自己中心デザイン」と呼んでいます。

図版

読後、まず感じたのは、同じハーバードでもデザインスクールとビジネススクールでは、ずいぶん違うのだな、ということ。「経営を科学する」伝統を徹底し、客観性を重視するビジネススクールと異なるカルチャーが同じ校内にある、その奥行きの深さに驚きました。

と同時に、世界中、いつの時代も、本質は変わらないと確信しました。このコラムでもよく引用する野中郁次郎先生に従えば、「見立てる力」は「コンセプト」、「未来からの逆算力」は「ビジョン」と深く関係します。野中理論に限らず、広告界の古典『アイデアのつくり方』(J・W・ヤング)にせよ、(各務さんは若干批判的に扱っている)「デザイン思考」にせよ、この本でも紹介されているロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの「スペキュラティブ・デザイン」にせよ、エッセンスは同じです。

デカルト以降、猛威を振るう「客観性」の前で、どうやって「主観」を活用していくか。アイデアが生まれる個人的な「あの感覚」を、どうやって伝承していくか。みんな、そんな目的を同じくする仲間に思えました。

別の言い方をするなら、そういった本質に触れることなく、次から次に新しいアプローチを「消費」し続ける現代の難しさを痛感しました。

実際「デザイン思考」も、そろそろ「ブーム」に陰りが見えています。本質を突き詰めることなく、手軽な「フレームワーク」に矮小化したり、単なる「デザイナーが考えたこと」の看板を付け替えたりしているから「飽きられる」のでしょう。もっと本気でアイデアをつくる方法論に向き合わなければ、いつまでたっても前進しないと思うのですが。

この本のタイトル『デザイン思考の先を行くもの』も、きっと「デザイン思考を否定するつもりなんてないですよ。でもね、その最初のステップで『0→1』を生む際に必要な『見立て』の能力について、もっと言及すべきじゃないですか?」という各務さんの気持ちがこもっていると思ったのですが、さて、どうなんでしょうね。

料理写真

そんな話をしたくて、昔の仲間で集まりました。物事を一歩上、メタの次元(これはまさに「見立ての力」!)から論じつつ、お酒を飲む、通称「メタメタの会」です。くだんの質問もしたような気もするのですが、う~む。記憶が…。

集合写真
各務さんと、コピーライターの高田麦さん

どうぞ、召し上がれ!