「タイムパフォーマンス時代」、生活者の視聴環境をどうデザインするか?No.3
「広げる」と「掘る」、タイムパフォーマンス視聴の背後にある二つの情報行動
2019/07/25
前回 は、視聴者が「可処分時間(自分の判断で自由に使える時間)に対する満足度」の最大化を追求する「タイムパフォーマンス視聴」(タイパ視聴)の実態について明らかにしました。
今回はビデオリサーチと電通が共同で行ったビデオエスノグラフィー(許諾を得た被験者の家庭内にビデオを設置して行う)調査の結果を分析しつつ、宅内においてテレビとスマホ、そしてリニアサービス(テレビ放送など、決められた時間の流れに沿ってコンテンツを閲覧)とノンリニアサービス(VOD〈Video on demand〉など、視聴者側の要求に応じてコンテンツが配信される)がどう使い分けられているのかを見ていきます。
テレビ好きの家庭でリニア/ノンリニアの利用実態を探る
子どものころからテレビが絶えず流れている家庭で育ったというAさん。今も家にいる間は、ずっとテレビをつけっぱなしです。映像視聴時間は、平日で482.3分、休日は518.0分に及びます。
テレビ視聴コンテンツはリアルタイム放送(リニア)が中心ですが、パソコン、スマホもよく利用しており、スマホでYouTubeやニコニコ動画など、ノンリニアな動画も見ています。リニアとノンリニアの使い分けを観察するのに適したご家庭といえそうです。
■他者と関心の共有が得意なテレビ
Aさん宅では、テレビは居間の作り付け家具に配置されており、床に横たわってゆったりと視聴できます。また画面を横に振ることで、食卓や台所から見ることもできます。
そんなAさんのテレビ利用を観察すると、家族の共視聴シーンの多さが特徴的でした。
写真1
写真1は、Aさん宅の夕食後のシーンですが、ずっとテレビ放送が流れています。ただし、みんながテレビを注視しているわけではなく、Aさんはパソコン、夫は食事しながらテレビ、息子はタブレットを操作しています。
3人はそれぞれ別のことをしているのに、なぜテレビをつけているのか?Aさんによれば、「テレビの音がないとシーンとして、かえって話しづらい」「テレビが話題づくりのきっかけやフリをつくってくれる」など、家族交流の潤滑油の役割をテレビに期待していることが分かります。
調査映像の中でも、内閣改造ニュースを見た夫が、Aさんに話しかけている場面が見られました。今回の調査では、Aさんに限らず他の被験者でも、テレビがきっかけとなり家族や友人との会話が始まるシーンはいくつか観察されています。
テレビ受像機の大画面を通じた、テレビ放送に代表されるリニアサービスは、共視聴体験と親和性が高く、他者と関心を共有し、コミュニケーションを広げる効能を持っているといえるでしょう。
■テレビは関心を「広げる」、スマホで関心を「掘る」
在宅中はずっとテレビをつけているAさんですが、ずっと番組を見ているかというとそうでもありません。家事をしながらのテレビ視聴、いわゆる「ながら視聴」の時間が実は一番長いようです。
写真2
写真2は、Aさんがキッチンで調理をしながら、居間にあるテレビを視聴している様子です。Aさんによると、このとき「(テレビは)なんとなく耳で聞いている」「ニュースやバラエティーなら、耳だけで流れが分かるし、気になるニュースが流れればテレビ画面に視線を向ける」とのこと。
同様の現象はCMでも観察されており、耳から、好きなタレント名と一緒にブランド名が聞こえてきて、思わずチェックした体験を語っていただきました。
Aさんの視聴行動を見ていると「ながら」と「専念」は対立するものではなく、音声をきっかけにして融通無碍に切り替わるものだと考えられます。
むしろ、特定のコンテンツに集中している状態より、「ながら」中の方が、外部から不意打ち的に入ってくる情報への受容性は高いとさえ感じられました。
「ながら」はCMをより見てほしいと願う広告業界的にはあまり良い意味では使われない言葉です。しかし、テレビの音をトリガーとして、人々が新しい情報に出合える下地となる「ながら」視聴は改めて着目すべきと考えます。
■個人の関心を掘るのに適したスマホやパソコン
Aさんの日常では、テレビに加えて手元のスマホやパソコンを使いながらの視聴、いわゆる「ダブルスクリーン」「トリプルスクリーン」は常態化しているようです。
写真3
写真3は、テレビをつけながら、スマホとパソコンも使っている「トリプルスクリーン」の様子です。この時、Aさんはネットショッピングに夢中になっていて、テレビへの意識は希薄になっています。
この状態では、CMが流れていても気が付かないこともあり、録画再生視聴でもCMをスキップしないという発言もありました。
「会話」や「ながら」を通じて外の情報に対してオープンなテレビ受像機に対して、手元の情報デバイス(スマホ、タブレット、パソコン)は、外の情報を受け入れるというより、個人の関心に特化し、内へ内へと情報を掘り下げる方向で使われているといえるでしょう。
■宅内視聴にみられる二つの情報行動
Aさんの事例を観察してみると、宅内視聴において、大きく2種類の情報行動が併存しています。
一つは、家族での「共視聴」や家事中の「ながら視聴」に代表される情報行動です。特定の情報取得を目的としておらず、外部から入ってくる情報に対してオープンであるところが特徴で、視聴者の関心を外に「広げる」情報行動といえるでしょう。主にテレビ受像機で視聴する放送のようなリニアサービスに親和性が高いと考えられます。
もう一つは、個人単位で特定の情報を探索する情報行動です。当座の関心に集中して、外部からの情報にあまり関与しない、言わば関心を内側に「掘る」情報行動。個人でコントロールするスマホなどの情報デバイス、SVODや動画共有などノンリニアなサービスに親和性が高いと考えられます。
※本連載の1回目 でも概略を説明していますので併せてご覧ください。
「広げる」「掘る」は、従来のテレビを中心とした宅内視聴にスマホなどの情報デバイスが加わることで顕在化した情報行動といえるでしょう。生活者がどのように宅内で二つの情報行動を使い分けているのか、その実態把握を抜きにして、今後の宅内での視聴行動を考えることはできないのではないでしょうか。
テレビ受像機の中で「広げる」と「掘る」を推移する視聴者
Aさんの事例において、「広げる」「掘る」はテレビ受像機と情報デバイスの使い分けとして現われていますが、中には同じテレビ受像機の中で「広げる」「掘る」を推移している生活者も存在しています。
第2回でご紹介したWさんに再びご登場願いましょう。
Wさんは、30代独身男性。テレビ放送はもちろん、AbemaTV、Amazonプライムビデオといった動画サービスもテレビ受像機で利用しており、テレビ受像機を通じてテレビ放送(リニア)と動画配信(リニア&ノンリニア)を交えた多様な映像視聴が特徴です。
図4
図4はWさんが、ある週末の夜、テレビ受像機でAbemaTVのニュース番組(リニア)を視聴しているところから、同じAbemaTVのAbemaビデオ(ノンリニア)に移行し、その後さらにAmazonプライムビデオ(ノンリニア)に移行していった様子です。
週末のテレビ放送はバラエティー番組が多く、金融商品セールスという仕事柄、幅広いニュースを把握しておきたいWさんにとって、常時ニュースを配信しているAbemaTVは便利な存在とのこと。Wさんの中では、動画配信サービスでありながら、番組表に沿って配信されるリニアサービスの側面もあるAbemaTVは、テレビ放送と同じ感覚で捉えられていることがうかがえます。
AbemaTVでニュース番組をしばらく視聴していたWさんですが、その後同じAbemaTV内にある、見逃したコンテンツを見放題で楽しめるAbemaビデオ(ノンリニア)に移行し、トーク番組を選択して視聴します(図4②)。
Wさんによれば、その番組はスマホで一度視聴して面白かったので、テレビ画面でもう一度見てみようと思ったとのこと。同じサービスの中で、リニアとノンリニアが併存しているAbemaTVならではの視聴行動といえるでしょう。
その後、もう一つAbemaビデオで番組を視聴した後、こんどはAmazonプライムビデオに移動します(図4③)。
Amazonプライムビデオでは、ドキュメンタリー番組を選択し、就寝まで専念して視聴しています。
■視聴者が時間の流れをコントロールする時代
Wさんの事例で注目すべきは、テレビ受像機の中で、その時の関心に応じて、自由にリニアとノンリニアを横断している点です。
「タイムパフォーマンス視聴」(タイパ視聴)の視点で見れば、Wさんにとって、放送か動画配信か、リニアかノンリニアかといったことに優劣はなく、その時の“タイムパフォーマンス”を最大化するために、ただ「広げる」/「掘る」を使い分けているだけなのでしょう。
いわば、リニアとノンリニアを横断して、無意識に自分のタイムテーブルを編集している状態です。「タイムパフォーマンス視聴」(タイパ視聴)は、宅内視聴における時間のコントロール権の、事業者から視聴者への移動の実態を表わしているのかもしれません。
テレビ画面での動画サービス視聴は、SVODなどノンリニアサービスを中心に今後も拡大していく趨勢です。一方で既存の放送サービス(リニア)も、キャッチアップサービスやネット常時同時配信など、新しい可能性を獲得しています。
リニア・ノンリニアというサービス形態、あるいはテレビ・スマホといったデバイスの垣根を超えて「広げる」「掘る」を使い分け、「タイムパフォーマンス」を求める視聴者たち。そうした人々に対して視聴環境をどのようにデザインするのかが問われる時代ではないでしょうか。