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令和時代のテレビ受像機は、何を“つなぐ”のか?

「タイムパフォーマンス時代」、生活者の視聴環境をどうデザインするか?No.5

2019/09/12

令和時代のテレビ受像機は、何を“つなぐ”のか?

本連載では、ビデオリサーチと電通が行った共同調査・研究の結果をもとに、テレビとスマホにおいて、生活者の映像視聴環境をどうデザインするかを考察してきました。

連載最終回の今回は、これまでの連載を振り返りながら、ビデオリサーチひと研究所の亀田憲氏と、電通未来予測支援ラボの小椋尚太氏が、「つなぐ」をテーマに、令和の時代に求められるテレビの役割について語り合います。

亀田小椋

左からビデオリサーチの亀田憲氏、電通の小椋尚太氏。

昭和から平成、令和へ。テレビ受像機の役割の変遷

小椋:共同調査を通じて、インターネットやスマホの登場による人々の視聴行動の変化をつぶさに見ることができました。一口にテレビといっても、時代によって期待される役割は変化していくものと考えられます。今回は、生活者のテレビ視聴と長く向き合ってきた亀田さんと、テレビ受像機の役割の変遷や将来像について考えてみたいと思います。

まず、昭和は、多くの人が共通のテレビコンテンツを見て盛り上がっていた時代でした。テレビ受像機は、人々の視点をつなぐ機能を持っていたと思います。家にはテレビが1台しかなく、家族みんなで一つの画面を見ていました。日本中が同じ番組を見ていましたし、国内はもちろんのこと、大きなイベントが世界中で同時に視聴されることが当たり前となり世の中の形を大きく変えてきたと思います。

亀田:そうですね、昭和の頃の生活者はテレビと密接にかかわっており、テレビ番組とテレビCMで万人のニーズを拾うことができていました。

小椋:しかし、昭和から平成へと時代が移るにつれて、生活者の求めるものが多様化してきました。「個」の時代が進み、個人が好きなコンテンツを選べる自由度の拡大が平成の30年間を通じて起きた変化だと思っています。

亀田:令和になり、「平成ってどういう時代だったのか」と振り返るタイミングができましたが、それはやはり「個」の時代だったという振り返り方はできますよね。一家に1台だったテレビは1人に1台になった。そしてパソコンやスマートフォンの普及が、映像コンテンツとの関わり方を劇的に変えてきました。デバイスの面でも映像コンテンツの面でも、テレビ以外のプレーヤーが増えてきたのが平成の末期です。

もちろんテレビ画面は薄くなり、画質もキレイになって進化している。しかし、それ以上にデジタル技術の進化のスピードが速く、生活者を取り巻くコンテンツ環境は目まぐるしく変わっています。

小椋:かつてテレビ受像機とテレビ番組が占有していた生活者の可処分時間(自分の判断で自由に使える時間)は、SNSや動画共有サービスに分散するようになっていますね。

「個」は一種の“効率”を求めます。連載第2回では、ビデオリサーチの落合さんから、自分の可処分時間を意識し、その中での満足度を最大化できるコンテンツを選ぶ“タイムパフォーマンス視聴(タイパ視聴)”の実態についてレポートしていただきました。

“タイパ”とネットテクノロジーは相性が良くて「アニメだけ見ていたい」という生活者は、SVODで一日中アニメだけを見ることができます。

しかし、その一方で、最近はかつてテレビが持っていたような人々を「つなぐ」機能が再び社会で求められ始めているとも感じています。

亀田:おっしゃる通りだと思います。テレビは、昭和時代のお茶の間文化に象徴されるように、もともと「群をまとめる」ことが得意です。

テレビ受像機は大画面であることで、みんなの共有スクリーンとして家族をつなぐ。また、テレビ番組はその共時性によって日本中、世界中の人たちをつなぐ。そうしたテレビの個性が見直され、自然とテレビ本来が持つ「つなぐ」役割に回帰していくのではないでしょうか。

亀田氏

テレビ受像機には、人と人やデバイスをつなぐ役割が求められている

小椋:この連載では「受像機としてのテレビ」「コンテンツとしてのテレビ番組」を合わせて「テレビ」と呼んできましたが、今やテレビ受像機でネットコンテンツを見たり、逆にスマホでテレビ番組を見たり、テレビという言葉の定義自体が揺らいでいると感じます。

そこで浮かび上がってくるテレビならではの個性が「つなぐ」機能ではないかということですね。大きな画面で、共時性を持ったコンテンツをみんなが見るという。

亀田:共時性に着目すると、SNSがテレビ受像機の前にいる人と人とをつなぎ、共通の気持ちでコミュニケーションする「バーチャルお茶の間」のようなものも生まれています。テレビでサッカーを観戦しながら、Twitterを開いて「今、○○選手がゴールした!」とつぶやくのも、今の時代の新しいお茶の間の形ではないでしょうか。

小椋:本連載の第3回で、生活者はテレビ共視聴など集団で関心を共有する情報行動(広げる)と、ネットやスマホで個人の関心を掘り下げる情報行動(掘る)の二つを無意識に使い分けている実態を明らかにしています。SNSを見ている間は「個」の状態だったのが、他の人の投稿で「面白い番組をやっているんだ」と知って、テレビをつけた途端に共視聴になります。「個」と「集」の行き来が自由なんです。

亀田:昭和のようにみんなでつながることを強要しない。でも、平成のように「個」を突き詰めていくと寂しいから、「集」ができる場も欲しい。そうしたバランスが、「令和のテレビ」の在り方なのかもしれません。

小椋

小椋:一方で、映像視聴環境を取り巻くテクノロジーの進化は進んでいくでしょう。その中で、「未来のテレビ」は全員共通のタイムテーブルではなく、各人の生活時間や関心によって違う番組が流れる、言わば“パーソナルタイムテーブル”が生まれるかもしれません。

亀田:例えばAIが一人一人の行動パターンや興味関心を把握して、朝起きてから仕事に行って帰宅するまで、どういう番組を流すかを提案してくれる時代が来ることも考えられますよね。電車での通勤中はスマホで、帰宅後、夕食時にはテレビ受像機で、個人個人に最適化された番組を一日通して見せてくれるといったことです。

もちろん過度なパーソナライズは偏った情報接触につながりかねませんから、AIだけでなく、テレビ局ごとに高い意識を持った編成というものも織り交ぜていく。

小椋:いいですね。本連載で見てきた自分で好きなコンテンツを選ぶ喜びの他に、番組編成を通じて、テレビ局に新しい視点を提案される喜びもある。この二つの喜びを共存させるために、視聴環境はもっと洗練されていく必要がありますね。

その意味で、連載第4回で、電通メディアイノベーションラボ奥氏が提案された「メビウス型視聴環境モデル」はとても参考になります。すなわち、リニア(テレビ放送)とノンリニア(動画配信)サービスを自由に行き来できるユーザーインターフェース(UI)が重要ということです。

例えば分かりやすいところでいうと、テレビリモコンは、数字のキーが真ん中にあって、その周辺にボタンが配置されている。視聴者にとっては、リニア(テレビ放送)でもノンリニア(VOD)でも自分の見たいコンテンツがフラットに選べた方が使い勝手がいいですよね。

亀田:何チャンネルの○○テレビを見る、ということと、好きなVODのサービスを見るということが、シームレスにつながっていてほしい。そう考えると、ボタン式のリモコンが常に最適なのかということも再考の余地があります。これからはカラオケ用リモコンのように、タッチパネル上にサムネイルが出現するUIになったらいいのではないでしょうか。

それから、今はどこの家庭でもテレビ、スマホ、スマート家電、さまざまなデバイスが乱立しています。テレビにはこれらの家庭用デバイスをまとめてライフスタイルをつくっていく、司令塔のような存在になってほしい。テレビを通じてあらゆる家電の操作ができ、また状態を知ることもできるというイメージです。

小椋:今後はスマートスピーカーがそういう役割を果たすのではないかともいわれています。ただ、家電のコントロールだけではなく、情報のハブとして考えたときに「大画面」であることのメリットは大きくて、外の世界とつながるための家庭内に開かれた大きな窓のような存在にテレビ受像機がなっていくことは想像しやすいですね。

亀田:デバイスとしてのテレビ受像機が、「情報をつなぐ」機能を一手に担い、コンテンツとしての「テレビ番組」がそれを支えるという構造が「令和のテレビ」像であり、社会の中で重要な役割を果たしていくことを期待しています。

小椋:ここ数年、世界は分断の時代といわれ、フィルターバブルなどパーソナライズされ過ぎた情報環境の問題点も議論されるようになってきました。テレビは本来持っていた「人と人をつなぐ」や「視点と視点をつなぐ」機能をアップデートし、令和の社会の要請に応える新しい「情報環境」に進化してほしいですね。本日はありがとうございました!