ウェルネス1万人調査から読み解くヘルスケアキーワードNo.3
ヘルステックを“意識高い系”サービスから、全ての人のインフラに
2021/07/28
へルスケア領域の新潮流を専門家との対談でひもとく本企画。「予防医療」をテーマにした第1回、「20代男性のヘルスケア意識」を深掘りした第2回に続き、今回取り上げるのは「PHR(Personal Health Record)とヘルステック」。
PHRとは、個人が自らの医療・健康データを収集し、管理する仕組みのこと。海外ではヘルステック分野への活用が幅広い領域で積極的に進められており、特に、健康増進・コンディショニング・予防領域において、その活用効果が注目されています。
しかし、「ウェルネス1万人調査」によると、個人の健康データを活用したヘルステック事業のポテンシャルは見込めるものの、米国に比べ予防意識が低いことも影響し、国内市場への浸透率はまだまだ低いのが現状です。
今後、PHR、個人の健康データを用いたヘルステック事業は、健康増進・コンディショニング・予防領域で、どのような形で日本に広がっていくのでしょうか?そのために乗り越えなければならないハードルとは?
ヘルステック分野のスタートアップとして注目を集めるユカシカド代表取締役兼CEOの美濃部慎也氏に、電通ヘルスケアチームの山内明子がインタビューを行いました。
※ウェルネス1万人調査とは:生活者の健康意識と行動からヘルスケアインサイトを把握し、生活者視点で見た市場ニーズ/トレンドを明らかにすることを目的とした大規模定量調査。2007年に開始し、20~60代男女1万人を対象に毎年実施。
【ユカシカド】
「PERSONALIZED NUTRITION」(一人一人に合った栄養改善体験)をコンセプトにサービスを提供。尿で栄養推定吸収量や栄養バランスを測定するパーソナル栄養検査キット「VitaNote(ビタノート)」「VitaNote Quick(ビタノートクイック)」、検査結果からパーソナライズしてつくるサプリ「VitaNote FOR(ビタノートフォー)」などの栄養検査/改善事業を展開する。
「栄養の見える化」にいち早く注目し、長い年月をかけてサービス化を実現
山内:ユカシカドは最近、前澤ファンド等を含め、総額約15億円の資金調達を行うなど、ヘルステック分野でもっとも勢いのあるスタートアップのひとつだと感じています。今回は美濃部さんに個人の健康データを活用したヘルステックの未来についてお話をうかがいたいのですが、まずこの業界に興味を持ったきっかけを教えていただけますか?
美濃部:原点は学生時代にやっていたアメリカンフットボールです。アメフトといえば、スポーツ大国アメリカの中でも一番人気があるスポーツで、スタンフォード大学やプリンストン大学といった名門では戦術やトレーニングに最先端のテクノロジーが活用されています。僕が所属していた関西学院大学アメフト部はそういった強豪校と交流があったので、常に新しい情報がどんどん入ってくるような環境でした。
その中で、唯一違和感を抱いたのが栄養管理。栄養に関してはいまだ経験と勘で成り立っている部分が多かったんです。
山内:最先端からは程遠いアナログな世界だったんですね。
美濃部:はい。それから部活を引退して暇を持て余している時、アメフト部の先生に勧められてフィリピンのスラム街へ行きました。僕はそれまで貧困層の栄養不足は食べるものがないことが原因だと思っていたのですが、実際に行ってみると食べ物って意外とたくさんあるんです。それなのに食事の内容が悪くてみんな病気になってしまう。「栄養状態の見える化」が大事だと気付いたんです。
山内:いつ頃から、栄養管理を事業化しようと考えていたのでしょうか?
美濃部:帰国後、大学の図書館で栄養に関する書籍を片っぱしから読み漁り、偶然見つけたのがケンブリッジ大学のミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)に関する文献。後にSDGsの土台となるものですね。そこで栄養が世界の共通課題として認識されていることを知り、なぜか「これは僕がやるべきことだ」と思い込んだんです(笑)。ただ、社会的インパクトをもたらす事業を起こすにはまだ力不足だと思ったので、まずはリクルートに入社しました。
山内:最初から起業をすることを目標に据えて就職活動をされていたのですね。
美濃部:はい、企業の採用面接を受けるたび、「一国を救えるビジネスモデルをつくれるなら入社したい。つくる環境がないなら採用しなくて結構です」と言っていました(笑)。
山内:面接官もさぞかし返答に困ったと思いますが(笑)、その志が買われてリクルートに採用されたのですね。その後、2013年に起業した時はすでにソリューションが完成していたのでしょうか?
美濃部:正式にサービス化したのは2017年です。
山内:非常に長い期間をかけて準備されてきたと思いますが、その中でも困難だったことは?
美濃部:一番大変だったのは、そもそも栄養を定量評価できるのか?という点。当時、世の中には栄養を正確に定量評価する手段が存在せず、それを探し当てることから始めなければなりませんでした。血液、唾液、毛髪、汗など、思いつくものは全部試し尽くして、最終的に尿検査という方法にたどり着きました。
山内:サービス化に至るまでは相当なご苦労があったと思いますが、今ではヘルステック界を牽引する存在といっても過言ではありません。成功の要因はどこにあると思いますか?
美濃部:投資家の方などから評価していただけたのは、まずマーケット自体が大きい点。SDGsに代表されるように、栄養は今後グローバル規模でコミットしていくべき課題なので、当然ながら大きなお金が動きます。僕の場合はたまたまMDGsを知ったことがきっかけでしたが、結果的には世の中の流れを先読みできたのかなと思います。
もう一つ、世の中には基礎研究止まりでビジネス化されていないものがたくさんあります。僕らのビジネスの元になっている基礎研究も、普通に検査すると20万円ぐらいかかる高額なもので、尿の管理方法も非常にシビアです。そこにテクノロジーを取り入れて、多くの方が活用できるサービスにしたことを評価していただけたのではないでしょうか。
山内:確かに、弊社も開発に関わらせていただいた、ワンコインで自分の栄養状態が分かる「VitaNote Quick」は、コストも含めたエントリーのしやすさ、という点で衝撃的です。単に先進的なプロダクトを開発するだけでなく、マーケットを先読みし、生活者が体験として取り入れやすいプロダクトとして適応させることの重要性を感じます。
テクノロジードリブンではなく、ユーザーのペインとインサイトに応える
山内:ここからは「ウェルネス1万人調査」の結果を参照しながら、PHR、健康データを活用したヘルステックの今と未来についてうかがいたいと思います。
健康増進・コンディショニング・予防領域のヘルステックに関して、使用状況・使用意向を調べてみると、興味関心は高いものの、実際に使用するところまで広がりきっていないのが現状です。このボトルネックはどこにあると思いますか?
美濃部:これまで日本では病気や身体の不調があっても気軽に病院へ行って治せるので、そこまで意識されていなかったのではないでしょうか。一方、アメリカは医療費も保険料も高額なので予防に対する意識の高い人が多く、健康増進・予防領域のヘルステックがだいぶ浸透していますよね。
山内:調査結果を見ると、腕時計型デバイスなどの使用経験率は年々微増していますが、健康データを見える化しても、それに紐づくソリューションがユーザーの課題解決、ニーズに合っていないケースも少なくないのかなと感じています。
美濃部:そのサービスでユーザーのペイン(課題)を解消できることはもちろん、コストに対して期待以上の価値を提供できること、そして、先ほども出てきた通り、いかにラクに利用できるかも重要だと思います。
山内:テクノロジードリブンで考えると、いかに正確に、精度高くできるか、ということを優先してしまいがちですが、顧客が本当に解決したいことが、体験のラクさやコストを含めどのあたりにあるのか、見極める必要がありますね。
加えて、御社のサービスは継続的にPDCAを回していける点が秀逸だと感じています。検査結果が円グラフで表示されて、時系列での推移が簡単に把握できますよね。このように一回検査して終わりではなく、ソリューションを提供しながら、継続的に寄り添い、達成感や満足感を提供するという視点も大切な要素ではないでしょうか。
美濃部:そうですね。テクノロジードリブンで考えるのではなく、ユーザーのペインやインサイトに応えるサービスを考えることが重要だと思います。ちなみにヘルスケア領域は、ユーザーの課題を突き詰めていくと予防ではなく医療の領域にも入っていくことになりますが、医療領域は非常に複雑な、法的な規制が絡んできます。そこの連携は難しいポイントだと思っています。
ヘルステックはいずれ、ウェルビーイングのインフラに
山内:先ほど美濃部さんからもお話があったように、今後ヘルステック分野へのニーズは高まっていくことが予想される中、期待することや注目していることはありますか?
美濃部:今後、貧困層の方々の栄養問題が改善されると嗜好性のあるものを食べるようになり、結果的にタンパク質が不足する可能性があります。その課題に対してテクノロジーを活用し、例えばタンパク質が充足している地域の食べ物を、タンパク質が不足しているエリアに届ける物流機能をつくるといったソリューションが構築できるのではないかと考えています。
それから、すでに顕在化している孤食問題に対しても、スマートホームと連動して孤食の方の健康状態を見える化し、周囲でサポートするようなサービスが実現できると思います。
山内:PHR、健康データを活用したヘルステックは、現状ではまだ一部の感度が高い人や、高所得者層を中心に浸透しているのが現状ですが、今後はもっと世の中の幅広い層に広がっていくべきだと思いますね。
美濃部:そうなっていくと思います。先日、米AppleがiOS15でヘルスケアアプリのデータを家族と共有したり、電子カルテと連携したりできる機能を追加することを発表しました。これも感度の高い人から利用することになると思いますが、やがて誰もがPHRを当たり前のように使う世界が来るかもしれません。その意味では、民間企業の力は大きいですよね。
山内:民間企業の事業性と結びつくからこそ、持続的にできる取り組みがある、と思っています。一方、国や地方自治体との連携についてはどうお考えですか?
美濃部:われわれスタートアップに比べて、国や地方自治体は国民や市民に対する説明責任が大きいので、どうしても失敗しにくい、スピード感を持って対応しにくい側面はあると感じています。ただ、官僚や首長で非常に熱い思いを持った方がいらっしゃるのも事実です。ユカシカドも長野県松本市と連携して実証実験を行い、2021年5月には検査センター兼製造工場の「ユカシカドFACTORY」を松本市にオープンしました。これも松本市の方々の熱量があってこそ実現したプロジェクトです。
ユカシカドFACTORY:パーソナライズに特化した自社検査センター&製造工場。「VitaNote」の検体解析や、検査結果を元につくるパーソナライズサプリメントをはじめ、栄養満点のALL in カレーなどの食品の製造を行う。
山内:ものすごくおしゃれな工場ですね……!最近は「スマートウェルネスシティ」を掲げて健康を中核に据えた街づくりに取り組んでいる自治体も増えています。美濃部さんがおっしゃるとおり、民間・行政にかかわらず、熱い思いを持った方々と一緒にヘルステック業界を盛り上げて、ウェルビーイングのインフラにしていきたいと思いました。美濃部さん、今後ともよろしくお願いいたします!
【第3回の対談を終えて】
対談中話題にあがっていた通り、ヘルステック事業が「意識高い系」の枠を脱するには、データを把握し、活用できるということ以上に、それが何のペインを解決するのか、コスト等を含め、負担感なく継続できる顧客体験になっているか、という点が重要なのだと、改めて感じています。
ちなみに顧客の課題を解決する……という点では、美濃部さんからは常に、課題解決に向けた強い想い・意思を感じます。われわれが事業を推進する上で重要なのも“課題解決に向けた強い意思”ではないか、と感じた対談でした。