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9.11から15年目のアメリカ:海図なき時代のリーダーシップNo.6

女性がキャリアを積むってどういうこと?

2017/08/08

今回は、5人の子どもを伴い、アフリカからアメリカにやってきた私たちの仲間、フランシーヌについてお話しします。

フランシーヌは、NGL(次世代リーダー)プログラム*に参加した12人の仲間の中でも、特にすごいインパクトを私に残してくれた人です。私だったら5人(5人ですよ!)の子どもがいたら、1年にわたる未知の海外プログラムに子どもたちを連れて挑戦しようなんて発想はどこからも出てこなかったでしょう。

彼女は連載の第1回、第2回で語った「ストーリーを創り出す能力」「自分の信じる真北に向かって進む姿勢」を誰より体現するリーダーでした。

*NGLプログラムについては連載第1回を参照。

次世代リーダー(NGL)修了式でのフランシーヌ。髪型も決まってます。彼女はとてもおしゃれなんです(マケイン・インスティテュート提供)
次世代リーダー(NGL)修了式でのフランシーヌ。髪型も決まってます。彼女はとてもおしゃれなんです(マケイン・インスティテュート提供)

コンゴの5人の子連れママがワシントンDCにやってきた!

フランシーヌ・ナビントゥ(Francine Nabintu)に初めて会ったのは、2015年9月のこと。

世界中から集められ、おっかなびっくりでワシントンDCに到着した私たち11人の前に、ロビーをくるくると走り回る子どもたちと共に彼女は現れました。アフリカ第2の面積を誇るコンゴ民主共和国から1万キロを旅してアメリカに来たのです。

ワシントンでの私たちのスケジュールは、まず3週間、息つく間もない課題の提出や各種セッション、パーティー、ちょっと気後れするような政財界の重鎮との面会で朝から晩まで埋まっていました。その後も年に3回は全米各地に呼ばれ、毎回2~3週間、家を留守にしなければなりません。法律により、判断力が十分でない子どもを置き去りにできないアメリカで、上は12歳、下は1歳の5人の子どもを抱えたフランシーヌがどうやってプログラムを乗り切れるの?というのが全員の驚きでした。

ただ、何より大変だったのはその後。私たちは一人一人、それぞれの計画に沿って選ばれた全米各地の勤務先に出かけ、1年間働いたのです。勤務先は全てその組織のトップを巻き込んで決められ、私たちの実績や可能性を大いに期待してくれていました。そのため、全員が短期間で周囲に認められる成果を出さねばなりません。知らない地域で生活基盤を整えながら。

女性は結婚して子どもを産むもの?女性の居場所はキッチン?

皆さんはコンゴ民主共和国(以下DRC)を知っていますか?
旧名ザイール。中部アフリカに位置し、豊富な鉱物資源をめぐって紛争が絶えない貧しい国**で、女性の地位の低さは特に有名だとか。性的暴力・家庭内暴力の多さから、国連代表に「女性に最悪の国」と呼ばれたこともありました。

DRCで生まれ育ったフランシーヌは、幼い頃から周りで起こるいろんな出来事に興味津々、「なんで」「なんで」と聞きまくる女の子だったそうです。そのたびに家族から言われたのは、「黙ってろ。結婚できなくなるから、学や知恵を身に付けるな」。
女性は男性の前では発言せず、結婚して子どもを産み、キッチンにいるもの。良妻賢母への道が遠のくから進学も就職もすべきでない、というのが通念だったようです。

そんな環境で育った彼女は、今やジェンダーとコミュニケーションの専門家。幼い頃から興味関心をくじかれまくった女の子が、暴力にさらされた女性や子どもを守るたくましいワーキングマザーにどうやって変貌したのでしょうか。

キャリア形成のきっかけは、結婚

成績はトップクラスで、高校は17歳で卒業。だけど、家族の伝統的な考えにあらがえない。フランシーヌの転機は、結婚して家族から離れ、新しい人生を送る決断でした。

結婚を決めた当時は、夫であるクリスチャンの考え方を深く知らなかったフランシーヌでしたが、実は彼は「女性も働いて社会を支えることが必要」という考えを持つ男性でした。

結婚後3人の子どもを授かった彼女は、ある日夫に「働きたい」と告げます。保守的な家族に囲まれて育ちながら、彼女は「女性も男性と同じように社会に出て働くべき」という考えを持ち続けていたのです。そんな彼女に夫はこう言いました。

「どうやって良い職を探すんだ? 本当に働きたいならまず大学に行かないとダメだ」
その一言で、彼女は大学進学を決意します。4人目の子どもを妊娠中に。

私「え、よりによってそのタイミング?」

フランシーヌ「最初は赤ちゃんがいるって知らなかった。でも、分かった時、この機会を逃したらもう大学に行くことはないだろうって思った。だって、その子が生まれたら、勉強どころじゃなくなるじゃない」

既にいる3人との大変さの違いがよく分からなかったのですが、子ども3人+おなかの赤ちゃん1人抱えて大学に行くって想像しただけで大変なんですけど!

彼女は、大きなおなかで片道1時間をバイク通学し、トップの成績で大学を卒業します。ついには学長が毎朝の送迎を申し出てくれたほど、キャンパスでは有名人だったようです。

彼女は大学卒業後、暴力被害にあった女性をサポートするDRC国内のNPO“Heal Africa”で働き始め、彼女のライフワークとなる「性的暴力、家庭内暴力をなくす活動」に出合います。そして、経済停滞の影響で、暴力によってしか力を誇示できなくなった男性を対象にした、国内でとても珍しいプロジェクトを立ち上げます。グループセラピーを通じて、新たな「男らしさ」の概念を広め、暴力の蔓延をなくそうとしたのです。こうした活動や将来へのビジョンが、彼女がNGLのメンバーに選ばれる大きなきっかけとなりました。

 


夫が仕事を辞めて妻のキャリアをサポートする

私「今回NGLのオファーを受けて、プログラムに参加するかどうか迷わなかった?」

フランシーヌ「全く。だって一生に一度のチャンスだと思ったから」

私「今までに外国で暮らしたことは?」

フランシーヌ「ない。アフリカの他の国に行ったことはあるけど、それ以外は、1年前にアメリカのセミナーに呼ばれて一度来たことがあるだけ」

私「子どもが5人もいて、大丈夫かなとか思わなかった?」

フランシーヌ「何とかなると思った」

結果は…何とかなったのです。

サンフランシスコに配置された彼女は、女性や子どもたちへの暴力をなくすために世界中で活動するNPO“Futures Without Violence”で働き、子育てをしつつ見事に勤め終えました。その1年の間に出会った政財界リーダーたちから多くの刺激と示唆を得ながら。

ジョン・マケイン上院議員と初めてお会いした瞬間。良く言えばフリースタイルな並び方ですが、実はみんな緊張してます。3列目 右から1人目がフランシーヌ、3人目が筆者(マケイン・インスティテュート提供)
ジョン・マケイン上院議員と初めてお会いした瞬間。良く言えばフリースタイルな並び方ですが、実はみんな緊張してます。3列目 右から1人目がフランシーヌ、3人目が筆者(マケイン・インスティテュート提供)
 

案ずるより生むがやすし ― だったのでしょうか。そんなわけないですよね。まず、アパート探しの時点で心身ともに疲労困憊したそうです。

世界一家賃が高いサンフランシスコで、永住権を持たないアフリカ出身の女性が、子ども5人を連れて手ごろな部屋を貸してくれというのです。「家賃を本当に払えるのか?」と、ことごとく断られたそうです。最後の最後、職場とマケイン・インスティテュートが共同で手を差し伸べ、何とかアパートが見つかるまで。子どもたちの学校も、働きながら一人で手配したといいます。

最大のピンチは、子どもたちを世話するはずだった、めいへのビザがとうとう下りず、プログラム継続が風前のともしびとなった時でした。現実的なのは、子どもを連れてDRCに帰ること。

しかし、夫の決断が彼女を後押ししました。なんと、自分が仕事を辞めてアメリカに来ると言ってくれたのです。フランシーヌたちがサンフランシスコで暮らし始めた1カ月後に、夫が合流。それから10カ月、プログラムが終わるまで彼女と子どもたちを支えました。

サンフランシスコでのフランシーヌ、夫クリスチャンと5人の元気な子どもたち
サンフランシスコでのフランシーヌ、夫クリスチャンと5人の元気な子どもたち
 

フランシーヌに学ぶ、リーダーに必要なこと

■周囲から与えられ、周囲に与える。
フランシーヌの陰に職場あり。「私が働いたサンフランシスコのNPOは、経営陣も職員も母親が多くて、仕事さえこなせば勤務時間や場所についてはかなり柔軟だった。勤務中に子どもを迎えに行ったり、平日休んで休日に働く社員もいたから、自分も時々、自宅勤務したり、子どもを連れて出勤できた」

フランシーヌの陰に夫あり。「DRCで立派な仕事を持ち、管理職を務めていた夫にとって、自分の仕事を辞めて私と子どもたちを支えた1年は犠牲でしかなかったと思う。夫のサポートがなかったら今の人生もなかった。あふれる才能やスキルを持ちながら、パートナーや周囲の協力、理解を十分に得られず、結婚かキャリアかの二者択一を迫られる女性が多い。女性が働いたら働いたで、ほとんどの家事も引き受けないといけないから、そういう社会の意識も変えないと」

一方で、夫の陰にフランシーヌあり。実は夫も、結婚当初なら、自分の職を捨ててまで妻をサポートするなんてこと、おそらく考えなかっただろうといいます。しかし、妻の才能や努力を長い間その目で見て、心から認めてくれるようになっていたとも。そして、「アメリカ滞在が何より子どもたちの将来のためになる、いったん自分のキャリアを中断することが、子どもにもフランシーヌにも最良だ」と考えたのだそうです。フランシーヌ自身が夫にも変化をもたらしたのですね。

子どもたちの陰にフランシーヌあり。「子どもたちは、職場でたくさんの女性上司が働いていたり、同僚の家で旦那さんが食器を洗う姿を目の当たりにして、本当に驚いてた。私は一度も『女性は偉くなれない』と言ったことはなかった。でも、彼らがDRCで目にした光景、女性の差別の現状が、何より雄弁に語っていたんだと思う」。彼女の大胆な決断と行動力が、1万キロかなたの新しい世界への扉を彼らに開いたことは間違いなさそうです。

■自分のTrue North(真北)を知り、貫く。
フランシーヌはこの1年をどう振り返っているのでしょう。

「アメリカに来る前は、小さなコミュニティーで女性や子どもたちを支えて満足していた。でも、アメリカで、多くのリーダーや世界中の仲間に出会い、夢はもっと大きくなった。有名人がテレビで語っていても『彼らは特別な人間だから』と思うだけ。でも、実際に会って話を聞くと、彼らも自分と同じ人間で、小さいことから始め、努力して成果を上げたことが分かる。自分ももっとできる、やらなきゃと思えた。今はDRCだけでなく、世界の女性、子どもたちを助けたいと思う」

彼女の話を聞いて感じることは、まず、自分が何にこだわり、何を成し遂げたいのか=True North(真北)を知り、貫くことが、どんなに難しく、でも大事かということです。フランシーヌの前には、想像以上のハードルが本当にいくつもあリました。でも、家族に反対されても学ぶことをやめず、未知の機会に家族と挑戦して乗り切った彼女には、「これから何があっても大丈夫」。そう思わせる力強さがあります。

日本中、世界中の“彼女”たちが活躍するために絶対必要なもの

当初、「自分が彼女と同じ状況にいたら挑戦しないだろうな」と思った私。そう思った理由はいったい何だったのか? これ、意外と深い気がしているんです。

・まず、やる前から、直観的に「無理」だと諦める
・周りからの反対=「わがまま」「その後どうする」「もう一度考えろ」発言を押し切れない
・無謀ともいえるプランに家族や自分以外を巻き込んで責任を取る自信がない

こう書くとかなり情けないのですが、こういう理由で何かを諦めることってありませんか。

そんな私に対して、先ほどのフランシーヌの「何とかなると思った」という答え、「即答」だったんです。

「何とかなる」って思えますか? ただ、今思うと、「何とかなった」というより、「何とかした」んですね。起きてもいない問題にあれこれ悩む前に、まずやってみる。そういう反射神経が付いてくると、実際できることがもう少しあるかも…と思えてきます。

ちなみに現在のDRCですが、経済の停滞で仕事が激減し、夫だけでは家計を支えられなくなり、多くの妻が働き始めたそうです。その時問題になるのが、性別よりも、学歴、能力、技能だとか。話が違うぞ。彼女がもし、両親の教えに従ってキッチンにとどまる人生だったら…。それがいいか悪いかではなく、自分の人生だから、失敗しても、いや失敗するかもしれないからこそ、納得する道を選ぶべき、と思います。

そして今。私の周りにはたくさんの働く女性やお母さんたちがいます。私の母も働きながらおじいちゃんを介護し、3人の子どもを育てました。DRCでなくても、今もなんだかんだと男社会である日本で踏ん張り、仕事と家庭の両立に悩んだり、自分のやりたいことを諦めようとする女性は多いはず。そんな彼女たちに、「思い切ってもっと欲張りになりませんか」と言いたいです。

無責任に聞こえるかもしれませんが、フランシーヌの大胆な決断も、私たちの心配をよそに事故や事件も起こらず、子どもたちは元気に飛び回ってます。フランシーヌは間違いなく髪を振り乱して頑張ったんでしょうが、家族を含めて誰かががサポートすれば、もっといろんなことができるはず。

そう、現在の“彼女”たちに圧倒的に足りないモノは、周囲の理解と具体的なサポートではないでしょうか。今の日本社会で、フランシーヌがいきなりDRCから来て、働きながら5人の子どもを育てられるかどうか。

働きたいと考えるたくさんの女性がガンガン部下を引っ張って定年まで働けるか…と想像すると、フランシーヌが口にした言葉を思い出します。

「家族と職場に理解がなかったら、100%無理だった!」

**国連による2015年の人間開発指数(Human Development Index)では、188カ国中、176位にランクされている世界最貧国のひとつです。
http://hdr.undp.org/en/countries/profiles/COD