【続】ろーかる・ぐるぐるNo.135
唯一「ビジョンづくり」は、外注できません
2018/07/05
NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」の舞台として登場した「東美濃市」。実はこんな自治体は実在しないのですが、故郷編のロケ地となったいわゆる東濃エリア、岐阜県恵那市岩村の一帯には多くの観光客が来て、盛り上がっているようです。
たまたま友人の実家がここで造り酒屋「岩村醸造」を営んでいるため、ぼくも学生時代から何度か遊びに行ったことがあります。創業天明7年(1787年)の歴史を誇るこの酒蔵。ご自慢はかつて岩村城を治めた女性城主にちなんだ「純米吟醸 女城主」。400年前に掘られた井戸の天然水を丁寧に仕込んだ銘酒は、華やかで味わい深いです。
この岩村醸造と同じく恵那にあり、近年「冷凍おせち」で急速に業績を伸ばし続けている「銀の森」という企業から8つのショップが集まった総合公園施設の運営について、ご相談をいただきました。
実際に伺ったところ、手軽なイタリアンビュッフェが楽しめる「森の食卓レストラン」、フランスの片田舎で味わえそうな手作りスイーツの「カリテレモン」、和食の職人が仕上げた出汁や副菜がそろう「竈(おくど)」など、各店舗が提供する商品のクオリティーは素晴らしいものがありました。その一方「ここで買う理由がない」というか、何というか。生意気な言い方ですが、全体に「惜しい!」という印象を持ちました。
なぜこうなるのか?
「商品開発がうまく行かない理由は、結局ふたつしかない」の回でも書きましたが、それは、ビジョンを含めた企業の方向性が曖昧か、現場に発想の訓練が足りないか、そのどちらかです。そこで、早速「銀の森」の企業理念を調べました。
なるほど、ここに書いてあることは絶対に間違いではありません。成長を志す食品会社として正しいことばかりです。しかし、銀の森ならではの「単なる金もうけを越えた理想主義」が感じられません。
もし経営者が大手食品会社とは異なる独自の価値観を持っていれば、従業員の行動もおのずとユニークなものになるはずです。
しかし銀の森が公式に文面として掲げているものを見る限り、こうしたお行儀のよい、そしてよくある言葉しか見つかりませんでした。
そのことを会長である渡邉大作さんへ率直に申し上げたところ、かなりの時間をかけて、いろいろな話を聞くことが出来ました。
「いまある冷凍おせちの工場を建設した時のこと。敷地内には良い木がいっぱいあって、切らなくちゃならなかったんだけど、もったいないじゃない? だからできる限り敷地内で移植するようにしたの。そしたら前の薬師寺の管主とお話しする機会があったとき、『その木々がいつか銀の森を助けるよ』とおっしゃって下さって。いま、企業が順調に成長しているのは、あの時の木々のおかげと思っています」とか。
「日本の山林はスギとかヒノキとか一斉に植林して、そのあと長いこと放っておいて。人間のエゴでとても悲惨な状況になっているでしょ? だからって、自然に任せた荒々しい太古の森は、それはそれでやっぱり恐ろしいもんですよ。ぼくはね、適当に人の手が入った、風を感じる森こそ素晴らしいと思うんです。それが人間にとっても、木々にとっても幸せなんです」とか。
少しずつ霧が晴れるように、「ひとと森の共生」こそが企業のビジョンであることがわかってきました。
「ぼくたちは恵那の地で、当たり前のように山や森の恩恵を受けて生活してきたんだよね。でも社名に森を冠し、四季の恵みを『おせち』に仕立てることを生業として来たぼくたちですら、実は森にちゃんとお返しをできていないコトに気がついたんです。ひとは森のチカラを借りると健康な生活を送れます。森もひとのチカラを借りると健康に生い茂ります。森とひとが結びつき、ひととひととがつながっていく。そんな社会が実現できたらいいよね。」
商品や事業を開発しようとする場合、ぼくのような外部の人間がどうしようもないことがひとつだけあります。それがこの「ビジョン」策定です。そりゃ、そうです。その経営者が自身の価値観に基づいて「かくなりたい」姿を描いたものこそが、ビジョン。インタビューをして、それを人々に伝わる言葉に仕立てる「お手伝い」は出来ますが、何を目指すかと言う基本的な方向性自体をつくったり、決めることなんて出来ません。
銀の森の場合は幸いなことに、会長の体内にまだ言語化されていない「理想」がありました。こうして銀の森のビジョンが見えてきたのは、去年の春ごろでしょうか。そこからコンセプトや具体策を生み出すには、またいろいろあるのですが、それはまた次回。
どうぞ、召し上がれ!