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未来の難題を、こう解いていく by Future Creative CenterNo.26

身近な社会課題ソリューション、貝印「やさしい切りかた辞典」誕生秘話

2024/01/25

電通のクリエイティブ横串組織「Future Creative Center(FCC)」は、広告の枠を超えて、未来づくりの領域をクリエイティビティでサポートする80人強による集団。この連載では、「Future×クリエイティビティ」をテーマに、センター員がこれからの取り組みについて語ります。

食品ロスへの意識が高まる昨今ですが、盲点となっているのが食材の「過剰除去」です。過剰除去とは、本来食べられる部分まで切って捨ててしまうこと。過剰除去によって年間に家庭から排出される食品ロスは全国で33.8万トンに上ると推定(※)されていますが、食べ残しや廃棄に比べると、人々が過剰除去を意識する機会は決して多くありません。

その課題解決として生まれたのが、刃物メーカー・貝印が開設したウェブサイト「やさしい切りかた辞典」。さまざまな野菜をムダなく切る方法やオリジナルレシピが紹介されており、2022年8月31日の「野菜の日」に誕生。ACCデザイン部門のブロンズや消費者が選んだ広告コンクールも受賞し、刃物メーカーならではの“その企業らしい”企画と評価されました。

キービジュアル

サイトのこだわりは、社会課題がテーマだからこそ「こうすべきだ」と上からのメッセージを発信するのではなく、訪れた人がサイト自体を楽しめるUIにしたこと。その裏には、貝印と電通制作チームの考えがありました。

制作チームの一員であるプランナーで電通FCCに所属する佐藤佳文氏、アートディレクターの山口さくら氏、ビジネスプロデューサーの安田桜子氏がプロジェクトの道のりを振り返ります。

その他制作チームメンバー:コピーライター嶋崎仁美氏、プランナー森田隼司氏

※出典:「食品廃棄物等の発生抑制及び再生利用の促進の取組に係る実態調査」(環境省)
 
佐藤氏、山口氏、安田氏

始まりは「過剰除去の発信は包丁メーカーが良いのでは」という発想

佐藤:このプロジェクトの背景として、過剰除去による食品ロスは多いものの、必ずしもそれに対する人々の意識は高くない現状がありました。実際に調査をしてみても、食品ロスを意識している方は8割以上に上りますが、その原因として過剰除去をもっとも意識している方は18.3%にとどまり、直接廃棄(44.7%)や食べ残し(36.7%)とは差があったのです。

そこで、野菜をムダなく切る方法や、レシピを紹介するウェブサイト「やさしい切りかた辞典」を開設。さらには「やさしい切りかた」をテーマに、学校の授業や企業・自治体と連携した取り組みを行うなど、活動は今も続いています。

最初のプロジェクトのきっかけは、山口からの提案でした。もともと私と安田は、貝印の「#剃るに自由を」という広告から同社に携わっており、それを知っていた山口が「このアイデアを貝印さんに提案したい」と持ってきたんです。

関連記事はこちら:「#剃るに自由を」に託した、貝印の思いとは?~第74回広告電通賞 SDGs特別賞受賞記念対談


サイト画像1

サイト画像2

山口:食品関係の仕事をする中で過剰除去の問題を知り、食材の切りかたや包丁の使いかたで環境にやさしくする発想もあると感じました。それを一番わかりやすく伝える方法を考えたとき、包丁メーカーに発信していただくのが良いのではないかと思ったのです。

貝印は「#剃るに自由を」をはじめ、世の中に前向きなメッセージを投げかけている土台がありました。そこで佐藤さんに話を持ちかけてみました。

佐藤:すごく良いアイデアだと思いましたし、のちにACCで審査員からコメントされているように、長い間、包丁作りを行ってきた貝印が、食品ロスという社会課題に対して「野菜をムダなく切る」という、その企業らしいアプローチをしたのはとても大切な点だったと思います。

安田:実際に貝印の方々にこのアイデアをお話ししたときも、かなり前向きに受け止めていただけました。過剰除去の問題は、特別な道具や準備もいらず、今日から解決できることです。だからこそすぐに行動したいと承諾していただけましたし、「過剰除去の問題に関するリリースだけでも先行で出したい」とおっしゃるほどでした。

山口:ただし、貝印の方が強く要望されていたのは、説教くさいニュアンスにしたくないということです。最初の提案で私たちが出した資料は、地球への取り組みを包丁から考えるという、いわば“正義感”の強い内容になっていたと思います。それに対して、貝印の方は地球のためになることはもちろんだけど、そういった社会的な意義を訴えるのではなく、過剰除去を減らすことでその人自身が楽しくなる、メリットがあるなど、自分のためになる方向で打ち出したいと最初におっしゃられました。

安田:それは貝印がこだわってきた「誰も否定しない」という企業姿勢に通じるのだと思います。「#剃るに自由を」の表現はその象徴でしたし、今回も切り過ぎは良くないと誰かを否定するではなく、切り過ぎない料理をみんなが楽しくできるように、それを後押しする施策にしたいとのことでした。

佐藤:最近はSDGs系の施策が増えて“SDGs疲れ”が起きている面もあるのではないでしょうか。それもふまえ、説教くさくない、サイトを訪れた人が楽しめるものにしようと制作を進めていったのです。

これは自戒を込めて、社会課題の施策は大きなことを言いたくなる傾向にありますが、身近なものから始めることが大切だと感じました。また、貝印の方々の推進力や想いがあったからこそ、このプロジェクトは実現できたと思います。その点でも良いプロジェクトになったと思います。

制作者それぞれの思考、野菜のデザインをタイルで表現するまで

佐藤:楽しさを重視する上で特にこだわったのがサイトのUIです。最近はゲームに親しむ人が増え、生活者のUIリテラシーが向上しています。こういった社会課題施策でさえ、面白さが弱かったり、サイトの動きが少しでも遅かったりすると一瞬で離脱する傾向にあるでしょう。社会課題がテーマならUIは気にしなくて良い、のではなく、社会課題がテーマだからこそUIは大切に、純粋に体験として気持ち良くなるサイトを目指しました。

具体的には、画面をスクロールすると野菜のデザインが動いたり、パッと舞い上がったりして、触っているだけで楽しめるものに。サイトの構造も、通常は最初に概要文などが入るものですが、訪れた人がスクロールすればすぐ体験できる形にしたほか、永遠にページをスクロールし続けられるなど、細かな部分もこだわっています。

サイト画像3

ブロッコリー

山口:デザインでもっとも悩んだのは、このサイトで野菜をどう表現するか、モチーフを決める過程です。貝印は刃物メーカーであり、料理の会社ではありません。野菜の表現が家庭的になり過ぎるのは少し違うのではないかと考えました。

もともと同社は、整理された一貫したブランディングが行われています。シャープなデザインを取り入れた施策が多く、それらを見ながら貝印が食べ物を扱うならどう見せるかをフラットに考えていきました。今回は切ることがテーマなので、三角形のタイルのような形を組み合わせて野菜のアイコンにするアイデアとなりましたね。

佐藤:サイト制作については、クラフトとデジタルクリエイティブに長(た)けている株式会社 米の椎木さんにプロデュースしていただき、最適なチームとディレクションのもとで質の高い表現を作っていきました。

山口:事前に「野菜のタイルが舞い上がるように」とお願いしていましたが、それだけでなく動きの隅々まで楽しくなる作りに引き上げていただき、実装するまでにアイデアがジャンプしていったのは大きかったと感じます。

安田:サイトのタイトルやコピーについては、先ほど話したように上から目線ではなく、誰も否定しない表現を追求しました。過剰除去の減少が地球にやさしいことに加え、家計にもやさしいと併せて伝えることで、自分自身が楽しめるというメッセージも込めています。最後まで何度もコピーライターの嶋崎さんとアイデアを出しながら詰めていきました。

活動は続く、産官学連携で「やさしい切りかた」を広く伝えたい

山口:サイト自体は2022年8月にリリースされましたが、このプロジェクトはその後も続いています。これまでに高校や大学、自治体などと連携した取り組みを行ってきました。

特別授業「やさしい切りかた教室」

たとえば、奈良県生駒市がこの内容に興味を持ってくださり、同市の奈良北高等学校で特別授業「やさしい切りかた教室」を実施しました。食品ロスや環境配慮に対する生徒の関心を高めたいという思いから、今回のサイトを監修していただいた料理研究家の島本美由紀さんが講師となり、ムダのない野菜の切りかたなどを伝えた上で実際に料理を作りました。

佐藤:今後はこういった授業を全国の学校に展開したいと考えています。やがて家庭科の授業に「やさしい切りかた」という項目が組み込まれたらいいですね。たくさんの学校が授業で使えるようなソフトの開発を貝印とともに進めていきたいと思います。

安田:これ以外にも、日本女子大学の学園祭にて食物学科の学生有志が過剰除去や「やさしい切りかた」のアイデアを生かしたレシピを発表したほか、貝印では「やさしい切りかた辞典」をもとに、小学生の子どもを対象とした「畑で学ぶやさしい切りかた教室」を夏休み期間に開催。畑での野菜収穫とともに、過剰除去をはじめとしたSDGsを学ぶイベントとなっています。

佐藤:活動はまだまだ続きますし、私たちも一緒に取り組める方を募集しています。学校や企業、自治体など、興味のある方に声をかけていただければうれしいですね。

山口:同じ食品ロスにまつわる課題として、賞味期限の誤解があります。賞味期限はおいしく食べる期限であり、期限が過ぎたら食べられないわけではありません。そういった本来の意味を伝えるために、国では「おいしいめやす」という愛称を広めるキャンペーンを行ってきました。

同じように「やさしい切りかた」という言葉がもとになり、切りかたを変えるだけで地球にも自分にもやさしくなることを、広く伝えていきたいですね。

サイトはこちら:やさしい切りかた辞典

      

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